#18. 侍の覚悟
文字数 2,709文字
「将軍。最後に一つ、よろしいですか?」
「うむ?」
私にとって、フェリシアーノを誑かすなど容易い事だ。フェリシアーノは私の意のままに、将軍へ向き直った。
「遺体をここへ」
「は? はっ」
フェリシアーノは俯いたまま、近くの衛士に指示をした。
「遺体?」
将軍はフェリシアーノの態度にただならぬ気配を察したのか、訝しげに首をひねり、馬から降りた。
「フェリシアーノ? 愛を連れて行きますわよ?」
「どうしたの、アリスちゃん?」
銃士隊がレオパルディを釘付けにしている間に飛空船へ愛を連れてゆこうとしていたアリスも、振り返った。フェリシアーノは無言で手を挙げただけだ。待て、と言うことだと判断したアリスは、仕方なくそこに留まった。
ほどなくして、飛空船から担架に載せられた人間が運ばれて来た。担架は二つ。四人の救護班員がレオパルディ軍の隙間を掻き分け、それをしめやかに運ぶ。すぐにそれは将軍の前に届けられ、そっと地面に置かれた。
「これは? 遺体だな?」
ひと目で分かるが、将軍はフェリシアーノに確認した。遺体の一つは腕が千切れ、半分燃えた跡がある。もう一つは、完全に焼けただれていた。
「はい。こちらは、プリンセス・愛のハチェットによる先制攻撃で、不幸にも亡くなった飛空船の乗員……技士見習いの、学生でした」
「……! 愛の、手斧、で……!」
フェリシアーノの説明を聞いた瞬間、愛は手で口を覆い、後退った。顔からは一気に血の気が引いて真っ青だ。ふふふふふ。愛は、かなりのショックを受けている。しかし、まだだ。まだまだ、愛が真に苦しむのはここからだ。
「それが? 先にクラリスとやらとの問答でも言ったが、我らに落ち度は無い」
「それで済まされる話ではありません」
将軍の断定を、フェリシアーノがぴしゃりと強く否定した。
「信頼関係の構築が間に合わなかったと言えばそれまでですが、私たちに敵意は無かった。それは親書で伝えてあります。問題は、現実に死者が出た、と言うことです。和平交渉に赴いた飛空船のクルーが殺された。不幸な事故と結論付けるのは可能ですが、ではその責任は誰がどう取ったのか?
……これは、国民への説明を誤れば、世論が一気に戦争に傾く可能性が高い事案です。私は戦争を望まない。しかし、国民を説得するには、それなりの材料が必要となるでしょう。この遺体となった二人は、どちらもアヴァロン皇国の名のある貴族の子息です。この貴族が騒げば、いくら強大な権限を持つ私でも、力尽くで黙らせる事は難しい……」
いい感じだ。フェリシアーノ、これはなかなか使える男だ。
「では、どうしろと言うのだ?」
綱渡りの交渉はまだ続く。将軍の選択一つで倭の運命は決するのだ。誇りを守るには滅亡も辞さない将軍も、これは少し勝手が違う。愛に否があるのは心の中で認めていたのだろう。ここは、さすがに慎重にならざるを得なかったか。
「飛空船攻撃を幇助した侍たちの首。これがあれば、後は私が責任を持って被害者の貴族たちを説得します」
「そんなっ!」
「あっ! お待ちなさい、愛!」
話を聞いていた愛が、たまらずアリスの後ろを抜けて飛び出した。
「悪いのは愛だよ! 首なら愛のをあげるから! だから!」
「黙れ、愛!」
「きゃあああっ!」
鎧の袖にしがみついた愛を、将軍は平手打ちで振り払った。強烈な平手打ちだ。愛は吹っ飛び、地面を転がった。
「ならぬ! お前は倭の姫、わしの唯一の子どもなのだ! お前は将来、婿とともにこの倭を導く役目がある! 死ぬのは許さぬ! ジイ! 輜重車付きの侍をここへ連れて来るのだ!」
「はっ、は、ひゃいっ!」
ジイは大声に弱い。例によって素直に手斧を投げ渡した若い侍三人を引き連れて、転がるように戻って来た。
「切腹を命じる! 介錯はわしが手ずから行なうゆえ、安心いたせ!」
将軍は冷酷に下知をした。吊り上がる眉と目、そして口は、屋敷にある般若面にそっくりだった。将軍は今、鬼なのだ。
「ははっ!」
三人の若い侍は跪くと、一切躊躇わず一斉に襟を開いて腹を出した。そして脇差しと呼ばれる短刀を抜き、懐から出した懐紙で刃を包み、そこを持つ。これが侍の覚悟だ。いつ何時でも死ぬ準備は出来ている。
「やめて! やめてえ、お父様あ!」
「邪魔だてするな、愛! エンヤ!」
若い侍たちを庇おうとする愛を、将軍が羽交い締めにして引き留めた。そしてすぐにエンヤを呼んだ。
「はいな」
今までどこにいたのか、エンヤが鳥のように降り立った。
「わしは愛を止める為、手が離せぬ! わしの代わりに介錯せよ!」
「ひょっ、……御意」
将軍は怪力の愛を抑えている。愛の魔力回路は、将軍には通用しない。私には、この理由がいまだ理解出来ないでいる。
「やめてえ! エンヤ、お願い! 殺すなら愛を! 愛が悪いの! だから!」
暴れる愛の顔は、涙や鼻水や涎でぐちゃぐちゃだ。これは見苦しい。とても姫たる姿では無い。私は醜いものが好きではない。
「姫様。お泣きなさるな。姫様が我らの為に泣くなど、勿体無くて罰が当たるわ。それに、これは良い死に場所でござるよ」
「そうじゃ。綺麗な顔が台無しじゃ。姫様には、この夏のような笑顔が良く似合ってござるよ。わはははは」
「我ら、姫様の為であれば、こんな腹の一つや二つ、いつでも掻っ捌いてみせますゆえ。なあに、我らは死なぬ。いつもいつまでも倭と姫様と共にありまする。がっはははは」
「みんな……みんなあっ!」
侍は笑う。死を前にしても彼らは笑う。死こそを誇る侍にとって、これはこの上なく幸せな死なのだ。私は、そんな彼らをいつも美しいと感じるのだ。
「ふはははは。これだ、これが侍だ。だから俺様は倭を尊敬するのだ。だから俺様は侍と戦いたいのだ」
レオパルディは侍の潔さに感服している。レオパルディが本国からの本格的な討伐隊の派遣を頑なに拒んで来た本当の理由はこれだった。レオパルディは、いつまでも倭と戦っていたいのだ。それが間接的に倭を今日まで守る事に繋がっている。
「愛……」
アリスは愛から目を逸らした。