#23. アリスの決断
文字数 3,059文字
「ははははは。これは愉快だ。あの娘たちが、こんなに楽しませてくれるとは思っていなかった。これは嬉しい誤算だな」
「ふ」
そんなクラリスへの挑発か。クラリスは鼻で笑うだけだったが、エインズワースは、殊更に嫌気を誘う口調と笑みで、他の三公爵の反応を引き出そうとしたようだ。
「悪趣味ですね、デューク・エルノース。流石は初代国王オズワルド陛下の婚儀を血染めにした人間の血筋、とでも言えましょうか」
そこで痛烈な批判を浴びせたのは、フェリシアーノ・リカルド14世だ。クラリスへの援護のつもりなのだろう。エインズワース家は、オズワルドの花嫁、ベアトリス・シャンポリオンを惨殺し、参列者を皆殺しにした作戦を遂行した過去を持つ。2000年前の話だ。もはや風化した昔話である。……まあ、現場で指揮して実行したのは私だが。
「ふふ、そうかも知れぬ。だが、デューク・エールストン。貴公とて、聖地エールスタを一度は蹂躙した家柄だ。人の事は言えまい」
「う」
フェリシアーノはその一言で沈黙した。長い歴史を持つ両家だ。お互い、古傷に不足は無い。批判合戦となれば、両者痛み分けが常だった。
まあ、当時のリカルド家当主に寄生し、聖地エールスタ侵攻を指揮していたのも私だが。貴族家に負の遺産が残った原因、全部私だな。言わなければ分からないので言わないが。
他の二人の公爵は、この応酬を見て小さく肩をすくめた。自ら火中に飛び込む愚は行わない。ここはだんまりが最善だろう。
「何度も言わせないで下さいな! おどきなさい、愛! これは、命令なのですわよ!」
「アリスちゃんこそ、何度も言わせないで! 愛は、どかない! くまちゃんは、絶対に守ってみせる!」
闘技場では、まだアリスと愛が平行線を辿っていた。その間にも、エルザ=マリアの腹は内から破られそうになっている。不思議なのは、中からの攻撃が、全て拳である事だ。ウィリスは、剣を持っていたはずだ。それを使えば、エルザ=マリアの腹を裂いて出るのは容易なのではないか?
「どうして分からないのです? ここでの攻撃は、エルザ=マリアに何の影響も残さないのですわよ? その霧使いを倒すには、こうするしか無いですのに!」
「アリスちゃんこそ、どうして分かってくれないのっ? 影響が残るとか、愛はそんな事を言ってるんじゃないんだよっ!」
「じゃあ、何がいけないと言うのです? はっきりおっしゃいなさいな!」
「くまちゃんは、痛いんだよ!」
「えっ?」
怒鳴る愛に、アリスは一瞬動きを止めた。それは、私も同じだった。私の場合は指輪なので動こうにも動けないが、脳が止まった、という事だ。
痛い? ぬいぐるみのエルザ=マリアが? 確かに苦しそうではあるが……これは、痛みを感じているのか? そうだとしても、本体は関係無いのでは?
「ア、愛……オマエ……!」
宙に浮かび、中から突き出されるウィリスの拳のせいで、ハリセンボンのような姿のエルザ=マリアが、愛の言葉に驚いていた。
「痛い? エルザ=マリアが? これは、遠隔操作の、ぬいぐるみなんですわよ? 本人には、痛みなんて伝わらない。なのに」
アリスがしどろもどろになっている。エルザ=マリアの苦しみは、見えていたし知っていた。だが、ぬいぐるみだからと無視していた。痛いはずが無い。苦しいはずがないと決めつけていたのだ。そこをはっきりと指摘され、アリスは困惑しているのだ。これは、自らの無慈悲さや冷酷さを、愛に無理矢理認識させられているのだ。
「アリスちゃんが何を言っているのか、愛には全然分かんない。くまちゃんは、苦しんでいるし、痛がってる。これが、アリスちゃんには、見えないの? ぬいぐるみ? 遠隔操作? 本人? くまちゃんは、くまちゃんだよ。愛たちの仲間は、ここにいるくまちゃんだよ!」
愛は怒りに震えていた。
ああ、そうか。愛には、このエルザ=マリアこそが仲間なのだ。遠隔操作のぬいぐるみだとか、ましてや生きているとか死んでいるとかも関係無い。ここでこうして一緒に戦い、今、苦しんでいるエルザ=マリアこそが、愛にとっての、大事な仲間なのだ。だから愛は守るのだ。だから愛は退かないのだ!
「愛……。ハハ、ハ。馬鹿、ダ。コイツ、本物ノ、馬鹿ヤロー、ダゼ……。ハハハハハ」
エルザ=マリアはそう言って笑った。その声は、少し震えていた。私はいつも無機質なエルザ=マリアの声の向こうに、初めて命の存在を感じていた。
「そうです……そうですよお、愛さん! 私も、そう思いますうっ!」
エスメラルダが胸の前で両拳を握り、愛を全肯定した。こくこくと激しく何度も頷くせいで、前髪はまたばたばたとめくれている。
「エルザ=マリア……エスメラルダ……」
アリスは、自論の敗北を悟った。愛、エルザ=マリア、エスメラルダの順に見回すアリスは、しかしどこか嬉しそうに見えた。
「ふ。やはり、いいチームに、なりそうだ。……だが……無念、だ」
クラリスは、そんな愛たちがいたく気に入ってしまったようだ。が、これで敗北は確定的となった事も理解した。無念。それは、敗北を覚悟した者の言葉だ。
「下らぬ。いくら仲間が大事と言えど、負けてしまっては、死んでしまっては意味が無かろう。王族を守る最後の盾として、この選択は愚かでしか無い!」
「……ですな」
「これが地方領主の護衛騎士ででもあればまだ美談として許せるが、唯一無二のアヴァロン王家の護衛騎士としては、絶対に許容出来ぬ選択じゃ」
エインズワースが、肘掛けを叩いて強弁した。フェリシアーノを除く他の二人の公爵も、エインズワースに賛成した。そうだ。これは、シールド騎士団としての適性を見る槍試合なのだ。この選択は、最悪だ。
「……ふう。愚かですわね。うちの子たちは、どうしてこんなにもお馬鹿さんが揃ってしまったのでしょう」
アリスは俯いて手を腰に嘆息した。そして、
「でも、わたくしも、その一人のようですわ。これじゃあ、叱れないですわね」
にやりと笑んで顔を上げた。その小さな瞳は、朝日を弾く湖面のように輝いた。
「認めますわ、愛! わたくしの、間違いを! しかし、正しい道とは茨道! これは、勝算薄い勝負となりますわよ! エルザ=マリア! その霧、外に吐き出しなさいな! わたくしたちが、必ず倒してみせますわ!」
アリスは覚悟した。
「ナ、ナンダッテー?」
エルザ=マリアが無感動に驚いた。もうこうなると読んでいたのだろう。
「は、はいいい! わ、私も! 何にも出来ませんけど、がががが、頑張って、噛み付いたりくらいはして見せますうううっ!」
エスメラルダは足をがくがくがくがくと揺すらせてそう叫んだ。凄い進歩だ。この子が戦う意志を見せるとは。
「あはははは! やったあ! ありがとう、アリスちゃん! やっぱりね、愛はアリスちゃんがだーい好きだよーっ!」
愛は刀を拾って再び構えた。頭では、エンヤに贈られた鉄のカチューシャも、誇らしげに輝いて見えた。
「くく。くくくくく。馬鹿な。なんと馬鹿な娘らだ」
エルザ=マリアの腹の中では、ウィリスがそんな愛たちを笑っていた。