#1. クレイモア・ギガース
文字数 2,853文字
「はわあ。はわああああ」
昨日の激戦でボロボロになった隊服を新調してもらったエスメラルダは、まだそれに着られていると表現出来るほど馴染んでいない。そんなエスメラルダは、今、晴れ渡る空を、いや、それを目指してひたすらに伸びる"それ"を見上げ、顔面を蒼白にしていた。
「うわあー……すっごい伸びるー……」
愛はエルンスト本教会から王城へと至る主通路上で、伸び続ける"それ"を持ち、目を点にしていた。自分がやっているのだが、実感が無いのだろう。初めて使うのだから無理もない。
「何を呑気な! 愛、それを早く仕舞いなさいな!」
呆然とそれを眺めていたアリスが、我に返った。このままでは確かにまずい。
「こんなに伸びるとは……なんという魔力だ……!」
クラリスですら、事の重大性にまだ気付いていなかった。アリスの方が冷静なようだ。
「オイ。コレ、ドコマデ伸ビルノカ知ラネエケド、モシ倒レタラヤベーダロ」
エルザ=マリアがそんなクラリスに声をかけた。それはすでに切っ先が霞がかって見えないほどに伸びている。そろそろ1kmになるのではないだろうか。
ここは王城敷地内、ツインタワーの2つの塔を繋ぐ、地上の主通路だ。当然、それなりの官吏たちが往来しているのだが、そんな人々も皆足を止め、わけもわからないままに空を見上げていた。
「うむ、そうだな。おい、愛。それはもう元に戻して仕舞うのだ」
クラリスは当然のようにそう命じた。だが。
「うん、愛もそう思ってるんだけど……これ、どうやって仕舞うのかなあ? あははは」
愛は困ったように笑うと、手をぶるぶるとさせてそう答えた。
「何だと? おい、冗談はよせ」
「いや、冗談とかじゃないんだけど」
「ふざけないで下さいな、愛! あなた、もう腕がぷるぷるじゃありませんの!?」
「う、うん、そうなんだよ、アリスちゃん。さすがの愛でも、これはちょっと、そろそろ重いかもー、なんて」
愛が必死に支えているのは、先頃教皇猊下から下賜された神器【クレイモア・ギガース(巨人の大剣)】だ。まるで大きなナタのような刀身側部には、エメラルドに似た宝玉が嵌まっている無骨な大剣。それがクレイモア・ギガースだ。
それにしても、規格外の怪力を持つ愛が「重い」なんて言うのは初めて聞いた。これは本気でヤバいのでは。
「ふええええ! たたたた、大変ですううううっ! ももも、もしこんな物が倒れたら、街に甚大な被害がああああ! ごめんなさいごめんなさい! 私が、私が愛さんに神器を使って見せて下さいなんて言わなければ、こんな事にはあああああ!」
エスメラルダは涙を噴射して慌てふためいている。教皇猊下謁見、神器下賜はシールド騎士として必ず行われる事であり、賜る神器は全て、同じ物が二つとない一点物だ。見たいと思うのは誰でも同じで、だからクラリスらもエスメラルダの愛へのお願いを窘めたりしなかった。従って、これはエスメラルダだけの責任ではない。と思っていると、アリスが全く同じ事を言ってエスメラルダを慰めた。少し複雑な気分だ。
「お前、教皇猊下から直々にその神器の取り扱いについて説明をされただろう! もう忘れたのか!」
クラリスが怒鳴る。そうだ。愛は、マーリンから懇切丁寧に説明を受けていた。
「ごめん、聞いてなかった。あははは」
「なんだと!?」
朗らかに笑う愛に、クラリスは殺意すら覚えた事だろう。愛は忘れるどころか、それ以前に聞いていなかったのだ。あれだけの至近距離、マンツーマンでされた話を聞いていないとは、私などは凄い技だと逆に感心してしまう。
「聞いてない、なん、て」
「アリスさん! アリスさあん!」
アリスは気絶して落下した。それをエスメラルダが地面寸前で慌てて受け止めた。教皇猊下とは、生ける神話だ。誰もが畏怖し、お言葉をかけられただけで感涙に咽び狂喜する。そんな教皇猊下からわざわざされた、神器の説明を聞いていない人がいた。アリスにとって、それは卒倒するほどの驚きなのだ。
まあ、アリスは謁見の時も気絶していたが。なにしろ、愛が謁見の間にあるエルンスト教のシンボル、つまりは御神体とも言える巨大な黄金のクロスサークルに登ってみたり、長年保存に配慮してきた壁画をべたべたと触ったり、教皇猊下に「こんちはー」とか、近所のおばちゃん同様に気軽に挨拶してみたりしたので、アリスだけでなく、側近である神官連中も失神した者がいたくらいだから。
ちなみに、教皇猊下マーリンは、私と国王以外に顔は晒さない。常に白いヴェールで隠している。一般人がマーリンの顔を直視すれば、その尊顔の神々しさに目が潰れるからだ、という流言を私が流布したからだ。そうしないと、マーリンのあの緊張感の無い顔は、教皇の尊厳を地に堕とす。マーリンは「も〜、めんどくさ〜い」と嫌がるが、これは徹底してもらっている。
「うーん、なんで伸びたんだろ? 愛、そんな事しようとしたっけ?」
愛は悩んでいる。そう、愛は、クレイモア・ギガースを出しただけだ。出し方すら聞いていなかった愛は、クラリスにそのやり方を教えてもらい、出したのだ。が、直後、大剣は伸び出した。愛が命じてもいないのに。
これは、神器の無制御状態を表している。特に何かさせようと言うわけでもなくただ出せば、神器はその特性のまま、好きなように暴れる物なのだ。クレイモア・ギガースの特性、つまりその能力は、巨大化などの状態変化。しかし、それはこの大剣の"本当の力"を抑えつける為だけの、副産物でしかない。
「それは今はどうでもいい! 命じろ、愛! その大剣に『戻れ』と命じるのだ!」
「え? そんなんでいいの? 分かった、やってみる。戻れー」
クラリスに叫ぶように諭された愛は、素直に応じ、実行した。
「あ。戻った」
すると大剣は、一瞬で元の大きさに戻った。呆気なさ過ぎて肩透かしな思いだが、これが愛の圧倒的な魔力が成せる業だと知る者は、今は私しかいない。
この神器を操れる者は愛しかいない。並の者では、手にしただけで即死する。これはそれほどに危険な物なのだ。
その理由を愛が知るのは、やがて訪れる、軍神マルスとの決戦の時となる。
「お前、その神器はもう出すな!」
「いたーっ!」
が、そんな愛は今、クラリスから頭に拳骨を振る舞われている。平和だ。事の成り行きを見守っていた人々も、首を捻りながらそれぞれの行き先へと向かい、また歩き始めた。
しかし、こんな長閑な時間も、もうすぐ過ごせなくなるのだと知っているのは、まだ見ぬ"敵"、【オメガ】だけだったのだ――。