#2. ジャン=ジャック・ドラクロワ
文字数 2,364文字
ただ、この男は気に入らない。殺す理由など、それだけで十分だ。私は魂を奪い取る死霊使いの魔力回路を、変質者に対して発動させた。
「あー! あなた、こんな所で何をやっていますの!」
直後、この部屋にまたしても闖入者が現れた。
(まずい)
私は咄嗟に魔力を引いた。我ながら素晴らしい反応速度だ。
「うおわっ! びっくりしたあ、て、なんだよアリスか」
変質者はがばりと跳ね起きて闖入者を見遣ると、面倒臭そうに頭をぼりぼりと掻いた。「ち」と舌打ちまで聞こえてくる。
「ななな、なんなんですの、その態度! わたくしは、クラリスお姉様の妹ですのよ! もっと大事に扱いなさいな!」
アリスはきーきーと騒ぎながら、変質者の周りを飛び回った。これは五月蝿い。しかし、アリスが怒るのも無理は無い。この変質者の態度は、レディに対して失礼過ぎた。まあ、妖精をレディとして扱うのも疑問だが。
「うるせーなー。俺はお前と仲良くしたくないんだよ、アリス」
「んなっ⁉」
アリスは相当ショックを受けたのか、羽ばたきを止めた。当然、落下した。そして落下したベッドでぼよんと跳ねたが、まだ固まったままだった。
「こらあー! アリスちゃんを虐めるなあー!」
「ぐああああ!」
アリスの落下した微細な振動で目を覚した愛が、変質者の顔面をいきなり殴った。吹っ飛んだ変質者は、落ち着いた色調の壁をぶち破り、めり込んだ。寝起きで全力では無いにしろ、愛のパンチは殺人的だ。いや、殺熊的くらいだ。これは死んだだろう。私が手を下すまでも無かった。
「うおいてててて! 酷いよー、愛ちゃーん!」
が、変質者は顔を押さえて即座に壁から這い出した。なんとタフな男なのか。微かに魔力回路の気配があるが、これのおかげか。
「アリスちゃん、大丈夫? しっかりして。ほら、愛がいい子いい子してあげるから」
「きゃあああ! 放しなさいな、愛! 頬ずりするのはおやめなさーい!」
そんな変質者になど目もくれず、愛はアリスへの欲望を爆発させていた。とても幸せそうな表情だ。対してアリスはとても迷惑そうである。
「無視かよ! 俺、この船の艦長なのに!」
艦長を名乗る変質者は、地団駄を踏んでいる。細く長身な男だ。190センチはありそうだ。そんな長い足で地団駄を踏むのは美の女神に謝罪するべき醜態であると言いたい。良く見れば顔立ちも端正で、きちんとした身なりを整えれば、どこぞの大貴族の御曹司でも通用する事だろう。
「艦長? 嘘だあ。若過ぎるし変態みたいだし。あなた、愛に何か変な事しようとしてたでしょ?」
「あー! わたくしも見ましたわ! この馬鹿、愛にキスしようとしてましたのよ! 変態! 最低!」
「おいアリス、艦長は本当だって事は伝えてから非難してくれよ。それにな、キスしようとしてたのは、変態だからじゃねえ。愛ちゃんが可愛いからだ。可愛い子にキスしないなんて無礼だろ? これこそが本当のマナーだぜ」
男はそんな謎理論を、髪をかきあげキメ顔で、恥ずかし気もなく言い放った。これはかなりイッてしまっている男のようだ。聞いている方が恥ずかしい。
「そうなの? アヴァロンでは礼儀なの、アリスちゃん?」
「ありませんわよ、そんなマナー。騙されるんじゃありませんわ、愛。あの男、ああしてすぐに女の子をたらし込むんですの」
「嘘なの? 嘘つきで女たらしって、最低な人だね。愛、そういう男の人って大嫌い」
「あ、あれ? そこじゃなくない? 俺、可愛いって褒めたよね? そこをもっとこう、気にして欲しいなあ。はは、はははは」
男はあんな言い訳で悪印象を払拭出来ると本気で考えていたようだ。完全に愛やアリスを舐めている。マナーをどうこう言える男では無い。
「くっそー。邪魔するなよ、アリス。もう少しで愛ちゃんが俺にメロメロになる所だったのに。何しに来たんだよ、お前?」
「……寝てるところにキスされてメロメロになる子なんているのかな……? 少なくとも、愛はならないんだけど」
「はっ! そ、そうでしたわ! ジャン! すぐに艦橋まで来て下さいな!」
急に慌て出したアリスは、ジャンと呼んだ男のネックスカーフを引っ張った。
「こ、こら、アリス、首が締まる。つーかせっかく来たんだから、俺を愛ちゃんに紹介しろよ。そしたらお前の言う事を聞いてやる」
ジャンはアリスをぺちっと叩き落とし、緩んだネックスカーフを締め直した。それでもまだ緩んでいるが。
「もう! この大変な時に!」
アリスはすぐに飛び上がると、乱れたドレスを直し、空中で愛に向き直った。
「愛。この男は、この飛空船の艦長をしておりますの。名は、ジャン=ジャック・ドラクロワ。軍務省所属、階級は少佐です」
「初めまして、プリンセス・愛。俺はジャン=ジャック・ドラクロワ。恋はいつでもウェルカムの20歳、顔良しスタイル良し才能有りの独身さ。惚れても損はさせないぜ」
ジャン=ジャック・ドラクロワは、芝居掛かった仕草で、大仰に腰を折った。普通ならばふざけて映りそうだが、その動きは流麗で、まるで舞台俳優のようだった。
私はこの後、ジャン=ジャックの卓越した操艦技術に驚かされる事になる。
「損ってなんだろ? ね、木霊ちゃん?」
愛は苦笑いして頬を掻く。
(さあ? 私にも分かりませんね)
それは、真剣に答える気にもなれない問いだった。