#4. 暴走姫
文字数 1,584文字
東条将軍は愛の呼びかけに気づいたようだ。手をこちらに向け、制止するようなジェスチャーを取ったからだ。愛の大声は良く通る。ここからでも聞こえてしまう。
「愛。将軍はここで待てと」
「見えてる。でも、待たない!」
さすがは愛だ。ちゃんと将軍の指示が見えている。そして、言う事を聞かないのも愛だ。
倭の民を心の底から愛する姫、東条愛。自分を守護する役目を持つ侍すら守ろうとしてしまう。こうなると愛は止まらない。止められない。誰の言う事も聞かない。
将軍が愛を近付けないようにしようとするのは、いい判断だ。だが、残念ながらそんな将軍の考えなど、愛が忖度するはずがない。なぜなら愛は、倭の国最強だからだ。姫でありながら、並居る侍など寄せ付けない強さを持つ。
だから愛は止まらない。いざという時、将軍を守れるのは自分だけだと思い込んでいるのだ。アヴァロン皇国の騎士と呼ばれる戦士たちは、侍たちの知らない不思議な力を持つ。魔法だ。それによって、長年鍛錬を積み、兵法を会得した侍たちが、どれだけ儚く散っていったかを、愛は嫌というほど知っている。魔法騎士の恐ろしさを、覚えている。そしてその悲しみを、心に刻み込んでいるのだ。
「むう。止まれ。止まらぬか、愛!」
あっという間だった。愛はすでに将軍の髭に覆われた顔の微妙な表情さえ読み取れるところまで迫っていた。将軍はついに声を張り上げた。飛空船は間違いなく武士団の直上だ。飛空船の巨大な影が、武士団を不安に包んだ。
「ジイ!」
「ひゃっ? ひゃい、姫様!」
武士団の最後尾で、替え矢などを積んだ荷車を従える輜重隊を監督していたジイ……まあ、この人は御家老と呼ばれる倭の国のナンバー2なのだが……を、叱咤するように呼んだ愛は、
「手斧!」
と言って、手をくいくいと動かした。手斧をよこせという意味だ。そんな物を渡したら愛が何をするのかなど分かり切っている。倭の国の安泰を思えば、まだ渡してはいけない武器だ。
「ひゃいっ! 手斧を姫に!」
「ははっ!」
が、愛の大声に思考力が麻痺したジイは、部下の侍に命じて荷車から手斧を取り出させ、「投げよ! なぁに、姫様ならばしかと受け取る! 心配無用! かっかっか!」と、あろう事か長く白い髭を揺らし、豪快に笑った。ジイの名は、野村勘三郎時忠という。すでに70を過ぎた老将だ。
「はっ!」
若い侍が素直に手斧を愛に向けて投げ放った。やり取りを知らぬ者が見れば、若い侍が愛を殺そうとしているようにも見えるだろう。
手斧とは、アヴァロンでいうところのハチェットだ。敵の兜を叩き割るほどの破壊力を持つ武器で、投擲して用いる事も多々ある。当然、愛はこれを飛空船に向けて投げるのだろう。
「ありがとう!」
愛は回転しながら迫る手斧の柄を、がっちりとキャッチした。素晴らしい動体視力だ。普通はこんな事は出来ない。こんな物を受け止めようとすれば、普通は死ぬ。
さて、手斧を受け取ったところで、飛空船はその名の通り空にある。真下からでも、軽く300メートルは離れた上空だ。真上に投げた手斧が届く距離ではない。
これも、普通なら、だ。
「しまった、ジイめ! これ、よさんか、愛っ!」
馬首を返した将軍が、無駄と知りつつ手を伸ばす。
「アヴァロンめえーっ! みんなは、愛が絶対に守るんだからあーっ!」
しかし、愛にその声は届かない。弓なりに体を反らせた愛は、そう叫んだ後、
「いっけえーーーっ!」
その反動をバネのようにしなやかに解放し、全力を込めた手斧を、飛空船目掛けて投げ放った。