第21話「カラプトへの出立」

文字数 3,487文字

 安藤五郎の首を獲った後、撓気時光(たわけときみつ)達はイクスンペツの集落(コタン)で祝勝会をしていた。

 つい先日に参加したイシカリのコタンでの宴会の方が、交易による富の集積のためか、全体的に豪華ではあったが、イクスンペツのコタンにもそれなりに蓄えはあるし、何より今回はアイヌの若い男達が参加しているので盛り上がりは上だったかもしれない。

 宴会の主役はもちろん集落解放の立役者である時光だ。時光がいなければアイヌの戦士団だけで蒙古兵を倒すのは困難だっただろう。それに、この事件の責任者である安藤五郎は日本側の要人であるため、アイヌだけで断罪することは出来なかったはずだ。

 それを、武士として磨いてきた戦技、戦術、胆力で、犠牲者無く蒙古兵を殲滅し、安藤五郎を処断したのだ。英雄扱いも当然とも言えるだろう。

 そういう訳で宴会の最中、時光の周りには若い男の戦士たちが絶えなかった。

 時光の家来としてついて来た丑松は、アイヌの女性などとも話しているし、異国から来た商人のニコーロ達は長老衆と商売の話をしている。皆それぞれ楽しんでいるようであった。

 今夜の宴会には特に式次第の様な物はない。飲み食いしたければ酒や肴が尽きるまで居ればいいし、眠りたければ帰ればいい。要は自由なものであった。

 夜が更けていくと宴会場になっていた長の家に残っているのは極僅かになっていた。

 時光、イクスンペツの長、イシカリのコタンの長の息子であり戦士団を束ねるエコリアチである。丑松やニコーロ達はいつの間にか姿を消していた。

「それではトキミツさんは、我々と共にカラプトまで行ってくれるのですね」

「そのつもりだ。時宗様への報告をしなければならないので、丑松は函館に一旦向かわせねばならないが、俺はすぐに北に向かいたい」

 以前エコリアチに聞いたところによると、蝦夷ヶ島の北に浮かぶカラプトという島は、以前はアイヌと吉里迷(ギレミ)という民族がいたのだが、吉里迷によって蒙古が招き入れられ、アイヌは南に追い詰められているらしい。

 これに対抗するために蝦夷ヶ島中のアイヌの戦士が集結しており、今にも(いくさ)が始まろうとしている。この動乱における蒙古の動きを偵察する任務を帯びている時光としては、この戦に遅れるわけにはいかない。

「分かりました。他の者には俺から紹介しておこう。イシカリのエコリアチの名に懸けてトキミツさんは仲間として迎い入れられるように取り計らうし、カラプトにも連れて行く。安心して欲しい」

 エコリアチは当初、和人である安藤五郎の暴虐のため、同じく和人である時光に戦いを挑んできた。しかし、時光がエコリアチの仲間を助け、安藤五郎を躊躇なく処断したことで、今では強い仲間意識を持っている。

 今後の行動が決まると難しい話は止めて、他愛のない雑談が始まる。肴はもうほとんど残っていないので、塩と酒だけを消費していく。

 話題としては、蝦夷ヶ島の自然や風俗に関することであったり、日本の武士の戦いについてなどだ。エコリアチ達は時に武士の戦いの歴史について興味を抱いたようだ。

「トキミツさんは、とても強かったが、昔アイヌを助けてくれた和人の将軍も強かったらしいな。昔からお前たちは強いのか?」

「昔アイヌと共に戦った将軍というと、阿倍比羅夫(あべのひらふ)のことだな? 日本書紀――俺達の歴史書によると、斉明天皇の御世に蝦夷ヶ島に渡り、アイヌを助けて粛慎(あしはせ)を打ち破り、粛慎を幣賄弁島(へろべのしま)まで追い詰めたとか。今にして考えてみると、この粛慎というのは、吉里迷のことで幣賄弁島とはカラプトのことかもしれないな。奇しくも昔と同じ状況になっている訳だ」

 確かに当時と似たような状況であり、阿倍比羅夫の様な英雄と比べるのは適切ではないかもしれないが、和人の武人がアイヌを救援に来ている。漢人の戦に勝利するという部分はまだ達成されていないが、その辺は景気づけの様なものだ。

 なお、時光は幣賄弁島のことをカラプト――現代の樺太と考えているが、これには諸説あり、奥尻島や石狩川河口など様々な場所が想定されていることはここに書き添えておく。

「アベノヒラフ将軍は実に強くての。敵にも寛大で、昔の戦いの後でアイヌと吉里迷が長らく交易をしてこれたのは、将軍のおかげでもあったのじゃ」

 イクスンペツの長がまるで見てきたかの如く阿倍比羅夫について語っている。枯れ木の様に痩せこけた老人であるが、まさか数百年も生きている訳がないので、今の発言は伝聞であろう。アイヌは文字を持たないため、過去の知識は全て口伝である。口伝という特性から、数百年前に阿倍比羅夫と直接やり取りした人物の主観がそのまま受け継がれているのだろう。

「そして、またアイヌに危機が訪れた時、助けに行くと言い残して帰って行ったのじゃ」

「悪いが長殿。俺は阿倍比羅夫とは関係なしにここに来たんですが」

「良い良い。例えそうかもしれないが、過去の(えにし)かもしれない。別に構わぬ」

 この辺りで酒も尽きたので、完全にお開きという事になった。

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 次の朝、時光達は予定通り別々の目的地に向かう事になった。

「丑松。それでは時宗様への報告書を頼む。後、蒙古が書いていた報告書の解読依頼もな」

「分かりました。お任せ下さい。すぐに追いつきますので、それまでご無事で」

 時光の家臣である丑松は、函館に向かい報告書を送る役割を与えられた。函館は蝦夷代官職であった安藤五郎に代表される、安藤氏の勢力圏であるが、直接幕府が派遣している役人もいる。時光の蝦夷ヶ島での任務の報告は、ここを通じて報告されることになっていた。

 また、殲滅した蒙古兵は本国への報告書を書いていたが、これを読める者は時光一行には誰もいなかった。漢字なら読めるのだが、モンゴルの文字など読める者はいない。なにせ、モンゴル語は最近まで文字を持たずにいたのだが、チンギス・ハーンによる勢力拡大に伴い文字の必要性が認識され、比較的近いウイグル語の文字を当てはめただけなのだ。希少すぎて日本で読める者は非常に少ない。

 なお、読者の中にはこの時代におけるモンゴル語の文字は、チベット仏教の高僧であるパスパが作り出した、「パスパ文字」ではないかと考える方も多いかと思われるが、パスパ文字が交付されたのは一二六九年の事であり、この物語の時代である文永五年—―一二六八年には概ねでき上っているだろうが、間諜が報告書に使うまで広まっているとは考えにくい。

「私達は故郷のヴェネツィアに帰ります。またこちらに来るつもりなので、会えるかもしれませんね。まあ数年後でしょうが」

「兄は故郷に息子を置いてこちらで商売をしに来ていましてね。その子ももうそろそろ旅に出ていい年齢ですから、連れて来るでしょう」

 異国の商人であるニコーロ=ポーロとその弟のマフェオ=ポーロは故郷に帰ることになった。

 以前移動中の雑談で、ニコーロにはマルコという息子がいることを、時光は聞いていた。

「分かった。ここまで協力してくれてありがとう。機会があったらまた会おう。その時は我が撓気氏として交易品を用意するから、是非良い商売をしたいものだ。後、マルコ君によろしく」

 ニコーロ達は函館まで丑松と共に行動することになった。

「トキミツ。俺はカラプトまで付き合うとしよう。そもそもアイヌは古くからの我らの同胞。この戦いは他人事ではない」

「私も同行するとしましょう。特に急いで帰らねばならない事情はありませんからな」

 陸奥国の蝦夷(えみし)であるオピポーはそのまま同行してくれることになった。オピポーは元々撓気氏との関係が強い人物なのでこれは予想できたが、異国の坊主であるグリエルモが同行するとは予想外のことであった。ニコーロ達と共に帰るとばかり思っていたのである。

「本当にいいのですか? 確かに蒙古の言葉が分かるあなたに来ていただけると心強いのは確かですが」

「構いません。私としてもこの地域の秩序が乱れているのは見過ごせませんし、出来れば布教の前に色々調べておきたいのです」

「それではよろしくお願いいたします」

 キリスト教に関する知識がない時光は、グリエルモが言う布教についてどんなものか、理解が及ばなかったので、とりあえず同行してくれることについて礼を述べた。なお、現時点では日本及び蝦夷ヶ島における布教の許可を、グリエルモはローマ教皇庁から得ていないので布教は出来ない状態である。

「それでは皆。旅の安全を」

 別れの挨拶が済むと、それぞれの旅路に向かった。

 時光は蒙古の軍勢が待つカラプトの地へと進路を取った。
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