第91話「撓気十四郎時光」

文字数 5,462文字

 目の前の男が安藤五郎と名乗るのを聞き、時光は魂消る思いだった。時光は五年ほど前に日本の北辺における有力武士である安藤五郎を討ち取っている。モンゴルと秘密裏に手を結んでいたためであるが、その安藤五郎の後継を名乗る男が現れるなど夢にも思ってはいなかった。

 時光は知らぬことであったが、()()()()は数十年前から幕府に蝦夷の管理を任されているこの地の有力者であり、代々安藤五郎の名を名乗っている。そして、以前時光が殺害した安藤五郎は悪知恵こそまわり、モンゴルと内通したりアイヌを使役して金の採掘等様々な事業に手を広げていたが、武士としての戦闘力は大したものではなかった。

 だが、今目の前にいる安藤五郎はその堂々たる体躯や物腰からして、油断ならざる強敵であることが見て取れる。そして、現在安藤五郎は千を優に超える騎馬武者を率いている。彼らは大鎧を装備した完全武装であり、奥州産の駿馬に跨っており、恐るべき戦闘集団であることは疑いの余地はない。

「ああ。タワケとやら。別に先代をヤられた事を恨んじゃあいない。奴とは一門衆だが親でも子でも、兄弟でもない。それにコソコソと利益を独占しようとして単独行動をしていた所を討ち取られたんだ。自業自得だ。おかげで俺が一門の長になれたしな」

「そうですか。それで、この様子はどうした事です。何故彼らを捉えているんですか? 彼らは故郷に戻ろうとしていたんですよ?」

 驚愕しながらもなんとか表向きの平静を保ち、情報を聞き出そうと試みた。

「ああ? 何か問題でもあるのか? こいつらぁ我らが日本に侵略してきた奴らだろう? 俺は蝦夷代官職としての責務を果たしたまでだ」

 安藤五郎は近くにいた捕虜を蹴り飛ばしながら言った。縄で繋がれているため抵抗の出来ない捕虜は、身動きさえできずに苦し気に呻くだけであった。よく見れば蹴られたのはプレスター・ジョンの配下でも最上級の幹部であるウリエルだった。時光達との戦いで大怪我を負ったものの生き延びたのだが、このままでは傷が悪化して死んでしまうだろう。

「では。何故今の今まで参陣しなかったのですか? 半月ほど前まで俺は彼らモンゴルの戦士達と死闘を繰り広げていたし、それよりも前は彼らはイシカリに上陸して拠点を築いていた。俺はアイヌ達とカラプトからはるばる駆けつけて決戦に挑んだ。それよりも近くにいたあなた方は何をしていた?」

「何分、準備に手間がかかってな。ようやく出陣してきた時にこいつらとかち合ったという事さ」

 ぬけぬけと告げられる安藤五郎の言葉を、時光は本能的に嘘だと感じ取った。

 また、蝦夷代官職として職務として出陣したという言葉も虚偽であろう。目の前にいる男はその様な殊勝な理由で行動する男ではない。

「安藤五郎様。黄金を発見しました。こいつらの言う通りでした」

 安藤五郎に報告する者が現れた。その男に時光は見覚えがある。先代の安藤五郎と共に行動していた一門衆の、安藤正之である。彼の言葉から察するに、アイヌ達が掘り出してプレスター・ジョンに譲り渡した金を発見したのだろう。

「お前が、蝦夷ヶ島の金の事を教えたのか?」

「その通りだ。先代は死んだが今はこのお方に仕えているのだ。知っている事を教えて何が悪い」

 悪びれた様子の無い安藤正之を見て、以前の戦いで彼の命を助けた事を、時光は後悔した。そして、胸の奥に怒りが沸々と湧いて来る。卑怯にも漁夫の利を決め込み、武士らしく戦わねばならぬ場面で戦わなかった事。自分達と死闘と繰り広げ、その結果妙な絆を築いた相手であるプレスター・ジョン達を殺戮し、捕縛している事。欲得から金を手に入れようとしている事。全てが気に入らなかった。

「まあまあ。そう怖い顔をするなよ。仲よくしようぜ。先代や正之とは色々あったようだが、蒙古の連中を片付けてくれて感謝しているんだ。俺達だって強いが、蒙古の奴らと戦ったらかなり消耗していただろうからな。その点、お前がエミシども——アイヌとか言うんだっけ? まあエミシでいっか。そいつらを上手く使って戦ってくれたおかげで楽に勝てたって訳だからな」

「……」

「お前如き弱小零細御家人の生まれの奴を、俺が取り立ててやるんだ。感謝するがいい。それに、お前がエミシどもを手懐けるのが上手いみたいだから、そこんとこよろしくな」

「これから島全体で金を掘るのに、いくら人手があっても足りませんからな。エミシどもを活用するとは流石のお知恵で……クハァ」

 揉み手をせんばかりの勢いで阿諛追従の弁を述べていた安藤正之は、最後まで言い終えることは出来なかった。

 怒りに身を突き動かされた時光が、その場に居た誰もが反応できない神速で矢を放ち、安藤正之の喉笛を貫いたからだ。

「貴様……下手に出れば付け上がりやがって。エミシどもに情が移ったか? 武士としての誇りは何処へ行った?」

「黙れ! 誇りを無くしているのは貴様の方だ! 遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我こそは相模国撓気郷の撓気十四郎時光である! 悪党ども、成敗してくれる!」

「ほざくな若僧! 後悔するなよ?」

 時光の名乗りによって戦いが始まった。

 時光の後ろに控えていたアイヌの戦士達も、即座に弓を構えて矢を放ち始めた。散開して彼ら得意の散兵戦に移行していく。密集しなくとも独自の判断で行動出来る、狩人として個人で大自然を相手にして来た彼らの得意な戦法である。これによって大陸で最強の地位にあったモンゴル騎兵とも互角に渡り合っている。

 しかし、戦況は劣勢で進展した。何故なら、アイヌの散兵戦は集団として最大限の能力を発揮するモンゴル騎兵相手に対抗するために選択した戦法である。だが、今相手にしているのは日本の武士団である。彼らは安藤五郎に付き従う一門衆だが、集団として統制が取れた戦いはしていない。数人から数十人の小集団の集合体というのが実態であり、その小集団がそれを率いる代表格の武士の指示で動いているのだ。ある意味小集団で戦うアイヌ達と同じ形態の戦い方だ。つまり、統制の取れた大集団を翻弄するために選択した散兵戦は、武士を相手にした場合効果を発揮しないのだ。

 そして、アイヌの戦士達に比べて安藤五郎の配下達は大鎧を装備して高い防護力を誇っている。更に、彼らの持つ弓はアイヌのものよりも射程や威力が高い。アイヌの弓とて精度では負けていないが、十分な準備をしていない状態で戦いに臨むことになってしまったのだ。開けた土地での射程の差はいかんともし難い。

 更に言えば、兵力差があり過ぎる。時光と共に戦うアイヌの戦士は二百程度、相手は千を超えている。後方に更に二百程隠しているのだが、彼らを参戦させたとしても優劣は覆らないだろう。

「みんな。すまん。戦いに巻き込んでしまったな。残念ながら勝ち目はない」

「何を言う。トキミツは俺達のために怒り、同じ故郷の人間と敵対してくれたのだ。そのお前と共に戦えて嬉しいぞ。悔いはない」

 イシカリに住むアイヌ達の次期長であるエコリアチは、すまなそうな表情の時光に対して落ち着いた態度だった。これまでの戦いで、強大なモンゴルと相対するために時光は先頭に立って戦ってくれたのだ、その恩義は消えるものではない。

 そして、最後の希望は潰えてはいない。後方にはまだ兵を伏せている。彼らが参戦しても戦局を覆すことは出来ないが、彼らが蝦夷ヶ島全土に散らばるアイヌ達に事態を知らせれば、再び一万にならんとする大軍が集まる。これまで彼らを束ねていたサケノンクルは負傷中だが、皆を指揮するのには支障はないはずだ。数年間の激戦を戦い抜いて来た彼らなら、兵力で劣勢に立たなければ安藤五郎に後れをとるものではない。伏せた兵には時光の部下である丑松達が残されており、彼らならその程度の状況判断をしてくれるだろう。

 そう考えれば例えこの場で死んだとしても悔いは残らない。後は最後まで見苦しくないように戦い抜くだけだ。

 時光達は段々と押されて、相当な距離を後退していた。死ぬ覚悟は出来ているが、無駄に危険な行動をとる訳ではない。最後の最後まで戦うには柔軟な行動も必要だ。

 だが、次第に回り込まれて包囲されようとしている。最早これまでと思われた。

「ハハハッ! 大分粘ったようだが、もうそろそろ限界のようだな。もう逃げるところなど無いぞ? 大人しく従っていれば良かったものを。損得が理解できないとは、その名の通り()()()よな!」

 下品に笑う安藤五郎に怒りが湧いて来たが、残念ながらこの状況では反撃することも出来ない。騎乗して大鎧で防御を固めていれば死と引き換えに突撃して一矢報いる事も出来たかもしれないが、旅の途中だったので鎧は着ていないし、既に馬は射殺されている。それに矢は尽きている。加えて体のあちこちに矢を受けて相当な血を流しているので、このまま治療せず放っておいたら死に至るだろう。

 もうこれまでかと思われた。

「トキミツ殿! 諦めるな!」

 血が足りずに気が遠くなりそうな時光の耳に、力強く呼びかける声が届いた。そして、声のする方向を見ると、整然と並ぶ騎兵槍(ランス)を構えた重装騎兵の姿が映る。

「この騎士団は……ミハイルの軍か!?」

「時光様! 我々が知らせました! それにご覧ください!」

 遠くから控えさせていたはずの丑松の声がした。近くまでたどり着いていたミハイルを見つけ、状況を説明してくれたらしい。そして、丑松の声に促されて遠方を見やると、捕縛されていたプレスター・ジョン達がオピポーやグリエルモによって解放されていた。どうやら、安藤五郎は時光達を包囲するのに気を取られ、捕虜に十分な見張りを置いていなかったようだ。

「皆の者! 反撃だ。殺された者達の無念を晴らせ! そして、トキミツ達への恩に報いるのだ! 突撃!」

 縄目から解放されたプレスター・ジョンは、騎士の一人から譲り受けた馬に跨り、剣を掲げると檄を飛ばして先頭に立って突撃した。その他の解放された捕虜たちも怪我や疲労が激しく、ろくな武器を持っていないのにも関わらずその後に続く。

 安藤五郎一党に対する恨みなのか、時光達に対する恩義なのか、それともその両方なのかは分からないが、半死人だったとは思えない気迫で迫った。

 そして、彼らと共に突撃するのは、これまで戦う機会に恵まれなかったミハイル率いる騎士団である。彼らこそが主戦力と言えよう。彼らは穂先を揃えて安藤五郎の軍目掛けて勇猛果敢に突入した。

 もちろん、安藤五郎達とて黙ってやられるのを待っている訳ではない。突撃してくる騎士達に向かって思い思いに矢を放った。だが、騎士達は全身を強固な鎖帷子(チェインメイル)で覆っており、左手には大きな盾を掲げている。そして、彼らの駆る馬もまた金属製の鎧を要所要所に装着しており、いかに武士の弓が強力とはいえ、狙いどころが悪ければ効果はいま一つだ。

 時光達なら騎士を相手にした場合、遠間から矢の雨を降らせることで確立で鎧の隙間に命中させるか、近間から防御の弱い部分を狙い澄まして攻撃するかで対応する。しかし、安藤五郎達はこれまで戦いを傍観していたため、その様な知識は無い。統制の無いままに放たれる矢は、ミハイル達の勢いを削ぐことは出来なかった。ミハイル達騎士を狙うくらいだったら、先ほどまで捕虜で防御力の皆無なプレスター・ジョン達を狙った方がましだったかもしれない。

「ぐふっ!」

 勢いを保ったまま安藤五郎達に接触したミハイル旗下の騎士団は、相対する武士たちを次々と穂先の餌食にしていった。騎兵槍突撃(ランスチャージ)など武士には初めて見る戦法だ。何が起きているのか分からないまま串刺しにされていく。ミハイルは高潔な騎士であり、敵に対しても慈悲深い人物である。彼の率いる騎士団もその薫陶を受けている。しかし、味方に対して非道な振る舞いをする外道に対してまでかける温情は無かったようだ。安藤五郎の率いる武士団は半壊状態に陥った。

「何故だ? 何故こんなことになるんだ?」

 先ほどまでの余裕は何処へ行ったのか、安藤五郎は混乱に陥っている。太刀を抜き放ち、時光は接近していった。

「そうだ、お前だ! お前が悪いんだ! お前さえいなければ俺がこの島の土地も、民も、金も、全て手に入れられたんだ!」
 
「それは八つ当たりだ。こうなったのは、欲をかいたお前の自業自得だ」

「何を偉そうに。お前だってこの島に富や土地を求めてやって来たんだろう? 何が違うってんだ!」

 確かに安藤五郎が苦し紛れに言う通り、時光は恩賞としての土地を得るために蝦夷ヶ島にやって来た。それに相違はない。

「まあ。違いはしないが……何かが違うんだ。お前には理解できないだろうがな」

「何を訳の分からない事を。このタワケが!」

 安藤五郎は間合いを詰めて来る時光に、弓を構えて迎撃しようとした。彼の扱う弓は五人張りの強弓であり、この距離で放たれた矢は必殺の威力を発揮するだろう。

 しかし、矢が放たれようとした瞬間、後ろから接近してきたガウリイルが手にした木の棒で、安藤五郎の後頭部を殴り飛ばした。致命傷こそ負わなかった安藤五郎だったが、朦朧として弓を取り落としてしまった。その隙を見逃す時光ではない。

「それが俺の名だ。地獄で閻魔にその様に報告すると良いさ。忘れるなよ!」

 時光がすれ違い様に名刀綾小路定利を振るったその数瞬後、安藤五郎の首が音も無く地面に落ち、切断面から流れ出たその血は蝦夷ヶ島の大地に染みわたって行った。
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