第60話「嵐の前」

文字数 3,294文字

「ここまでが撓気時光(たわけときみつ)の報告書でございます」

 中年の武士安達泰盛(あだちやすもり)は長い手紙を手にしながら、相対する若者に向かって丁寧な口調で言った。

 まだ少年と言っても良いその若者の名は、北条時宗――幕府の執権であり、日本の最高権力者と言っても過言では無いだろう。

 権力には義務と責任が伴う。北条時宗はこの国の武力の頂点に立つ者として、大陸から日本を虎視眈々狙う蒙古から守るため、数多くの政策を推進してる。

 その一つが蝦夷ヶ島への撓気十四郎時光(たわけじゅうしろうときみつ)の派遣である。現在、防備を進めているのは大陸と近い九州が主であり、北には手が回っていない。しかし蝦夷地で蒙古による動きがみられるという事で、信頼できる人物を派遣したのだ。

 ただ、その撓気時光が大陸に攻め込んだとの報告をして来た。

 時宗の見積るところによると、純粋に真正面から日本の武士と蒙古軍が戦った場合、日本は敗北を喫することだろう。武士の戦闘力の高さを疑う訳ではないが、相手の蒙古の民とて世界でも有数の戦闘力を有しており、これまで征服してきた国々の兵や技術まで使用することが出来るのだ。流石に分が悪い。

 しかし、日本は四方を海に囲まれており、敵は進軍も兵站輸送も海路という困難にぶつかることになる。この条件なら勇猛なる武士を有する日本は勝利することが出来る。

 ただし、朝鮮半島や大陸から九州に渡る西の経路で蒙古が侵攻すると見積もっているが、実はカラプト島、蝦夷ヶ島を経由する北の経路は海を渡る日数が少なく、季節によっては凍結した海を歩いて渡ることが出来るため、こちらの方が脅威とも言える。

 しかし、大陸から得られる間諜等による情報は、西から九州への侵攻の準備ばかりであり、二正面で準備するだけの戦力も無い。そのため、北方はなるべく敵を刺激せず、静謐を保つことが重要なのであった。

 それをわざわざこちらから攻め込んだというのだから、時宗が激怒したのも当然のことである。

 だが、時光からの報告を読み進めるうちに、時宗の精神は平穏を取り戻した。

「そうか。敵から先制攻撃を受け、これを押し戻すために大陸まで攻め込んだのか」

「正面から固守しても、敵を食い止めることは出来なかったと思われます。それを大陸にある敵の本拠地を攻撃することで、敵を退却させるという策は、妥当……というより見事なものだと言えましょう」

「流石に幼少から兵法書を読み漁っていただけの事はある。派遣したのが奴ではなく、真正面から戦うしか能の無い普通の御家人だったら、蝦夷ヶ島まで奪われ、今頃陸奥国は危機に瀕していたことだろう」

 撓気氏は代々子沢山で土地を分配しすぎてしまうため、結果として弱小勢力である。しかし、蝦夷ヶ島との交易に手を付けている関係上、財政的には豊かな方であり、都などから様々な書物を入手している。そして、時光は自分が十四男という相続する土地を期待できない立場を幼いころから理解していたため、文武両道を目指して厳しい訓練に励んでいた。それが功を奏したのだ。

 また、軍略もさることながら、時光の与えられた任務は北方のアイヌ等の民を協調関係を保つことも重要である。やたら武ばった輩では反感を買い、逆に北方の民が皆蒙古に服従していたかもしれない。それを逆に味方につけているのは予想以上の成果である。

 時光はまだまだ若く、戦における様々な醜い部分をあまり知らなかったのが結果的に良かったのかもしれない。

「しかし、今回攻めて来た、プレスター・ジョンなる人物。気になりますな」

「蒙古の創始者である成吉思汗(ジンギスカン)の血を引きながら、一方で成吉思汗が自ら滅ぼしたかつての主君血も引く者。まあ訳ありなのは分かるな。蒙古の皇帝に心服しているとは思えない」

 プレスター・ジョンからすれば、自分こそが蒙古の真の支配者と考えてもおかしくはないはずだ。となれば独立や反乱などが予想できる。

「もしかすれば、カラプトや蝦夷ヶ島を独自に攻め取り、そこを根拠地として蒙古皇帝に歯向かうつもりでは?」

「ありうる。どうも今回の件は蒙古の本国と連携した形跡がない。おかげで蒙古の本隊が来なくて済んだのだが」

 蒙古軍が陸続きで本格的に侵攻してきた場合、少なくて数万、通常以上なら十数万から数十万が攻めて来ることが予想される。この様な敵が来たのなら、食い止めることは不可能だったはずだ。もちろん兵站上の限界でその様な大勢力を出せなかった可能性もあるのだが、時宗達の心象としてはそうではない。

「頼朝殿の血を引く源氏の嫡流が今の世に生きていれば、北条氏による幕府の支配を許さないのであろうか……」

 今の鎌倉幕府は、執権の北条時宗をはじめとする北条氏が権力を握っている。源氏の将軍が三代で途絶えてしまったためだが、そこに北条氏の陰謀を囁く者も多い。時宗としてはその時代の事は知らないし必死に今の世を差配しており、そこに権力を牛耳ろうという私心は全くないのだが、プレスター・ジョンの話を聞いているとふとそんな事を考えてしまうのだった。

「さて? そんな事は考えても仕方ありますまい」

「それもそうだな。しかし、プレスター・ジョンの勢力は中々厄介だな。キリスト教なる宗教を信じる者が蒙古の各地から集まって味方しているのか」

「以前の時光の報告にあった、馬も含めた全身に鉄の鎧を纏い、長槍で突撃してくる騎兵。今回時光の守る城を粉砕した兵器を扱う胡人。それに今も蒙古に抵抗している宋の漢人も味方にいる様子。このままでは世界中から増援が来ますぞ」

「うむ。今は奴らの勢力圏が小さいから、維持できるだけの小勢力しか集めていないのだろう。これがカラプト、蝦夷ヶ島と勢力を伸ばせば、その分だけ味方を呼び寄せ一大勢力になるだろう。それに宗教的な熱狂で団結されるというのは厄介なものだ」

「わが国でも最近は日蓮なる僧侶が一部の民から熱狂的に受け入れられていますからな。危険ですからやはり処刑すべきでしたか?」

「いや。奴の言葉はいちいち過激だが、納得できる部分もある。それを無暗に殺したくはない」

 この時代の日本では、日蓮という僧侶が法華経を唱えることこそが正しく、それ以外の宗派に対して攻撃していた。更には幕府に対する批判に発展したことから、ついに龍の口の刑場で斬首することになった。しかし、その際に強烈な稲光が起こったことから刑は中止となり、代わりに佐渡国への流刑が執り行われた。それで少しは大人しくなるかと思ったのだが、現地でも説法を続け信者を増やし続けているそうだ。

 つまり、宗教的な熱狂は時として国に対抗し得るだけの力を有するのだ。

「幸い我が国にはキリスト教なる宗教は広められておりませんので、プレスター・ジョンに寝返るものはいないでしょう」

「ならばやはり今重視すべきは西国だな。あと二、三年以内に蒙古の大軍が侵攻してくるという情報がある。北方は時光に任せるとしよう」

「はい。人を増やしては敵を刺激してしまいますので、可能な限り物資を送ることとします。これは時光殿も人は下手に増やせないと同意見の様です。時光殿の報告書に所望の物資が列挙されていますので、それらを確実に、速やかに輸送しましょう」

「そうしてくれ。時光は大局的にものを見てくれて助かるな」

「兵を増やすことを懇願されていたら困るところでありましたな」

「その内蒙古の動きが終わりを告げたならば、鎌倉に呼び寄せて我らの下でその力を発揮してもらいたいところだ」

 時宗の近くで働くという事は、日本の権力の中枢に位置するという事である。本来弱小御家人の倅に過ぎない時光の事を、時宗はそこまで高く評価していた。また、鎌倉幕府が出来てからも、武士は互いに隙あらば殺し合い、離合集散を続け敵味方がはっきりしない。この様な状況の中で自らの幼馴染であり性格的にも信頼できると、時宗は時光の事を思っているのだ。

「ふう。本当に平和な世が来るのはいつの事やら」

 時宗は深いため息をついた。今は日本も、プレスター・ジョンの侵攻が中断された北方も平穏である。しかし、これは嵐の前の静けさであり、本当の戦乱が訪れるのはこれからの事である。
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