第16話「イクスンペツ夜戦」

文字数 3,496文字

 安藤五郎が蒙古を引き連れて、石炭の採掘場付近に戻って来たのは、もう日が暮れて夜の闇に世界が侵食されている頃のことであった。

 麓に降りて、石炭の燃焼実験をしていたところ、遙か遠くから天地を揺るがす轟音が響いて来た。

 その方向は安藤五郎達がアイヌを拐って労働力とし、石炭を採掘していた方向である。

 一体何が起きたのかと混乱していた安藤五郎達であったが、蒙古のまとめ役にして技術者である漢人の張文祥(ちょうぶんしょう)によると、石炭の採掘で爆発するというのは珍しくはないらしい。

 火気の使用には十分注意する様に申し付けていたのだが、それが徹底されなかったのかも知れない。安藤五郎と直接言葉のやり取りが出来るのは、張文祥と宋の言葉を使ってのみである。やはり直接指示することが出来ないのでは、指示事項を徹底できないのだろう。一体採掘坑の復旧にどれだけの時間がかかるのかと思うと、採掘坑に向かう足取りが重くなるのであった。

 しかし、採掘場所に近付いた時、それどころではない事に気が付いた。

「アンドー!」

 蒙古の一人が進行方向の上方を指さした。安藤五郎は蒙古の言葉は分からないが、流石に自分の名前を呼んでいることぐらいは理解できる。そして、蒙古の示す方向を見た時、魂が吹き飛ぶような気持になった。

「な、生首だと?」

 安藤五郎の視界に入って来たのは、採掘坑に残してきたはずの蒙古兵たちの生首で、蔦で木から吊るされていた。もう辺りは暗くなっていたが、それくらいの事は判別できる。

 彼らは別に安藤五郎の部下という訳ではないが、最近は共に行動していた者ばかりである。その様に面識のある者達が無残な姿を晒しているのは、流石に命のやり取りを生業にする武士とは言え衝撃を受けた。ましてや安藤五郎は蝦夷代官職というその高い地位のため、最近は戦場に出ていない。

 そして、蒙古兵たちにとっては更に大きな効果を受けたようだ。蒙古は大陸を制覇する際、逆らった都市を皆殺しにしたりと、残虐非道の代名詞のように敵対者から思われている。しかし、その様な残虐行為も常の事ではない。それに、最近大ハーンに就いているクビライは宋への侵攻に際し、漢人を取り込むべく融和的な態度をとっており、残虐行為は控えめにしている。

 つまり、蒙古にとっても無慈悲な行為を目の当たりにするのは久しぶりの事であったし、しかもそれまでは自分たちがやる側である。自分たちの仲間がこの様な仕打ちを受けるのは、初めての経験であった。

 そしてこの様な時、先ずは仲間に対する非情な仕打ちへの怒り、悲しみが湧いてくるものだが、その後にはもう一つの感情が湧いて来る者である。

 すなわち、次は自分の番ではないかという疑念と恐怖だ。

「採掘坑まで戻るぞ。各員、周囲を警戒しろ」

 安藤五郎は張文祥を通じて、蒙古に指示を出した。こうなると先ほどの爆発は、単なる事故ではないと判断せざるを得ない。何者かが――おそらくはアイヌが襲撃し、採掘坑を爆破するのと共に残っていた蒙古を殺して首を木に吊るしたのだろう。

 これは全く予想外の事であった。蝦夷ヶ島のアイヌで戦える者は、皆カラプトに侵攻した蒙古との戦いに出撃し、この地域には非戦闘員しかいない筈であった。安藤五郎によるアイヌ集落への襲撃を聞きつけて戻って来たのであろうが、ここまで速いとは予想していなかった。

 それに、アイヌは一人一人は狩猟を通じて優秀な戦士に育っていると言えるのだが、人と人との殺し合いに関しては、百戦錬磨の蒙古には敵わない筈であった。それがこうして採掘坑に残っていた蒙古を打ち破っているのは驚きである。

 そして、アイヌが敵の首を刎ねてそれを晒すという行為に出るのも、かれらの温和な習性からは想像が出来なかった。よほど仲間を拉致されたのが腹に据えかねたらしい。

 警戒を厳重にしたためか、安藤五郎達は無事に採掘坑まで戻ってくることが出来た。本当ならこの様な危険な地域からは離れたいところなのだが、石炭と金の採掘は、安藤五郎が自分をより高い値段で蒙古に売り渡すのに重要な物資であるし、蒙古にとっても北方地域における重要な戦略物資である。何の措置もせずにおめおめと引き下がるわけにはいかないのだ。

「あそこに仲間が倒れています」

 採掘現場に戻って来た時、張文祥が採掘坑前で倒れている人物を指さした。何か手掛かりがあるかもしれないと、安藤五郎達はその人物の方に向かう。

 倒れているのは採掘作業の監視のために残した蒙古兵であった。変装のためにアイヌの服を着ているが、髭などの状態から近くで見れば一目瞭然である。

「既に死んでいるようですが、紙を持っています。何か書いているようですが……」

「明かりを持ってこい。内容が知りたい」

 もしかしたら、最後の力を振り絞って手掛かりを残してくれたのかもしれない。そう考えて安藤五郎は松明を近くに持ってこさせた。同じく紙の内容に興味を持った蒙古兵が皆、周囲に集まって来る。

「えーと。何々? 安藤五郎並びに蒙古、ここに死す……何だと?」

 紙に書かれていたのは漢字であり、安藤五郎と張文祥の二人にとって読むのは容易い物であった。しかし、その不吉な内容に二人は嫌な予感が頭の中に充満し、警告の言葉を発しようとした。

 しかし、警告は間に合わなかった。

「放て!」

 森の何処かからか声が響き、その直後に矢が一斉に降って来た。

「ぐあぁっ!」

 紙に書いてあることが気になり、一ヵ所に皆固まっていたのだからたまらない。数人が矢を受けて倒れ伏した。追い討ちの様に更に矢が射かけられる。

「皆、散開しろ! それに火を消せ! それが狙われている!」

 張文祥が一早く混乱から立ち直り、部下の蒙古兵に指示を出した。現状としてはそれが最善手であろう。

 張文祥は故郷で読んだ歴史書に、似たような事が書いてあったのを思い出した。

 千年以上前、孫子という有名な戦術家がおり、孫子とは孫武孫武(そんぶ)またはその子孫である孫臏(そんぴん)の事を指す。そして、孫臏の戦いとして次の様な事が書き記されている。

 ある戦いで孫臏が撤退している時、それを敵将の龐涓(ほうけん)が追撃してきた。その際、孫臏は龐涓が夜に通ると予想される道に障害物を作り追撃の足を止めさせた。そして、すぐ傍の木に文字を書いた板を吊るしたのだった。書かれている内容が気になった龐涓は明かりを手に持ち、読んでみると、こう書いてあった。「龐涓この樹の下にて死せん」と。

 その瞬間、龐涓の持った明かりを目掛けて矢が殺到し、龐涓はあえなく戦死してしまった。

 まさに今、張文祥や安藤五郎が陥っている状況と同じである。

 まさか、アイヌが大陸の史書や兵法に通じているとは予想だにしていなかった。もしかしたら、独自にこの作戦を編み出したのかもしれないが、それはそれで恐ろしい能力を秘めているという事になる。

 なお、現代の視点から補足すると、同様の作戦は現代戦においても見ることが出来る。

 例えばベトナム戦争における事例であるが、ある時ベトコンが米軍の通り道に看板を設置した。気になった米兵がそれを読むために近づいてみると「これを読んだ米軍兵士は全て死ぬ」と書いてある。そしてその瞬間、ブービートラップであった看板は爆発し、周囲に潜伏していたベトコンによる奇襲が始まるのだ。

 つまり、人間の心理を利用し、その隙をついた作戦というのは、いつの時代においても有効なのである。

 そして今、こうして蒙古は効果的な一撃を受けてしまった。

「張! これでは何も見えんぞ! どうにかならんのか!」

「狙い撃ちされるよりはましだ! すぐに慣れる」

 つい先ほどまで火の明かりに頼っていた蒙古兵は、夜の闇に対してすぐに目が対応できていない。相手から狙われなくなるのは良いのだが、自分たちの周囲の状況が全く分からない。とは言え、張文祥の言う通り、狙われないのであればそれも仕方ないのかもしれない。

 狙われなければ、であるのだが。

「うおっ!」

「おいっ! まだ狙われているぞ! どういうことだ?」

 矢による攻撃はまだ続いた。それも闇雲に射撃しているのではない。命中精度は下がっているものの、これは相手から確実に見られていると判断できる射撃である。

「皆の者! 山肌を背にして身を低くするのだ! 何としてでも朝まで耐えろ! そうすれば我々の勝利だ!」

 安藤五郎の指示で蒙古は防御態勢に移行した。この、闇の中ではとても勝てそうにない。かと言って平野部に逃げ出すために山道を移動するのも無謀である。ここは耐えるしかないというのは正しい判断である。

 しかし、夜はまだまだ長いのであった。
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