第46話「プレスター・ジョンの伝説」

文字数 2,285文字

 プレスター・ジョンと呼ばれた蒙古の若者が率いる軍勢は、しばらくすると休憩を終え、南東方向に向かって出発した。その行軍する様は整斉としており、統率の取れた精鋭であることを伺わせた。様々な出身の者達が集う軍団だが、一枚岩にまとまっていると見て良いだろう。

「なあ、グリエルモ。プレスター・ジョンって知ってるか?」

 潜伏して待機中の本隊に戻った時光は、戻るなりすぐにグリエルモにプレスター・ジョンについて尋ねた。グリエルモは、遥か西の都である羅馬(ローマ)から東の果てである日本まで旅してきており、大陸の事象に通じている。また、「プレスター・ジョン」という語感が、グリエルモが話している言葉のものと似ている様な気がしたのだ。

「もちろん知ってますよ。その名を何処で知ったのですか? 日本ではその存在は知られていないと思いましたが」

「それはだな……」

 時光は先ほど見てきた十字架を身に付けた蒙古軍の若者について話した。

「そうですか、それでは説明させてもらいますが、私の信じる神の教えについては覚えておりますかな?」

「ああ。イエス=キリストと言う神の子と呼ばれるものが広めた教えで、西方で広く信仰されているとか」

「その通りです。確かに我らが神の教えは、西方が主に信じられている地域です。しかし、実は東方にも広まっていたのです」

 グリエルモの語るところによれば百数十年前から、東方世界におけるキリスト教の国について人々に口に上るようになったという。

 内容としては、中東地域でキリスト教勢力がイスラム教勢力と戦っている際、窮地に陥っている所をプレスター・ジョンと呼ばれる王に助けてもらったというものが多い。そして、プレスター・ジョンはイスラム世界よりもさらに東の地を治めていると伝えられている。

 キリスト教世界はイスラム教世界との長い争いにより、時として大きな苦境に立ってきた。その様な状況において遥か遠方に宗教を同じくする勢力がおり、ヨーロッパのキリスト教徒を助けてくれるというのは人々の願望に即していたのだろう。

 一種の救世主伝説として広まることになった。

 プレスター・ジョンの正体としては様々なものが説として唱えられている。余りにも伝説に寄り過ぎているのは、新約聖書においてイエスの誕生を祝福した東方の三博士の子孫こそが、プレスター・ジョンであるといった説であろう。自分達の信じる予言者と深い結びつきのある人物と、現代における救世主伝説を繋げたかったのであろうが、流石に盛り過ぎかもしれない。

 もう少し信憑性が高い説もある。八百年前以上前にキリスト教の解釈の違いで追われたネストリウスという人物は、エジプトに逃れて自分の考えを広めた後に死亡したのだが、彼の考えを引きついだ「ネストリウス派」と呼ばれる集団が生まれた。このネストリウス派は東方世界に勢力を伸ばし、かなりの数の信者を獲得した。

 中国の王朝においても信仰する者は多くおり、「景教」と呼ばれている。

 つまり、ネストリウス派を伝えられた東方世界の何処かの国の王こそが、プレスター・ジョンであると言えそうなのだ。

 なお、時光が生きた時代よりもう少し後の時代では、今で言うアフリカのエチオピアの地に存在した、アクスム王国こそがプレスター・ジョンの国だという説も有力視されたりした。アクスム王国は長い歴史を持っており、国王は聖書に記述されているソロモン王とシバの女王の子孫とされている。実際キリスト教が信仰されているので、アクスム王国こそがプレスター・ジョンの国に適合していそうである。

 しかし、時光の時代にはあくまで東方世界に存在するとされていたので、色々解説したグリエルモも東方にプレスター・ジョンの国があると考えている。

「で、結局プレスター・ジョンって何者なのかは、不明なんだな。と言うか単なる伝説では?」

「確かに確実な事は言えませんが、色々旅しながら情報を集めていると面白い話が聞けました」

「ほう?」

「オン・ハン、またはトオリル・ハンという人物を知っていますかな?」

 時光には聞き覚えがなかった。「ハン」と呼ばれているという事は、蒙古の有力者なのだろうと予測はつくのだが、流石にどういう人物かまでは分からない。

「オン・ハンとは、モンゴルのケレイトという部族の長であり、そのケレイトではネストリウス派が信仰されていたという事です。

「なるほど、蒙古人でネストリウス派。俺が見た奴は、そのオン・ハンという奴の縁者かもしれないな。しかし、そんな単なる一部族の長が、西方まで伝わるか?」

「それが、そのオン・ハンという人物は、元々チンギス・ハーンの部族を傘下におさめていたというのです。最終的にチンギス・ハーンが勝利して、オン・ハンは死亡したという事ですが」

「チンギス・ハーンってつまり、蒙古の皇帝の事か?」

「その通りです。チンギス・ハーンが勢力を拡大させる前の事とはいえ、それを配下にしていたオン・ハンの実力が伺えるでしょう」

 蒙古の民は、その勢力を完全に統一することにより、現在のように大陸の大半を手中に収められるだけの実力を秘めている。統一前とは言え、蒙古の有力者であったオン・ハンはプレスター・ジョンに比定するのが相応しいのかもしれない。

 そして、仮定を重ねて行くと、先ほど大軍を率いていた若者はオン・ハンの子孫であるかもしれない。仮にそうだとして、何故この地域で軍を率いているのか。チンギス・ハーンの孫であり現在の蒙古の支配者であるフビライと、一体どの様な関係なのであろうか。

 時光は色々考えてみたが、一向に結論が出ることはなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み