第76話「常山の蛇勢」

文字数 3,178文字

 カムイコタン攻略に失敗した、時光達はワッサムに後退してから更なる戦闘を進めていたが、成果は芳しくなかった。

 日を変えて再度侵攻したものの、相変わらずカムイコタンは狭い道に防御力の高い重装備の騎士が何重にも守りを固めているので、そう簡単には抜くことは出来ない。

 では別の地域に攻撃してみてはという事になったが、これも上手くいかなかった。

 アイペツには漢人を主体とした部隊が陣を構えているのだが、この地域にはすでに堀や柵等の防御設備が強固に設置されていた。漢人の技術力の高さが表れている。険しい地形と相まって、とても短期間に攻略するのは無理だろう。

 残るピイエにはモンゴル人を主体とした部隊が陣を構えているが、この地域でも苦戦を強いられた。ピイエは他の経路と比べると開けた地形なのだが、これは弓騎兵を大量に運用するモンゴル軍に有利な地形である。そして、ピイエはなだらかな丘陵になっているので時光達は見下ろされる形になる。なので時光達の主力であるアイヌもモンゴル軍に劣らない弓の名手揃いだが、この地形では高所に位置する敵に対抗することは出来ない。アイヌの話によると、この地域には時々火山の噴火による溶岩や土砂が流れ込んでくるために、木々が密集したり高く育っていないのだそうだ。もしかしたら丘陵の盛り上がりも、火山活動によって出来たのかもしれないと時光は思った。

 また、この地域の敵は投石器も作成しているので、矢の届かない場所で準備しようとすると巨石を容赦なく撃ち込んで来るのだ。じっくりと作戦を準備することすら出来ない。

 そして、一番厄介なのはどこかの地域を攻撃すると、即座に他の地域に布陣している部隊が背後を突こうとして動き出すことである。

 敵は現在、蝦夷ヶ島全土を制圧しようとして、各地に兵を送っている。そのため、時光達を三か所で封じ込めている部隊は、それぞれは大軍という訳ではない。一万を遥かに超えるアイヌ等の戦士団で焦らず各個に攻め立てれば、必ず撃破することが出来る。しかし、連携されてしまうと兵数の有利さを失ってしまうし、何より背後を突かれることは戦術上何よりも避けなければならない。では、抑えの部隊を派遣したらどうかとも考えたが、それぞれの地域の部隊と戦った感触から、それでは逆に各個撃破されてしまうだけだと時光は予想している。

 古代の偉大な兵法家である孫子の兵法書には、「常山の蛇勢」という事について記述されている。これは、常山に生息するヘビは頭を打たれれば尻尾が助け、尻尾を打たれれば逆に頭が助ける。ならば胴体を打たれればどうなるのかというと頭と尻尾がこれを助けるという。

 つまりは軍隊における連携の重要性を説いているのだ。
 
 敵であるプレスター・ジョンの配下には、ウリエルと呼ばれる漢人の将軍がいるが、以前時光が話した経験からすると彼は知識豊富な士大夫出身である。ならば孫子の兵法に関する知識を有しており、現在の封鎖戦術を作り上げたとしても不思議ではない。

「あーあ。どうせ封じ込め作戦をするのなら、山にでも登ってくれたら良かったのにな」

「山? 確かにトカプチやヌタプカウシュペの山みたいな高所に登ったら、我々の動きを監視しやすいし、防御もしやすいだろうが、それでは封鎖自体には効果的でないし補給にも難があると思うが?」

 アイヌの戦士の中でも副将格であるエコリアチが、時光の独り言に反応して疑問を投げかけた。時光達は夜の草むらを歩いている。昼間降った雨で地面はかなりぬかるんでいる。彼らの後には三百人程の戦士達が続いており、数人がかりで木製の細長い物体を担いでいる。

「あ。単に昔の戦いで、高い所に陣取った結果封鎖に失敗するは、水が採れなくて渇きに苦しんで敗北した武将がいたから、その事を思い出してつい言ってしまっただけだ」

「俺はその話は知らんが、ただ相手の失敗に期待するのは、都合が良すぎるだろうな」

「うん。俺もそう思う」

 エコリアチは交易を活発に行う集落出身なので、アイヌ以外の知識についてもそれなりに持っているが、流石に三国志に関しては知らなかった。時光は様々な書物を幼い頃から読み漁っているのでその内容を知っているのだが、この故事は当然敵のウリエルも知っていて、同じ轍は踏まないように心掛けていると見て良いだろう。何しろあちらの方が本場なのだ。

 戦においては双方が失策を冒さなければ、膠着状態にしかならないので、相手の失策につけ込むこと自体は悪くない。しかし、それは相手が失策を冒す様に様々な策を仕掛けたりした結果によるものであり、ただ漫然と失策を冒すことを祈るのは優れた指揮官のすることではない。

「だからこうやって奇策をやる訳だ」

「違いない。ああ、もうそろそろ川に着くぞ」

 水の流れる音が聞こえて来るので、エコリアチに言われるまでもなくもうそろそろ目的地であると時光も思っていた。

 時光達が到着したのは、チユプペトを流れる川であった。川幅は相当あり、昼間の雨のためか水嵩も腰以上ありそうだ。到着した時光達はそれぞれ担いでいた荷物を地面に下ろす。それは丸木舟であった。

「この川を下れば、イシカリまで辿り着くんだよな?」

「多分な」

「多分なって、エコリアチ、お前さぁ……」

 どこか頼りないエコリアチの返答に、時光は勢いが削がれる感覚を覚えた。イシカリ出身で地理に詳しいエコリアチを頼りにしていたのに、この返答はその前提を覆してしまう。

「いや。イシカリに着くことは着くぞ? ただ、この川はしばしばその流れる場所が変わるんだ。特に雨の降った後はな。だから、イシカリの何処に到着するかは俺にも分からん」

「そういう事か。それなら構わん。イシカリの地域に到達して海の近くに行ければ十分だ」

 時光達の作戦はこうである。

 陸路で敵陣を突破するのは極めて困難である。ならば水路を使えば良いのだ。

 時光達が今目にしている川は西に向かって流れており、カムイコタンを抜けて最終的にイシカリの海に辿り着く。イシカリの沿岸部にはプレスター・ジョンの軍勢が蝦夷ヶ島にやって来た時に使用した船団が停泊しているはずで、ここを襲撃すれば敵も現在の盤石な態勢を保てなくなるはずである。

 特に、雨によって水嵩が増している今なら、多人数を乗せた丸木舟も運用しやすく、まとまった人数を送り込みやすいはずである。今日の雨を観天望気の術や地元のアイヌの経験で予想し、水路を使用した作戦を思いついた時から丸木舟を作成して準備していたのだ。

「流れが強いな。全員無事に到着するのは無理かもしれないぞ」

 エコリアチの言う通り、目の前を流れる川はゴウゴウと音を立てて勢いよく流れている。時折倒木が流れて行き、もしもこれと丸木舟がぶつかったら荒れる川中に投げ出されてしまうだろう。

「それも覚悟の上だ。だからこそ敵も油断しているだろう。奇襲にはもってこいだ」

 奇襲は戦いの原則の一つであり、その本質は敵の意表を突くことである。

 過去の奇襲による成果で、今回の時光の作戦に近いものとしては、源平の合戦における屋島の戦いを挙げることが出来るだろう。この戦いにおいて源義経は暴風雨の中四国に船で渡り、油断していた敵方を散々に打ち破った。

「さあ行くぞ。勝利は危険の中にこそあるものだ。それを乗り越えて勝利を掴もうじゃないか」

 時光は準備の出来た丸木舟に乗り込み、先陣を切って出発した。

 自ら死地に飛び込み勝利の栄光を掴むという思想は、人同士の争いが多い民族に良く見られるものであり、時光の様な鎌倉武士はともかく、アイヌ達には馴染みがない。しかし、時光の静かな決意を目にした彼らにもその思いが伝わったのか、それとも合理的に考えて作戦に賛同したのかは分からないが、全員が恐れることなく死に向かう川下りに乗り出した。
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