第73話「ワッサムの評定」

文字数 3,955文字

 ヤムワッカナイの集落で態勢を整えた時光達は、速やかに南下を開始した。蝦夷ヶ島の大部分を手中に収めたプレスター・ジョンの軍勢に反撃を加えるためである。カラプトからは海流に乗ったとはいえほとんど休まずの船旅で、まだ疲労が取れてはいないのだがそうも言っていられない。

 時光と共に進む者達は、蝦夷ヶ島とカラプト中から集められた戦士で、その数は一万を遥かに超えている。彼らは皆、厳しい自然に鍛えられた天性の狩人であり、その戦闘能力はかなりのものである。

 弱点は軍隊として見た場合、まとまりがなく、連携が取れていないという事であった。これは小競り合い程度ならさして問題にならないが、大規模な戦では致命的な問題である。敵対するモンゴル軍は空前絶後の英雄であるチンギス・ハーンにより、厳しい訓練を積むことを伝統としてきた精鋭である。これは十万から数十万の大軍でさえ一つの生物の様に動くことができる恐るべきもので、この時代これに匹敵するほど集団戦に関して練度の高い軍隊は存在しない。

 当然である。チンギス・ハーンや、彼に引き続くモンゴル帝国の歴代皇帝程に権力を掌握した者はいないのだ。イスラム圏の君主もキリスト圏の国王も、内部での権力争いにより有力諸侯の独断行動を抑えることは困難であり、集団として統制することは困難なのだ。時たまサラディンやリチャード一世の様な天才が個人的な能力により集団としてまとめ切ることはあるのだが、これはあくまで一過性のものである。集団戦に関して後に続く制度を残したチンギス・ハーンとは違うのだ。

 時光がこれから戦うプレスター・ジョンは、そのチンギス・ハーンの血を引いており、その配下には精強なるモンゴル軍や高い信仰心に裏付けられた指揮を誇る騎士団等がいる。彼らの勢力は一万を超える程度だが、キリスト教徒としての繋がりから支援する者はまだまだ大陸に控えている。まだ資金等に乏しいためその支援者は表立って協力していないが、蝦夷ヶ島の資源を手に入れたならそれを元手にして更に強力な軍隊を作り上げることだろう。そうなる前に勝負を挑まなければならないのだ。

 ヤムワッカナイを出発し、一週間ほど南下するとワッサムという地域に到着する。ここまでモンゴル軍には遭遇していない。ヤムワッカナイを襲撃した部隊は伏兵等の抵抗は考えなかったようだ。途中で蝦夷ヶ島にはほとんどいない筈の馬の糞が見つかっているが、真新しい物ではないので、余程思い切りよく離脱したらしい。

「それでは、評定を始める。先ずは敵情について整理するぞ」

 先行させていた斥侯から、この先に待ち受ける敵の配置に関しての報告が入ったため、この先に進めば戦闘は避けられないと判断した時光の主催により評定が始まる。参加者はサケノンクルやエコリアチといったアイヌの有力者やバーリン等のニヴフの有力者、それに加えて丑松、オピポー、グリエルモといった時光と直接かかわりのある者達だ。

 斥侯の報告によると、現在時光達がいるワッサムから南の峠を越えたところにチユプペトという平地があるのだが、その先は東、南、西に経路が分かれている。そして、その三つの経路のそれぞれに敵の部隊が待ち受けているらしい。

 先ず東の経路についてだが、東に進むとアイペツという地域があり、そこに漢人を主体とした部隊が待ち構えているという。ここを突破することが出来れば、まだプレスター・ジョンが手中に収めていない蝦夷ヶ島の東部地域との連絡を復活する事が出来る。

 次に南の経路についてだが、南に進むとピイエという地域があり、そこにモンゴル人を主体とした部隊が待ち構えているという。ここを突破することが出来れば、フラヌの盆地を回復することが出来る。フラヌは肥沃な原野が広がっており、モンゴル軍の主力たる騎兵を養うのに重要な地域だ。れを奪取することはモンゴル軍の戦力基盤を大きくそぎ落とすことになるだろう。

 最後に西の経路についてだが、西に進むとカムイコトンと言う地域があり、そこに騎士を主力とした部隊が待ち構えているという。ここを突破することが出来れば、イシカリの地域に進出することが出来る。イシカリは敵が上陸した地域であり敵にとって蝦夷ヶ島における橋頭保である。この地域を奪取、または脅かすことが出来れば敵は蝦夷ヶ島中に散らばった戦力を帰還させ、何としてもこの地域を固守することだろう。何せこの地域を奪われれば大陸の味方と補給などの連絡をとることも、場合により帰還するも出来なくなるのだ。これは避けたいところだろう。

 また、もしもこの経路を外れて山の中などを進軍しようとすれば、蝦夷ヶ島の厳しい自然の洗礼を受けることになるだろう。この島で生きるアイヌは自然に熟知しているが、その危険性も良く理解している。山の奥地に進めばその大半は帰還することは適わない。

 先に挙げた三つの経路はまだ人の領域だが、ここから外れると(カムイ)の領域である。そこに易々と進入することは、禁忌を犯すことに他ならない。

「さて、どの方向へ進軍したものか」

 三つの経路はそれぞれ利点や欠点がある。それらを良く分析して今後の行動方針を決定しなければならない。

 評定を開いたのは、この今後の方針を話し合い、その結果決定した行動方針を徹底し、細部の作戦を詰めるためだ。

 この要領は現在の軍隊でもとられる手法であり、米軍においては行動方針のことをO/C--our course of actionと言い、幕僚が集まって様々な事項を分析し、最終的には指揮官が決心する。重要なのはあらゆる可能性について話し合い、それについての対策を練ることなのだ。

「東に進んだらどうだろう。我々とて補給が万全な訳ではない。蝦夷ヶ島の東と連絡を回復できればその心配もなくなる。そうすれば長期戦も可能だろう」

「しかし、アイペツの道はかなり山がちだ。ここで待ち受ける漢人はおそらく歩兵主体だろう。かなり強力な陣地を築いているとみて間違いない。それに、長期戦はこちらが不利だ。モタモタしているとこの島の資源を元手に敵の増援が大陸から来るかもしれない。そうでなくてもあのミハイルという奴が率いる騎士団が、いつ追い付いて来るのか分かったものじゃないんだからな」

 ニヴフの有力者であるバーリンの意見に、サケノンクルが反論した。漢人はその発達した技術により古来から伝わる弩や、女直族から学んだ震天雷という火薬を用いた兵器を使用する。狭い道で、しかも高所を抑えた敵がそれらを使用してきた場合、かなり苦戦するだろう。また、陽動作戦で時光達をカラプトに釘付けにしていたミハイル達を逆に欺き、北の果てに置き去りにして時光達は蝦夷ヶ島にたどり着いたのだが、何時ミハイルが騙されていたことに気が付くのか見当もつかない。ミハイルは歴戦の勇将であり、その軍略は恐るべきものだ。彼が到着する前に勝負をつけておきたい。

「では、サケノンクルの意見はどうなのだ?」

「南だな。この方向にいるモンゴル人こそが敵の主力だ。こいつらが他の部隊と分離している時に叩いてしまえば、他の奴らは強敵ではあるがそれ程多くは無い。奴らが連携する前に中核を抑えるべきだ。ただ、この地域に進むことは私情も入っている。その事は念頭においてくれ」

「ああ。サケノンクルが長を務めるウペペサンケの集落は、フラヌの更に先にあるんだったな。確かにそこに通じる地域を敵から奪い返したいだろう。冷静な申し出ありがとう。流石アイヌの戦士団を統括するだけの事はある」

 南に進み、敵の中でも有力な部隊が分断している隙に叩くというのは魅力的な提案である。ただし、有力な部隊であるという事は、それだけ強力な部隊だという事だ。つまり勝利するのが、より難しいという事である。しかも、ピイエは丘陵地帯であるが、他の経路よりも開けた地域だ。騎兵の運用に適していると言える。という事は世界最強とも目されているモンゴルの弓騎兵とまともに戦う事になってしまう。以前の戦いではこれに対抗することが出来たのだが、それはあらかじめ準備した地域に誘導しての話だ。今回はこちらから攻め込まなくてはならず、逆に敵が準備していることだろう。

「他の意見は?」

「西はどうかな? この地域を突破すれば、イシカリに進出できるし、イシカリ沿岸に停泊している敵の船団を確保すれば、勝負は終わったも同然だ。停戦交渉にだって持ち込めるだろう。それにカムイコタンの辺りは道が狭いが、この地域にいる敵の騎士団はそんな地形ではまともに運用できないはずだ。勝てる見込みが高いんじゃないか? まあ俺もイシカリ出身だから早く故郷を取り戻したいという思いがあるかもしれないから、その分は差っ引いて判断してくれ」

 この意見を述べたエコリアチは、イシカリの集落の長の息子だ。当然ながらイシカリを敵に奪われている事に対して、忸怩たる思いがあるのだろう。しかし、停戦交渉の事まで考慮に入れているのは流石である。幼いころから和人などと交易をして来ただけの事があり、かなり視野が広い。

 しかも、戦術的にもかなり妥当だと時光にも思えた。この地域に待機している騎士の先鋒は、長大な槍による騎兵突撃(ランスチャージ)である。これをするには広い地形が必要だ。カムイコタンの地形はそれに適していない。逆に大自然の中狩猟によって生きてきたアイヌの得意な戦場である。

「よし。決めたぞ。今晩ここを出発し、進路を西に取る。そして夜明けと共にカムイコタンの敵を撃破してイシカリに向かうぞ」

 時光の決心により評定は終了し、部族の代表者たちはそれぞれが率いる戦士達と共に作戦準備を開始した。

 この決心が正しかったかどうかは、戦が始まるまで誰も知ることは出来ないのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み