第75話「峠の怪物」

文字数 3,303文字

 カムイコタンの隘路に陣を張るプレスター・ジョンの配下の騎士団に対し、時光とともに進むアイヌ等の戦士団は、木製の大盾を前面に押し出して進んだ。騎士団のクロスボウによる一斉射撃はこれで防げるはずである。また、クロスボウは矢の再装填に時間を要する。一撃目の斉射を乗り切れば後は勝利が決するはずであった。

「来たぞ! 盾持ち! 防げ!」

 先頭付近を進む時光は、敵のクロスボウから矢が発射されるのを確認すると、すぐさま防御の指示を出した。

 クロスボウで使用される太矢(クォレル)は普通の弓で使用される矢よりも短く、更には凄まじい速度で射出される。クロスボウの機械的に弓を引いたり、引いた弦を金具に固定できるため、より強い弓を使用できるためだ。弱点としては射距離が長くなると起動が安定しなかったり速度が落ちやすかったり、当然のことながら準備に時間がかかったりと様々ある。しかし、現在の状況は敵は撃ちおろす態勢であり、しかも待ち構えて準備をしているため、弱点は軽減されている。

 だが、かなり大きめの盾を携行しているという事前の準備もあり、敵の斉射に対して最小限の被害で切り抜けられそうである。一部の盾がクロスボウの矢が何本も突き刺さる威力に耐えきれず、破壊されてしまいその盾の後を進軍していた者達に被害が出ているが、大勢に影響はない。

 後は接近戦に持ち込んでしまえば、直線的な射撃しかできないクロスボウは味方を巻き込むため、更には準備の際に無防備になり過ぎてしまうために使用できないはずだ。

 そして、敵の主力である長大な騎兵槍(ランス)を使用する騎士達は、狭い山道ではその真価を発揮することが出来ない。彼らはその実力を最大限発揮できるのは故郷の大平原なのである。先頭の突撃さえ防いでしまえば、狭い道で後続がつかえてしまい、後は身動きの取れないところを弓でゆっくり制圧するか、取り回しのきく刀で突撃するまでだ。

「小回りが利かない兵種で、この様な隘路に布陣した己の愚かさを恨むのだな!」

 時光は雄叫びを上げながら敵陣に切り込んで行った。

 時光とてその本領は重装弓騎兵たる鎌倉武士である。本当は騎乗して戦いたいのだ。しかし、この地は騎乗戦闘に向いていないと判断し、徒歩で戦う事を選択したのである。幼いころから兵法書を読み漁り、加えて最近は蝦夷ヶ島やカラプトで戦い土地勘や経験が増えた事による判断だ。

 恐らくこの地の騎士団を指揮しているのは、女騎士のガウリイルであろう。彼女は騎士団の全てを率いる老騎士のミハイルの養女であり、騎士として様々な薫陶を受けている。しかし、まだ経験が浅いため自らの兵種に向かない場所に布陣したのかもしれない。

 時光はそう考えた。

「かかったな! トキミツ!」

 敵陣に切り込もうとする時光の耳に、金属製の兜で顔面を覆っているためにくぐもっているが、女性の声が届いた。ガウリイルの声である。

 次に、時光の目に飛び込んできたのは、回転しながら迫りくる丸太であった。

「跳べ! かわせ!」

 丸太の太さはそれ程太くはない。膝よりも低い位だ。そのため時光も含めほとんどの戦士達が回避に成功する。後続の者で指示に反応しきれなかった者が幾人か巻き込まれるが、被害はそれ程大きくない。

 しかし、敵の作戦の本番はこれからであった。

 丸太を回避した時光達に対して、次に襲いかかったのはランスを構えて突撃してくる騎士達であった。通常なら大量の矢を射かけるか、ランスよりも長い槍で待ち構える事で防ぐ事が出来るのだが、丸太を回避して態勢が崩れているためすぐに対応できない。

 ある者は穂先に串刺しとなり、ある者は馬蹄の餌食となる。道が狭い事は時光達に災いし、たった一回の突撃で先頭集団は甚大な被害を負った。散発的に矢を射かける者がいるのだが、騎士は馬も含めて金属製の鎧に身を包んでおり、大きな盾を前に掲げている。とても防ぎきれるものではなかった。

 そして、恐ろしい事にこの大惨事を引き起こしたのは、立った数騎の騎士なのである。大軍の突撃ではないのだ。

「下がれ! 下がるんだ! 倒れている味方で生きている者は引きずって来い!」

 道の脇に逃げ込み、穂先にかかることを回避した時光は、降りかかった余りの被害にすぐさま後退の指示を出す。

 時光が指示を出すまでもなく、仲間の被害に前進の意思を喪失していた戦士団は、即座に後退を開始した。それでも士気が低下しても負傷した味方を律儀に連れて行くのは流石の事であった。

 退却する時光達を騎士達は追撃してくることはなかった。また元の位置に戻り時光達の際突撃に備え始めた。

 後退し終えた時光は、自らの判断の誤りに気付いた。

 確かに狭い山道は、重装備で小回りの利かない騎士達が本来の戦い方が出来る戦場ではない。なので、戦力を発揮できない筈であった。

 しかし、別の見方をするならば強力な防御力と攻撃力を誇る騎士は、このように狭い地形なら少数でも大軍と渡り合う事が出来るのだ。何せ一対一で騎士に勝る防御力と攻撃力を備えた戦士は、この世界に存在しないのだ。

 モンゴル騎兵は機動力では勝るが、流石に防御力と攻撃力は騎士に劣るし、ある意味最も優れた点である組織力はこの地形では発揮しずらい。

 鎌倉武士は防御力と攻撃力を兼ね備えているが、接近する前に弓で射殺せなければやはりランスの餌食となってしまうだろう。

 もちろん、大型の弩であるバリスタで接近前に、人間の防御力などお構いなしに撃つ殺すように、兵器や戦法を工夫すればやってやれない事はないのだが、純粋に戦士の実力としてこの状況で騎士に有利に立つのは難しい。

 まさに怪物である。

 この様な状況は現代戦も生起している。

 例えば朝鮮戦争において、北朝鮮はソ連製の戦車であるT-34を保有していたが、対する韓国軍は戦車を保有していなかった。これは、朝鮮半島が山がちな地域であり、ヨーロッパの平原のように戦車を十分運用するのには向かないと判断されていたためだ。また、戦車を撃破するには、歩兵が持つバズーカで十分だとされていたのである。そして、狭い山道を縦列で進む戦車は、先頭さえ撃破してしまえば後続は行き場を失い、袋叩きに出来ると踏んできたのだ。

 しかし、開戦してすぐにその考えは間違えていた事は、韓国や米国の兵士の流された血の量が証明している。

 先の世界大戦で活躍していたT―34はバズーカ如きでは止められず、逆に一気に防御陣地を突破されてしまい、あっという間に首都が陥落してしまった。

 道が狭く、少数対少数にならざる負えない戦場では、戦車の様な言わば陸戦の王者に対して戦車なしで挑むのは余りにも無謀だったのだ。T―34に惨敗したのは、創建間もない韓国軍だけではない。世界最強を謳われる米軍も同じ目に合っている。

 その後、戦車や新兵器の携帯用のロケットランチャーが増援されることでT-34に対抗できるようになったものの、それまでT-34を止めることが出来た主な攻撃手段は、韓国軍の歩兵が爆弾を抱えて突撃するという、ほんの少し前の戦争でどこかの極東の島国の兵士がやっていた戦法である。

 それはさておき、時光は判断を迫られていた。

 被害を無視して強行突撃するか、道を外れてじっくりと浸透するか、ここは諦めて退却するかである。

 強行突撃すれば、兵力差から最終的には勝利できることは間違いない。しかし、敵の本隊が控えている現状で味方を無駄に損耗するのは避けたいところだ。

 道を逸れて浸透するのは、蝦夷ヶ島の自然に慣れたアイヌの戦士が主力であることから、確実性が高い作戦だと思われる。

「よし! 作戦変更、道をはず……」

「報告! ピイエの方で敵が活動を開始したらしい!」

 時光の指示は伝令の報告により遮られた。ピイエは敵の主力であるモンゴル騎兵が布陣していた地域である。このままでは挟み撃ちになってしまうだろう。もちろん、そうなる前にこの地を陥落させることができる可能性もあるのだが。

「……退却だ! ワッサムまで下がるぞ」

 ここで博打をするわけには行かない。そう判断した時光は、速やかに退却の指示を出した。
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