第59話「穴の中の一夜」
文字数 3,620文字
「コロポックル!」
「なに?!」
時光は叫び声を上げて深い眠りから目覚めた。妙な声を発してしまったためか、それに驚く声がすぐ近くでした。
すぐ近くとは、息がかかる位近い。声の主は円筒形の金属兜をかぶった女騎士のガウリイルであった。心肺蘇生の時に兜を外したのだが、時光が眠っている間にかぶり直したらしい。
二人は時光が寒さを凌ぐために掘った狭い穴の中で体を寄せ合っていた。若い男女が体を寄せ合っているといっても、お互いに大鎧と鎖帷子 の完全武装である。色っぽいところは何もない。
冷たい外気を遮断するため、穴に蓋をしている布を通してうっすらと月明かりが差し込んでおり、お互いの事はぼんやりと把握できる。
「コロポックルとは何のことだ?」
「えーと。あれだ。小人の類だ」
コロポックルとは、アイヌに言い伝えられている妖精の類で、その名前は「蕗の葉の下の人」という意味である。
もちろん、実在しない。
時光はこれまでもコロポックルを目撃しているが、眠気や毒による昏睡などによる幻覚に過ぎない。今回も低体温と疲労によって夢の中でコロポックルを見ていたのだろう。
それを真顔で問いただされると少し気恥ずかしい。
「小人? つまりドワーフやゴブリンの類か?」
「どわあふ? ごぶりん? 良く分からんが、まあそんなところだろう」
時光は西方から来た修道士のグリエルモからラテン語を習っているので、ある程度はヨーロッパの単語を理解できる。現に今ガウリイルと意思疎通に使用しているのはラテン語だ。しかし、流石にヨーロッパの一地方に伝わる妖精の類についての知識はない。
妖精の話などは全く重要ではないのだが、それだけにこの様な話を出来るという事は既にお互い命のやり取りをする気は無い事の証明である。そのことに思い至った時光は安堵した。
時光はこれまでガウリイルを騎射で射殺そうとしたり、震天雷で氷を叩き割って海に沈めようとしたりと碌なことはしていない。逆にガウリイルも時光に対して「死ね!」位しか言葉を発していないし、騎兵槍 で突き殺そうとしてきた。
それでもいざ二人で向き合っていると、特に憎しみなどは湧いて来ない。
戦においては容赦はしないが、一旦その場を離れれば戦場の事は引きずらない。これは古今東西における戦士の常識の様なものである。とは言ってもある意味建前のような面もあり、戦場での恨みを戦場以外で晴らす者も実際は多い。
しかし、時光は幼い頃から武士としての厳しい稽古を積んでおり、しかもこの北方での戦いの前は本格的に戦ったことがない。よって建前を本気で信じている、ある意味幸せな一面がある。
また、ガウリイルを騎士として育て上げた養父のミハイルは、騎士道を体現したような謹厳実直な人物である。そして、幼いころから故郷を離れ、東方世界で育ってきたガウリイルは、本場ヨーロッパにごまんといる腐敗した騎士は見たことがない。つまり、騎士道を守ることは当然であると考えている。
その様な二人が揃ったのだから、戦場外ではある意味友好に接することが出来るのは当然のことであった。
「夜が明けたら表に出て仲間を探すとしよう。その時はお互い協力し、どちらかの味方と合流した際も危害は加えない。それでいいな?」
「構わない。恐らく本格的な戦闘はこの季節では行われないだろうしな」
プレスター・ジョンの配下であるミハイルは、奇襲的に大陸からカラプト島に侵攻し、大陸からカラプト島に渡った際の重要拠点であるボコベー城を陥落させた。しかし、その後のプレスター・ジョン率いる本隊は、時光の本拠地への奇襲などによってかく乱され、その間にカラプト・蝦夷ヶ島の各部族は準備を整えている。最早早期決着は望めず、新たな戦略を練り直さねばならない。とりあえずこの季節に本格的な戦いは生起しないだろう。
お互いの身の安全を保障し合った二人は、それから取り留めもない話を始めた。睡魔を払い意識を保つためだ。一眠りしてある程度体力を回復させた今、睡眠はさほど必要ではない。逆にこれから夜が深まるにつれ気温が下がるので、睡眠による体温の低下は死を招きかねない。ある程度の防寒処置はしているのだが、気は抜かないのに越したことはない。
時光は自分が武士の十四男として生まれ、幼少から文武幅広く訓練を重ねて来たこと。兄弟が多いために相続する土地が危ぶまれていた所に、老齢の父親が若い後妻に子どもを産ませて止めを刺してきたこと。武士の最高権力者である執権の北条時宗は時光の幼馴染であり、北方における蒙古軍の動きを探るよう任務を与えて来たことなどを話した。
ガウリイルは自分が東ヨーロッパで生まれたのだが、物心つく前に出身地はモンゴル軍に征服され、その後ノヴゴロド公国からモンゴル軍に差し出された騎士のミハイルが養父として引き取ってくれたこと。女だてらに騎士としての修行を積み、今ではミハイル指揮下の若手の騎士を取りまとめる立場にあること。数年前に養父のミハイルと共にプレスター・ジョンの配下になったことを話した。
「ふふっ。トキミツは父親の好色に悩まされているというのですね」
「好色って程じゃないと思うが、悩んでいるのは確かだな。逆に俺なんか未だに嫁の来てがいないというのに……」
「婚姻を結んでいない者が童貞を守っているのは神の御心にもかなう事。我らの神の教えに従えば、きっと素晴らしい騎士になるでしょう」
何故か嬉しそうに言うガウリイルの言葉に対し、時光は心の中で、結婚していないからといって童貞とは限らないぞ、と呟いた。
まあ童貞なのだが。
時光は顔立ちは精悍で悪くはないのだが、髭が濃くならない体質だ。この地域において勢力を築いているアイヌの成人男性は、皆立派な髭を蓄えている。そして彼らの美意識は女性も含めて、一人前の男子たる者立派な髭がなくてはならないというものだった。残念ながら時光はその価値観と合致せず、この地域の女性にモテることは無かった。
「俺だって故郷に戻れば……あっそうだ。ガウリイルから見て俺の顔はどうだと思う?」
「ん? 平たい顔をしているな。モンゴル人と同じだ」
「あっそ」
前年ながらヨーロッパ出身のガウリイルからすれば、時光の顔立ちは美意識の俎上に上る以前のものであったようだ。
「トキミツ。我らの仲間にならないか? 恐らくプレスター・ジョンは今までの争いは水に流して、歓迎してくれることだろう」
「は? 俺が?」
唐突にガウリイルから勧誘されて、時光は面食らった。
「いや。それは無いだろう。蒙古の配下でいくら戦っても土地はもらえないだろ」
モンゴルの支配体制は土地を基準とした一般的な封建国家とは違う。権力者は土地ではなく人や家畜、財産を所有する権利を与えられるのだ。この辺りは遊牧民ならではといったところだろう。一応土地に対する支配権に近いものとして、その土地で家畜を遊牧して良いという権利もあるが、封建制の土地支配とは一線を画している。
なお、現在のモンゴル帝国皇帝であるフビライは、漢人の制度を次第に取り入れているので、一部では土地を基準にした支配体制が構築されている。しかし、それはモンゴル帝国全体では少数派だし、帝国の中でもフビライが統治する元王朝の支配地域外の有力者には反発する者も多いのだ。
ともかく、モンゴル帝国は土地を基準とした支配体制ではなく、その事を時光は情報収集により知っていた。
「何故土地が欲しいのだ?」
「何でってそりゃあ……」
ガウリイルの根本的な問いに対して、答えようとした時光は言い淀んだ。明確な答えなど無かったのだ。
時光はこの数年間蝦夷ヶ島やカラプトで、そこに生きるアイヌ達と暮らしていた。彼らにはある程度の縄張りの様な認識はあるが、土地を支配するような事はしていない。それでも山海の恵みによりそれなりの生活を送っている。これだけ考えれば土地を支配する必要はない。
もちろん、日本列島で安定した生活を保つには、農業が必要で、それをするには土地の支配権を明確化する必要がある、などの様々な理屈は当然としてある。しかし、時光は自信を持って答えることは出来なかった。
とは言え、時光の中には土地に対する執着は、消えることなく残っている。強いて言うなら武士の本能のようなものかもしれない。一 所 懸 命 の言葉が表すように、土地を守るというのは武士にとって一番大事な事なのだ。
「まあ良い。考えておいてくれ。悪いようにはしない。カラプトや蝦夷ヶ島の民も含めてな」
この後も雑談は夜明けまで続いた。
夜明けと共に穴から這い出た二人は、すぐにそれぞれの仲間を探し当てた。時光とガウリイルの水没後、休戦の約定が交わされ共同で水没した味方の捜索と救助にあたっていたのだ。
氷の上を歩いて大陸に戻っていくガウリイル達を見送りながら、時光はガウリイルと過ごした一夜とその時の言葉を反芻していた。
「なに?!」
時光は叫び声を上げて深い眠りから目覚めた。妙な声を発してしまったためか、それに驚く声がすぐ近くでした。
すぐ近くとは、息がかかる位近い。声の主は円筒形の金属兜をかぶった女騎士のガウリイルであった。心肺蘇生の時に兜を外したのだが、時光が眠っている間にかぶり直したらしい。
二人は時光が寒さを凌ぐために掘った狭い穴の中で体を寄せ合っていた。若い男女が体を寄せ合っているといっても、お互いに大鎧と
冷たい外気を遮断するため、穴に蓋をしている布を通してうっすらと月明かりが差し込んでおり、お互いの事はぼんやりと把握できる。
「コロポックルとは何のことだ?」
「えーと。あれだ。小人の類だ」
コロポックルとは、アイヌに言い伝えられている妖精の類で、その名前は「蕗の葉の下の人」という意味である。
もちろん、実在しない。
時光はこれまでもコロポックルを目撃しているが、眠気や毒による昏睡などによる幻覚に過ぎない。今回も低体温と疲労によって夢の中でコロポックルを見ていたのだろう。
それを真顔で問いただされると少し気恥ずかしい。
「小人? つまりドワーフやゴブリンの類か?」
「どわあふ? ごぶりん? 良く分からんが、まあそんなところだろう」
時光は西方から来た修道士のグリエルモからラテン語を習っているので、ある程度はヨーロッパの単語を理解できる。現に今ガウリイルと意思疎通に使用しているのはラテン語だ。しかし、流石にヨーロッパの一地方に伝わる妖精の類についての知識はない。
妖精の話などは全く重要ではないのだが、それだけにこの様な話を出来るという事は既にお互い命のやり取りをする気は無い事の証明である。そのことに思い至った時光は安堵した。
時光はこれまでガウリイルを騎射で射殺そうとしたり、震天雷で氷を叩き割って海に沈めようとしたりと碌なことはしていない。逆にガウリイルも時光に対して「死ね!」位しか言葉を発していないし、
それでもいざ二人で向き合っていると、特に憎しみなどは湧いて来ない。
戦においては容赦はしないが、一旦その場を離れれば戦場の事は引きずらない。これは古今東西における戦士の常識の様なものである。とは言ってもある意味建前のような面もあり、戦場での恨みを戦場以外で晴らす者も実際は多い。
しかし、時光は幼い頃から武士としての厳しい稽古を積んでおり、しかもこの北方での戦いの前は本格的に戦ったことがない。よって建前を本気で信じている、ある意味幸せな一面がある。
また、ガウリイルを騎士として育て上げた養父のミハイルは、騎士道を体現したような謹厳実直な人物である。そして、幼いころから故郷を離れ、東方世界で育ってきたガウリイルは、本場ヨーロッパにごまんといる腐敗した騎士は見たことがない。つまり、騎士道を守ることは当然であると考えている。
その様な二人が揃ったのだから、戦場外ではある意味友好に接することが出来るのは当然のことであった。
「夜が明けたら表に出て仲間を探すとしよう。その時はお互い協力し、どちらかの味方と合流した際も危害は加えない。それでいいな?」
「構わない。恐らく本格的な戦闘はこの季節では行われないだろうしな」
プレスター・ジョンの配下であるミハイルは、奇襲的に大陸からカラプト島に侵攻し、大陸からカラプト島に渡った際の重要拠点であるボコベー城を陥落させた。しかし、その後のプレスター・ジョン率いる本隊は、時光の本拠地への奇襲などによってかく乱され、その間にカラプト・蝦夷ヶ島の各部族は準備を整えている。最早早期決着は望めず、新たな戦略を練り直さねばならない。とりあえずこの季節に本格的な戦いは生起しないだろう。
お互いの身の安全を保障し合った二人は、それから取り留めもない話を始めた。睡魔を払い意識を保つためだ。一眠りしてある程度体力を回復させた今、睡眠はさほど必要ではない。逆にこれから夜が深まるにつれ気温が下がるので、睡眠による体温の低下は死を招きかねない。ある程度の防寒処置はしているのだが、気は抜かないのに越したことはない。
時光は自分が武士の十四男として生まれ、幼少から文武幅広く訓練を重ねて来たこと。兄弟が多いために相続する土地が危ぶまれていた所に、老齢の父親が若い後妻に子どもを産ませて止めを刺してきたこと。武士の最高権力者である執権の北条時宗は時光の幼馴染であり、北方における蒙古軍の動きを探るよう任務を与えて来たことなどを話した。
ガウリイルは自分が東ヨーロッパで生まれたのだが、物心つく前に出身地はモンゴル軍に征服され、その後ノヴゴロド公国からモンゴル軍に差し出された騎士のミハイルが養父として引き取ってくれたこと。女だてらに騎士としての修行を積み、今ではミハイル指揮下の若手の騎士を取りまとめる立場にあること。数年前に養父のミハイルと共にプレスター・ジョンの配下になったことを話した。
「ふふっ。トキミツは父親の好色に悩まされているというのですね」
「好色って程じゃないと思うが、悩んでいるのは確かだな。逆に俺なんか未だに嫁の来てがいないというのに……」
「婚姻を結んでいない者が童貞を守っているのは神の御心にもかなう事。我らの神の教えに従えば、きっと素晴らしい騎士になるでしょう」
何故か嬉しそうに言うガウリイルの言葉に対し、時光は心の中で、結婚していないからといって童貞とは限らないぞ、と呟いた。
まあ童貞なのだが。
時光は顔立ちは精悍で悪くはないのだが、髭が濃くならない体質だ。この地域において勢力を築いているアイヌの成人男性は、皆立派な髭を蓄えている。そして彼らの美意識は女性も含めて、一人前の男子たる者立派な髭がなくてはならないというものだった。残念ながら時光はその価値観と合致せず、この地域の女性にモテることは無かった。
「俺だって故郷に戻れば……あっそうだ。ガウリイルから見て俺の顔はどうだと思う?」
「ん? 平たい顔をしているな。モンゴル人と同じだ」
「あっそ」
前年ながらヨーロッパ出身のガウリイルからすれば、時光の顔立ちは美意識の俎上に上る以前のものであったようだ。
「トキミツ。我らの仲間にならないか? 恐らくプレスター・ジョンは今までの争いは水に流して、歓迎してくれることだろう」
「は? 俺が?」
唐突にガウリイルから勧誘されて、時光は面食らった。
「いや。それは無いだろう。蒙古の配下でいくら戦っても土地はもらえないだろ」
モンゴルの支配体制は土地を基準とした一般的な封建国家とは違う。権力者は土地ではなく人や家畜、財産を所有する権利を与えられるのだ。この辺りは遊牧民ならではといったところだろう。一応土地に対する支配権に近いものとして、その土地で家畜を遊牧して良いという権利もあるが、封建制の土地支配とは一線を画している。
なお、現在のモンゴル帝国皇帝であるフビライは、漢人の制度を次第に取り入れているので、一部では土地を基準にした支配体制が構築されている。しかし、それはモンゴル帝国全体では少数派だし、帝国の中でもフビライが統治する元王朝の支配地域外の有力者には反発する者も多いのだ。
ともかく、モンゴル帝国は土地を基準とした支配体制ではなく、その事を時光は情報収集により知っていた。
「何故土地が欲しいのだ?」
「何でってそりゃあ……」
ガウリイルの根本的な問いに対して、答えようとした時光は言い淀んだ。明確な答えなど無かったのだ。
時光はこの数年間蝦夷ヶ島やカラプトで、そこに生きるアイヌ達と暮らしていた。彼らにはある程度の縄張りの様な認識はあるが、土地を支配するような事はしていない。それでも山海の恵みによりそれなりの生活を送っている。これだけ考えれば土地を支配する必要はない。
もちろん、日本列島で安定した生活を保つには、農業が必要で、それをするには土地の支配権を明確化する必要がある、などの様々な理屈は当然としてある。しかし、時光は自信を持って答えることは出来なかった。
とは言え、時光の中には土地に対する執着は、消えることなく残っている。強いて言うなら武士の本能のようなものかもしれない。
「まあ良い。考えておいてくれ。悪いようにはしない。カラプトや蝦夷ヶ島の民も含めてな」
この後も雑談は夜明けまで続いた。
夜明けと共に穴から這い出た二人は、すぐにそれぞれの仲間を探し当てた。時光とガウリイルの水没後、休戦の約定が交わされ共同で水没した味方の捜索と救助にあたっていたのだ。
氷の上を歩いて大陸に戻っていくガウリイル達を見送りながら、時光はガウリイルと過ごした一夜とその時の言葉を反芻していた。