第68話「船団」

文字数 3,310文字

 時光達はヌルガン城を後にしてカラプトに帰還する道を進んでいた。来る時はプレスター・ジョンの配下が護衛についていたが、当然ながら帰り道にはその様なものは付かない。交渉が決裂したのであるから当然のことである。時光と共に歩むのはアイヌやニヴフの戦士達などだ。

「とは言え、監視位付けそうなものだがな」

 時光は独り言のように疑問を発した。これから敵になるのであるから護衛などを付ける待遇は無くなって当然であるが、監視を付けないのは不思議な事である。

「こっそり付けているのでは?」

「そうか? 気配は全く感じられないぞ」

 丑松の返答に対してサケノンクルが疑問を唱える。サケノンクルはアイヌの集落の長であるが、優れた狩人でもある。鋭敏な感覚を持つ獣を狩る彼らアイヌの戦士は、時として獣に勝る感覚を発揮する。そのサケノンクルが気配が感じられないと言っているのだから、本当にいないのかもしれない。

「ところで俺が皆の意見を代表して従わないと言ってしまったが、大丈夫か? 敵は強大だ。従った方が楽かもしれないぞ?」

「何を言っているんだ。もしもそうならあの場で、お前が何を言おうがそう言っている。侵略に対しては断固として戦い、自由のためには命を懸ける。それがアイヌの生き方だ。これは蝦夷ヶ島やカラプトに生きるアイヌの総意と言っても良い。ニヴフやウィルタも同じ考えだ。お前の方こそどうなのだ? 今寝返ればかなりの厚遇が期待できるんじゃないか?」

「その件は昨日プレスター・ジョンに言った通りだ。俺達武士は先祖伝来の土地を守るために命を懸ける。それが例え異国の大軍で、その総大将が日本の由緒ある血を引いていたとしてもだ」

「まあ、チンギス・ハーンが源義経だから日本に対して報復で攻め込むというのは少し無理がありますからな」

 流石にプレスター・ジョンが大義名分として掲げようとしていたこの説はツッコミどころが多すぎる。ただし、大義名分などこの様な無茶苦茶なものが多いのだ。もしもプレスター・ジョンが攻め込んできた時に日本側が一時的にでも不利になった時、この大義名分を利用して裏切ろうとする武士が出てきたとしてもおかしくはない。完全に縁もゆかりも無い夷敵に寝返るのと、源氏の血、ひいては天皇の血を引く者に寝返るのでは心理的な抵抗が段違いだ。

「ふん! もしも本当だったとしたら、逆にこちらから大陸に攻め込む大義名分にもなるぞ。なにせ義経追討の院宣は出たままだからな。後白河法皇が崩御されたとしてもその効力は失ってはいない」

 時光は冗談めかして言った。チンギス・ハーンが源義経だったとした場合、プレスター・ジョンはおろか元朝皇帝のフビライ、更には西方に勢力をもつハイドゥなどのチンギス・ハーンの血を引く君主は皆源義経の子孫という事になる。拡大解釈をすれば彼らもまた追討対象であり、彼らを成敗した暁にはその土地は日本のものとなる。

 実効性の無い壮大な大陸雄飛の夢だが、言ってみればプレスター・ジョンの北方からの侵攻計画も、フビライにより西国に計画されている日本侵攻計画も、全ては同じ位出鱈目な話なのだ。

 だが、それを実行する力をモンゴル帝国は持っている。これに対して絵空事と捉えることは禁物である。

「そう言えば、俺がプレスター・ジョンと話している間、皆は何を話していたんだ。俺はかなり緊張していたからそっちまで気が回らなくてな」

「兵法について色々聞かれましたな。こちらの弓や太刀を扱う技術に興味があるようです。後、相撲の話にも関心がありましたよ」

「うむ。俺もアイヌの弓や槍の技術について聞かれたな」

 丑松やサケノンクルの回答から、少しでもこちらの情報を引き出して、今後の戦いに備えようとしているのだと時光は判断した。

「私はニコーロ=ポーロ達にプレスター・ジョンの配下となって神の教えを広めないかと誘われました」

「……まあグリエルモさんに戦闘技術の話はしないだろうな。で、どう返答したんです?」

「勿論断りましたよ。何故異端のネストリウス派のために祈らなければならないのですか?」

 グリエルモの回答はいつもと同じように全くぶれないものであった。時光はこの揺るがない姿勢を見て、いつもなら半分呆れるのであるが、今回ばかりは頼もしく、ほっとするのであった。

 そんなやり取りをしながら帰路を進み、数日経った。もう少しでカラプトに渡る船を停泊させている地点である。ここまでの間、特に監視されている気配は感じられなかった。

「若? どうしました。向かうのはあちらですぞ」

「折角だから少し調べて行こうと思ってな。ボコベー城に居たニヴフの話だとあっちの方に入り江があるらしいんだ」

 海峡を渡ってカラプトに戻ったら、時光が再び大陸に渡るのは難しいだろう。今のうちに見れる所は見ておきたいのだ。

 ほとんどの者は先に船の位置まで戻らせ、時光と共に行動するのは直属の丑松とニヴフのホトボンという戦士だけとなった。いざとなったらサケノンクルが皆をまとめてカラプトに帰還し、戦の指揮を執ることになっている。

「これは……かなりの規模だな。千人や二千人位は一気に運べるんじゃないか?」

 捜索を開始し、目指す入り江に到達した時光は、すぐに目ぼしいものを発見した。

 入り江には何隻もの大型の船が停泊しているのが見える。この地域に詳しいホトボンによると、この船は女直族が造る様式の船であり遠洋航海にも耐えうるものだという事だ。

 女直族――女真族の名でも知られているが、彼らは遊牧民族というイメージがあるため、馬の扱いはともかく船を造ると聞いてもピンとこないかも知れない。しかし、彼らは優れた造船や冶金の技術を持つ民族である。

 大陸にはすぐ近くに漢人の宋という、世界に冠たる造船技術を持つ国があるため、女直の造船技術は目立たないがこれもかなりのものである。数百年前には刀伊の入寇という事件が発生し、女直族が壱岐、対馬、九州に対して襲撃を仕掛けてきたのだ。最終的には当時大宰府において指揮を執っていた貴族の藤原隆家と九州の武士達の活躍もあって押し返したのだが、要は遥か昔から女直族は日本海を超えて侵攻するだけの造船技術があったという事である。

 さらに言えば、現在フビライの命によって高麗において日本侵攻のための船団が作成されているが、この造船にあたっているのは高麗の技術者に加え女直族も駆り出されている。

 これらの事から、今時光の目の前にある船は、単に大陸の沿岸を航海するのではなく、海を超えるだけの性能を有していると見て間違いがない。

「近づくのは危険だからここはこの位にしておこう。別の地点も見てみるか。確かもう少し離れた所にも船を停泊させるのに適した場所があるんだろ?」

「おい。貴様らそこまでにしておけ」

 他の地点を偵察しようとした時光達に、不意に声がかけられた。少し拙いラテン語である。

 完全に不意を突かれ、驚いている時光達の前に浅黒い肌をした男が現れた。プレスター・ジョンの配下であるイスラフィールである。

「無事に帰してやったのだ。欲を張ろうとするな」

「あ、ああ。分かったよ。すぐに帰るとしよう」

 イスラフィールが姿を現すまで、時光達はその存在に全く気が付いていなかった。辺りには草が生い茂っているので、移動すれば草をかき分ける音がかなり響くというのにだ。獣の移動ですら察知できるというのに、この男の行動は完全に気配が消されていて察知できなかったのだ。もしかしたら、ヌルガン城を出てからずっと時光達を監視しており、その事に全く気が付けなかったのかもしれない。

 時光はこれまでの戦いでイスラフィールとも戦ってきた。その中で彼が軍を率いている様子は無かったので、プレスター・ジョンの軍勢における他の幹部よりも格下かと思っていたが、それは大きな間違いだったのかもしれない。直属の騎士団を率いるミハイルの様な活躍は出来ないが、イスラフィールは単独でそれに匹敵する様々な活動をすることが出来るのだろう。

 その不気味な存在感を感じて時光は冷や汗を流し、それは海峡を渡ってボコベー城に戻るまで止まることは無かった。
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