第52話「トナカイに乗ったサタン」

文字数 3,735文字

 ヌルガン城の近くまでプレスター・ジョンが軍勢を率いて戻ってきた時、既に夕方で日が落ちようとしていた。急いで進軍してきたこともあるので、城攻めは夜が明けてから開始することとし、夜は休憩することになった。

 当然のことながら簡易的な陣地を構築し、見張りも十分たてている。輸送に使っていた荷車などを活用することで即座に防御力を高めることが出来るので、プレスター・ジョンの軍勢ではよく使う手法だ。モンゴルの民はこの様な防御方法についてはあまりやらないが、プレスター・ジョンの配下には世界各地の戦士が集っているのでその知識を活用しているのだ。また、最近では漢人の比率が増えた元王朝の軍でも陣地の構築能力は向上していたりもする。

「そうか。情報通り周辺の集落からトナカイを城に入れているのだな?」

「そのようです。やはりこれは火牛の計を用いて来ると見て間違いありますまい」

 夜明けと同時に行われる城攻めの軍議をするプレスター・ジョンとその配下の下に、周辺に派遣していた斥侯からの情報が届けられた。城から脱出してきたニコーロ達の言う通り、城には大量のトナカイが集められている。

 兵力の劣勢を補うために、火を付けたトナカイを突進させて来るつもりだろう。動物の突進力は恐ろしいものがある。荷車や簡単な柵で出来た陣地など一瞬で破砕されてしまうだろうし、矢の雨を降らせたり槍衾で待ち構えたとしてもその勢いを完全に殺すのは難しいだろう。

「そう言えば少し城の周りを見てきたが、積もっていたはずの雪が取り除かれていて草が見えていたな。あれは突進力を高めるためかな?」

「恐らくは。それに、付け加えるなら火攻めの効果を高めることも視野に入れているかもしれません」

 プレスター・ジョンの下問に主に答えるのは、漢人の将でウリエルの称号を与えられている。元は宋王朝の将軍で本名を劉学崇(りゅうがくすう)というのだが、モンゴル軍の捕虜となり、結果としてその下で戦う事になったのだ。そして、先祖代々景教――キリスト教ネストリウス派――を信仰していた縁があり、プレスター・ジョンの下にたどり着いたのだ。

 彼は兵法に通じているため、プレスター・ジョンの配下の中ではその能力を頼りにされることが多い。プレスター・ジョンの配下において軍略能力では、西方の騎士であるミハイルと双璧を成している。ミハイルはノヴゴロド公国から来た騎士であり、老齢ながら百戦錬磨の戦士である。彼ら以外の幹部を見渡せば、ミハイルの義娘のガウリイルはまだ経験が浅いし、イスラフィールは暗殺者としては有能だが軍を率いるのには向いていない。自然とウリエルが場を仕切る役割になっていた。

「報告! 城の門が開きました!」

「本拠地を奪われて、慌てて強行軍で帰って来て、疲れ切ったところの出鼻を挫くつもりかな? まあ奇襲としては常道であろうな」

「左様ですな。しかし、これはこちらの予想通り。一兵卒に至るまで到着後の夜襲は警戒しております」

「対策は徹底していような?」

「はい。日が暮れるまでに実際に演習をしました。例え夜であってもやれるでしょう」

 蒙古人の部隊を率いるアラムダルが自信を持って答えた。火牛の計を予想しているのだから、当然それに対する対策も準備しているのだ。

「そうか。それでは奴らの奇襲を粉砕してやるとしよう。ここでトキミツとやらを倒してしまえば、カラプトや蝦夷ヶ島を攻め取るのも容易くなるだろう」

 プレスター・ジョンは力強く宣言すると、軍議の行われていた天幕を飛び出し、戦場へと向かった。

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 城門が開いたとの情報により、睡眠をとっていた兵士も全て戦闘態勢に入った。彼らは整然と隊列を組み、命令が下されるのを待っていた。当然のことながら城から出現するであろう敵に対して、警戒を怠ることなく気力は充実している。

 そして、少しの間が空いた後、城門から黒い影が一斉にモンゴル軍目掛けて突進して来た。

「間隔を開けろ! やり過ごせ!」

 突進して来た無数の黒い影――トナカイ達を、正面か受け止めたならばいかに整然と隊列を組んだ軍隊でも、ひとたまりも無く壊滅したであろう。しかし、直線的な動きをする動物の群れは、横方向の動きで簡単に回避することが出来る。動物は十分に制御されている訳ではないので、回避した軍にわざわざ向かって来ることは無いのだ。

 この様な対処手段は、古代から動物を使用する軍に対して行われている。

 例を挙げるなら、古代地中海世界における最大級の戦術家同士の、ローマのスキピオとカルタゴのハンニバルの戦いにおいて、ハンニバルの繰り出した象の突撃をスキピオは横に回避してやり過ごすことで最終的に勝利した。同様の手段はカエサルやアレクサンドロス大王などの名だたる名将も象兵に対して取った作戦であり、ある意味一般的と言っても良いかもしれない。

 ただし、大型の動物が音を立てて突撃してくるというのは、兵士に恐怖を感じさせ、命令通りの行動を困難にさせる。つまり、過去の名将が象の突進に対して有効に対処できたのは、その能力があってこそだとも言える。もし、能力が低かったらどうなるかというと、楽毅という名将が去った後の燕の軍は田単の、適切な指揮官に欠けた平家の軍は木曾義仲の火牛の計をまもとに食らってしまっている。

 その点、プレスター・ジョンの率いる軍は、兵士の練度も指揮官の能力も及第点だったようだ。冷静にトナカイの突撃を回避することに成功している。

 しかし、ここで予想外の事態が起きた。

 通常なら突撃を回避された動物は、そのまま戦場を突き抜けて行ったりするのだが、このトナカイ達は軍の間に居座り、その場で草を食べ始めたのだ。

「これはどういう事だ。そう言えばこのトナカイ達には火が括り付けられていないぞ」

「そうか! これは陽動作戦です! 敵は我々が火牛の計に警戒することを見越して、この様な手法を取ったのです。恐らく城の周りを除雪したのも、腹をすかせたトナカイを誘導させるためです。ご覧ください。普通なら火がついて狂乱状態で走り去るトナカイが、悠々と草を食み、更なる草を求めて隊列の間に侵入しております」

 ウリエルの解説を聞いたプレスター・ジョンは、あることに気が付いた。これが陽動作戦なら決定的な作戦を用意しているはずだ。

「見ろ。城門から更にトナカイが出て来るぞ! 先に出てきたトナカイは囮だ。逃すんじゃあない!」

 プレスター・ジョンの言う通り、城からは遅れてトナカイの群れが飛び出てきて走り出そうとしている。今度出てきたトナカイ達は皆ソリを引いており、ソリにはいくつもの人影が乗っている。

「騎兵で追わせ、奴らの小賢しい作戦を無にして見せます」

 ウリエルの指示で、近くに控えていたモンゴル弓騎兵がトナカイのソリの後を追う。雪の上では馬よりもトナカイの方が有利だが、流石に重量物を積載したソリを引いていては馬に勝てないようだ。すぐにその距離が短くなっていく。

「さあっ! 諦めるが……藁人形?! まさか?」

 走るトナカイの群れに追いついたモンゴル騎兵達は、遠くでは夜の闇に隠されていたあることに気が付いた。人が乗っていると思っていたのは、単なる藁人形であり、無人のソリだったのだ。そして、藁人形と一緒に乗っていたのは、城に貯蔵されていたモンゴル軍の兵器である、震天雷――後に日本の武士からは()()()()と呼ばれる物が満載されていたのだ。そして、それには既に火が付いている。

 モンゴル騎兵達は慌てて距離を離そうとするが、もう遅かった。轟音を立てて爆発した震天雷はまだ発火していなかった物も誘爆させ、爆風と無数の金属片を広範囲にまき散らした。

 震天雷は、この時代の火薬の能力の限界等もあり、後の世の類似品である手榴弾や砲弾ほどの威力は無い。破片の威力や範囲は大したことがないが、その轟音は敵兵の士気を挫くのに大いに役に立つ程度のものだ。

 しかし、これ程までに一挙に爆発させると話は別である。

 追撃していた騎兵達は重傷を負い、震天雷のすぐそばで輸送していたトナカイはその威力で爆発四散した。

 爆風で宙を舞ったトナカイの首が、茫然と見ていた本隊まで吹き飛んで来て、兵士たちの更なる恐怖を煽る。勇猛な兵士たちであっても、流石にこの様な目には逢いたくない。

「やあ! モンゴル軍、いや、プレスター・ジョンとその配下の諸君! 俺からの贈り物、満足していただけたかな?!」

 完全に混乱したプレスター・ジョンの軍勢の前に、新たに城門から多数のソリを引いたトナカイ達が出現し、その先頭のソリに乗った男が蛮声を投げかけて来た。

「流石に君たちと正面からやり合うのは骨が折れるから、この城も譲るとしよう! それではさらばだ!」

 別れの挨拶を終えると、人影を乗せたトナカイ達は次々と走り去って行く。明らかに追撃の機会であるがそれを追う者はいない。走り去るソリのどれに震天雷が混じっているのか、遠目には判別できないのだ。もしも間違ったソリに近づけば、爆発四散してしまうだろう。

「奴は悪魔(サタン)か?」

 プレスター・ジョンもしばらく茫然とするより他なかった。
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