第62話「賠償請求」

文字数 2,141文字

 文永10年(1273年)の初夏、撓気時光(たわけときみつ)はボコベー城において難しい顔をしながら一枚の書状を眺めていた。

 ボコベー城はカラプト島の北部に位置し、大陸とは海を挟んで二里程度の距離にある。つまり大陸とカラプト島を結ぶ要点である。

 カラプトは時光の生まれ故郷である相模国の撓気郷から遥か北に五百里は離れており、当然日本ではない。その様な土地であり、時光の支配する土地ではないのだが、蒙古の侵攻から日本を守るため、そしてこの地に住まう民から助力を期待されているため、時光はこの地にいる。

 数年前の大規模な蒙古の侵攻を島から駆逐して以来、小競り合いしかなかったのだが、半年前に本格的な侵攻があってこのボコベー城も一旦落城した。その際、敵の本拠地を急襲する作戦が成功し、なんとか押し戻したものの敵の勢力は温存されている。

 戦いの予感は日々高まっていた。

 そこにこの地域における蒙古軍の指揮官であるプレスター・ジョンの手紙である。

「何と書いてあるのだ? そもそもその文字は何語だ?」

 考え込む時光の顔の横に、髭に覆われた精悍な顔がぬっと出てきた。蝦夷ヶ島に勢力を保つアイヌの長の一人であるサケノンクルである。サケノンクルはウペペサンケという集落の長だが、その実力を買われてアイヌの諸部族の戦士を束ねる人物でもある。本来集落の長としての仕事があるので蝦夷ヶ島を離れることは少ないのだが、蒙古の本格的な侵攻の危険性が高まっているためカラプトまで進出しているのだ。

 サケノンクルは和人との交易を通じて日本語の読み書きは出来るが、大陸の諸言語には疎い。もっとも。日本語が読めるという事は漢字もある程度読めるので、相手が漢字で書いてくれれば何となく意味が分かるのではあるが。

「ラテン語だな。遠く西方で使われている文字だ」

「モンゴルの文字じゃないんだな」

「モンゴル語の文字だったら読めなかったから、こちらが分かる文字で良かったよ」

 時光が生きるより少し前のモンゴル語は文字を持たなかった。チンギス・ハーンが征服地を広げる過程で、文字の重要性に気が付いたため、モンゴル語と近いウイグル語の文字を取り入れたのだが、モンゴル語を完全に表現できないため普及しているとは言い難い。モンゴル語専用の文字として、チベット仏教の高僧であるパスパが、元モンゴル帝国皇帝のフビライの依頼によりパスパ文字を完成させたのだが、ほんの数年前の事であり当然時光達はその文字を見たことがない。おそらくモンゴル帝国内でもまだ普及しきっていないだろう。

 そしてラテン語であるが、この東の果ての地域でこの文字を解する者は少ない。だが、現在の敵はモンゴル帝国の一員ではあるものの、その反主流派でありキリスト教徒が大半である。ラテン語はキリスト教において使用される言語であるため、当然彼らはこれを使いこなすことが出来る。では時光達はどうかというと、偶然にもラテン語使用できる者がいる。時光達の協力者には、羅馬(ローマ)から来たドミニコ会の修道士であるグリエルモがおり、キリスト教の聖職者の中でも学識が高い彼は当然ラテン語を使いこなす。そして、時光はグリエルモからラテン語を習っているため、ある程度読み書きができるのだ。

 半年前の戦いにおいて、時光は敵の騎士とラテン語で会話をする機会があり、その事で敵は時光にラテン語が通じると知っていたのだろう。また、グリエルモの存在も知っているはずなので、こちらをあてにしたのかもしれない。

「それで内容なんだが、半年前に敵の本拠地で暴れた時の損害賠償を払いに来いとさ」

「損害賠償? なんだそりゃ」

 半年前の戦いにおいて、時光は本隊がおらず少人数しか残っていない敵本拠地のヌルガン城を急襲し、占拠することに成功した。その後戻って来た敵の本隊に包囲されたのだが、その際城に貯蔵されていた震天雷をあちこちで爆発させ、敵の注意を引き付けることが出来た。中でも敵に向かって震天雷を満載したソリを引いたトナカイを突撃させ、トナカイごと敵を粉砕させたのは痛快であった。無残に爆発四散した仲間を目撃した敵は、茫然として時光達が離脱するのを許してしまうほどだ。

「城に対する損傷は戦だから仕方ないが、城の金を勝手に使って周りの集落からトナカイを購入したのは許せないから、その分を支払いに来いだとさ」

「ぬう。我らは戦には疎いのだが、戦においてはそのように処するのが習わしなのか?」

「そんな訳ないだろ。これは損害賠償を口実に呼び寄せようとしてるんだ」

 通常での慣例ではあり得ない内容の要請、当然裏があるものだと時光は判断している。

「罠か? ノコノコやってきた所を殺すとか」

「多分それは無い。敵の主力には神への信仰心が篤い連中が含まれている。そういった連中は戦いではない状態で殺すような卑怯な事は好まないだろう。上に立つ者がどう考えているかは分からんが、配下がそういう考えの者達ならば不興を買う様な行動をしないだろう」

 現在、敵の方が戦力上優勢である。普通に戦い続けたのでは何時まで持つのか分かったものではない。なので、今回の敵の誘いは、交渉で敵を防ぐための良い機会である。

 そういう訳で、時光は仲間を引き連れ、賠償に支払う数々の品を持って大陸へ渡ることにした。
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