第31話「散兵戦」

文字数 2,289文字

 アイヌの戦士団の船を攻撃するべく、進軍を続けるモンゴル軍を止める者は無かった。見通しの良い平野なので軍勢が待ち構えていればすぐに分かるが、地平線まで敵兵の姿は確認出来ない。

 右手に見える大森林には、アイヌの大軍が潜んでいるため、常に警戒をしながらの進軍だが、今のところ攻撃の兆候は無かった。

 森からは常に弓矢の射程より離れて進軍している。つまり、アイヌがモンゴル軍を攻撃したければ、平地に姿を現す必要がある。そして、平地においてはモンゴル軍は世界最強なのである。

 軍を率いるアラムダルは自信を持って軍を悠々と進ませていた。後もう少しで船に到達し、カラプトにおけるアイヌを孤立化させる事ができるはずであった。

 しかし、その時一本の矢が先頭を歩く兵士の喉笛を貫き、矢を受けた兵士は悲鳴も上げずに倒れ伏した。

「何処から飛んで来た?」

 アラムダルは馬を急がせ、先頭付近まで状況把握のために進み出た。森からは十分な距離を保っているのだ。不意を打たれる訳がないのだ。

「それが、急に前から飛んで来て……」

「前?」

 アラムダルは目を凝らしたが、目の前には雪に覆われた雪原が広がるばかりで、人っ子一人見えない。雪が降っているが、視界に大きな影響を与える程ではない。

「馬鹿な。前には敵など……」

 言い終える前に追加の矢が飛んで来た。今度は複数だ。

「射ち返せ! 敵は少数だ!」

 即座に反撃の命令を下す。

 今度は敵の攻撃をはっきりと確認していた。前方の雪原に白い布を被って擬装したアイヌの戦士が、不意を突いて矢を放っていたのである。

 しかし、擬装を効果的にする為か、アイヌの戦士達はバラバラに分散しており、密集隊形をとって緊密な連携をするモンゴル軍からすれば、一揉みに押し潰せそうな程頼りなかった。

「駄目です。すぐに隠れてしまい、効果がありません!」

「馬鹿を言うな! 敵のいた付近に矢の雨を降らせたんだ。効果があるはずだ」

 その様に言って部下を叱咤するアラムダルであったが、自分でも自信が無かった。アイヌは穴でも掘っているのか、全然姿を見せてこない。

 そして、またモンゴル軍に矢が襲いかかる。今度は多方向からだ。

 どうやら、アイヌの戦士団は擬装して分散した状態で、モンゴル軍を待ち構えていた様である。

「ちぃ! 反撃を続けろ! 例え姿が見えずとも、範囲で制圧すれば必ず効果がある!」

 アラムダルの指示の通りモンゴル軍は懸命に戦いを継続するが、効果が見えてこない。アイヌが射ってくる矢は単発で被害は少ないのだが、着実に被害が累積しているのが気持ち悪い。

 相手の方が被害が大きい事が明確なら、兵士は士気を保つ事が出来るのだが、この状況ではそうはいかない。

 そして、アラムダルはある事に気がつく。分散した敵を制圧する為に、大勢の兵士が矢を放っているが、これでは矢を浪費しているだけではないかと。

 モンゴル軍の兵士の携帯する矢筒は、六十本位入る大きなものだ。しかし、分散した敵に向かって射撃し続けたなら、敵を殺し尽くす前に射ち尽くす事だろう。

 これは、モンゴル軍の兵士にとって初めての経験であった。今まで戦って来た相手は軍隊として統制の取れた行動を取るためになるべく密集していた。

 密集隊形にある相手なので、矢による範囲攻撃は効果を発揮した。時には密集した相手に投石器で大岩を叩き込むこともあったのだ。

 しかし、今回の敵はこれまでとは根本的に異なるのだ。

 兵士が密集した状態とは逆に、分散した状態の事を散兵と言う。今回アイヌの戦士団がとっているのは、この散兵戦術なのである。

 効果の程は見ての通りだ。

 これより後の時代の戦例として、アメリカ合衆国の独立戦争がある。

 アメリカ合衆国の大陸軍が、ロクに訓練をしていない入植者なのに対し、対戦相手のイギリス軍は精鋭揃いであった。

 当時の戦い方の基本は戦列歩兵という密集隊形であり、勝負は訓練の多寡で決まっていた。

 当然植民者の寄せ集めでは勝負にならず、敗退を繰り返していた。

 この様な状況で大陸軍の指揮官であるジョージ・ワシントンは、部下達を分散させる散兵戦術で戦わせ、イギリス軍に勝利した。

 それなら皆、散兵戦術をとれば良いのではないかとの疑問が出るかも知れないが、そう簡単にはいかない。

 兵士が分散した状態では、命令を徹底させたりする事が困難になるなど、実行を阻害する欠点が多い。分散していては、殺し合いを前に萎縮してしまい、士気が低下、場合によっては逃亡する危険性がある。

 しかしアイヌの戦士の場合、個々が優秀な戦士であり、個人単位の狩猟を多く経験している事から、独自の判断をすることが出来る。時光が指示したのは射撃の距離くらいのものだ。更には故郷が侵略されようという危機に直面しているので、士気は非常に高い。

「くっ! 引けぇぃ!」

 アラムダルは堪らず撤退の指示を出した。

 このままでは被害が拡大するだけだ。致命傷になる前にそれは避けなければならない。準備を万全にして臨めば、勝てない相手ではないのだ。

 命からがらモンゴル軍は撤退した。アイヌ側が追ってくる様子は無かった。

 今日のところは一旦戻って、立て直しを図るためアラムダル達は白主土城の入り口まで戻って来た。

「戻ったぞ! 予定外の事になった! 怪我をしている者もいる。すぐに入れてくれ!」

 アラムダルは開門を指示するが、門は開かなかった。代わりに矢の雨が降り、挑発する様な声が飛んでくる。

「予定外? こっちは予定通りだ!」

 城の中から顔を見せたのは、アイヌに加勢する日本人の戦士、撓気十四郎時光であった。
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