プロローグ「北条時宗への手紙」

文字数 2,953文字

 肌を刺すような冷たい空気の中、朝日が差し込む広大な大地で武装した多数の男達が(にら)み合っていた。まだ暦の上では秋だと言うのに、男達の口から吐き出される息は白い。いや、息だけでなく、彼らの全身からは湯気が立ち込めている。激しく肩を上下にして呼気を繰り返しており、相当激しい運動をしていたことを伺わせる。

 睨み合う双方の多数を占めるのは、髪と髭を長く伸ばして簡素な弓を手にした男達――この地に生きる民のアイヌと呼ばれる者達である。

 そのアイヌの男達に混じって双方には馬に乗った男がいる。

 片方はまだ元服が済んだばかりに見える幼さの残る顔立ちであるが、大鎧(おおよろい)に身を包んだその姿は見事な若武者ぶりである。その全身からは気迫が(みなぎ)っていた。

 彼の名は、撓気十四郎時光(たわけじゅうしろうときみつ)と言い、幕府の御家人であり剛毅(ごうき)の武士として名高い撓気時成(たわけときしげ)の十四男である。

 時光に相対する馬上の男は、直垂(ひたたれ)を着用し烏帽子(えぼし)を被った中年の男であり、馬に乗り慣れていないのか、今にも暴れだしそうな馬を制御するのに精一杯といった風情である。

「この……若僧! 儂を蝦夷代官職(えぞだいかんしょく)を預かる安東家の惣領(そうりょう)安藤五郎(あんどうごろう)と知っての所業か? 蝦夷(えみし)なぞと徒党(ととう)を組みおって、武士としての恥を知れい!」

 安藤五郎は必死に馬を御しながら怒りを込めてを時光に向かって言い放った。人に向かって命令を下すのに慣れている様で、上から目線の物言いは中々堂に入っていると言えよう。

 普通なら(おく)してしまうような怒号を浴びせられた時光であったが、それを真正面から受け止めても何ら怯むところはなかった。まだ戦場往来(せんじょうおうらい)での経験が無い年頃にしては見事な立ち振る舞いである。

「笑止! 貴様こそ北鎮(ほくちん)の任にありながら夷敵(いてき)と組んでいるのは先刻承知だ! 恥を知れ!」

 時光は負けじと魂消(たまげ)るような大音声(だいおんじょう)で叫び返す。その声を正面から受けた受けた安藤五郎は文字通り、魂をかき消されたかの様に動揺した。

「貴様の従えているアイヌの様な出で立ちの者ども、着こなしが随分と可笑しいな。本当にアイヌか? しかもよく見れば付け髭ではないか。正体は何だ?」

「そ、それは……」

「答えられないようなら言ってやろう。そ奴らは蒙古(もうこ)斥侯(せっこう)であろう? 我が国を狙っているのは先刻承知だ!」

 時光の指摘は的を射ていたようで、時光の指摘に安藤五郎は青ざめる。そして、最早これまでとばかりに先ほどまでとは打って変わって呵々大笑(かかたいしょう)すると、後ろに控えるアイヌ……いや、蒙古兵に対して指示をする。

「者ども! すぐこいつらを討ち取れ! そうすれば黄金は我等の物だ!」

「正体を現したな? 安藤五郎! 遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我こそは相模国(さがみのくに)撓気郷(たわけごう)の撓気十四郎時光である!」

 時光は名乗りを上げながら矢をつがえると、安藤五郎めがけて力強く放った。

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「それで、どうした? 続きを読み上げてみよ。安藤五郎はどうなったのだ?」

 とある屋敷の一室、質素ながらも仕立ての良い直垂を身に付けた二人の武士が、送られてきたばかりの書状を前に頭を突き合わせていた。片方は少年と言っても良い顔立ち、もう片方は中年に差し掛かった外見である。

 少年の方はかなり機嫌が悪そうだ。

 少年の名を、北条時宗(ほうじょうときむね)と言い、この年―――文永(ぶんえい)五年(一二六八年)三月に執権(しっけん)になったばかりである。つまり、一八歳の若さにしてこの国の権力の頂点に位置したのである。

 中年の方は安達泰盛(あだちやすもり)と言い、彼の妹は時宗の妻、つまり義兄弟にあたる人物で、幕府の中枢で権力を握る人物である。

「はい。見事、安藤五郎を討ち果たしました」

()()()がっ!」

「はい。討ち取ったのは撓気時光です」

「そうではない。(たわ)けということだ!」

「知ってます」

 安達泰盛は北条時宗の怒りをいなす様に飄々(ひょうひょう)と答えた。

「そもそも撓気殿はあなた様の幼馴染、わざわざ名前を尋ねられたのではないことは重々承知しておりますよ」

「では聞く。何故、北の地での蒙古の動きを探るために(つか)わした撓気時光が、その北の地を守る蝦夷代官職の安東五郎を殺すことになったのだ? これでは命令と逆ではないか」

 北条時宗の疑問はもっともである。

 この時代、大陸ではそれまで日本と交流のあった漢民族の王朝である宋が、モンゴル高原から突如として勢力を伸ばしてきたモンゴル帝国の攻勢にさらされ、風前の灯火である。

 また、九州のすぐそばにある高麗王朝も、大分前にモンゴル帝国の軍門に下っている。

 そして、宋と交流のある西国の商人達の情報によると、モンゴル帝国は日本をその版図に加えようと画策しているというのだ。

 実際にこの年の正月にはモンゴル帝国からの書状が届いている。内容は、日本との交流を望むような事を表面上書いているが、場合により武力を行使することも触れており、服属させようというのが相手の望みのようだ。

 これは、日本の武家政治を司る執権としては見過ごすことが出来ない。現在西国の御家人に対して、大陸からの襲来に備えて準備を進めさせるとともに西国からの情報収集を強化している。

 そして、北条時宗の対策はそれだけに止まらない。

 対蒙古政策を進めるうちに、北の果て―――蝦夷(えぞ)の地においてもモンゴル帝国が活動を活発化していることを察知した。

 このため、蝦夷の地における諜報活動を進めるために、北条氏と繋がりが強く、しかも蝦夷との交易を以前からしている御家人である、撓気氏に偵察任務を命じたのだ。

 撓気氏は代々戦に強く、しかも機を見るに敏な一族で、源平合戦、奥州藤原氏征伐、宝治合戦等、数々の戦いで勝者に(くみ)してきた。

 その結果、恩賞にありつき、広大な領地を獲得してきている。

 しかし、撓気氏は代々子沢山であり、しかも領地を平等に分割するのが伝統となっている。そのため、当代の当主である撓気時成も若い頃から武勲(ぶくん)を上げ、数々の領地を恩賞として獲得してきたものの、十数人を超える子ども達に平等に領地を分け与えてきた結果、今残るのは猫の額の様な領地である。

 この様な事が代々繰り返されてきたため、口さがない者は、影では彼らの事を「田分(たわ)け」、とか「戯け」とかの意味を込めて呼んでいる。

 そして、この状況で困るのは撓気時成の息子の中でも、領地が貰えるかどうか怪しい立場の者である。

 撓気時成の十四男である時光は末弟として、まさにその様な立場であった。それでもどうにか小さな領地を継承できるはずであった。

 しかし、去年、無情にも十五男が誕生してしまい、時光は自分の食い扶持(ぶち)を探さねばならなくなってしまったのだ。

 その様な状況で必死に功績を上げようとしている時光は、まさに今回の任務にうってつけの人材だと、北条時宗や安達泰盛は(にら)んでいたのだが、まさか現地でこの様な事を起こしてしまうとは予想しなかった。

 時光が出発する前に、恩賞は切り取り次第の様なもので、功を上げれば上げるだけ天井知らずで与えると約束したのだが、まさか時光はそれを勘違いして、蝦夷に領地を持つ安達五郎を殺害して領地を奪おうというのだろうか。

「まあ良い。報告の詳細を聞こうではないか」

 考えても仕方がないと判断した北条時宗は、安達泰盛に書状の細部を読むように促したのだった。
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