第67話「交渉決裂」

文字数 2,350文字

「それでは、我々に従う気は無いというのだな?」

「その通りだ。カラプトの地はニヴフ、蝦夷ヶ島はアイヌ、そして日本は日本人のものだ。交流をしたいのなら歓迎するが、攻め入るのなら熱烈に()()してやろう」


 途中までプレスター・ジョンの気迫に押されがちだった時光も、仲間の発言で気を取り直してすっかり持ち直した。各地の様々な民族はそれぞれ独自の歴史観や文化・風習を持ち、それは決して他に侵されることは無い。素朴ではあるがそれだけに正しさを感じさせるものだ。

「ふっ。綺麗ごとを言うものだな? そう言うお前たちはどうなのだ? 例えば日本。今では都から陸奥国とやらの北の端まで勢力に収めているようだが、これは最初からか? 確か元々別の民族がいたのではないか? それに、本来お前らの勢力圏ではない蝦夷ヶ島まで手を伸ばしているではないか」

 プレスター・ジョンの言う通り、日本は現在九州から奥州まで朝廷や幕府の勢力に治めているものの、陸奥国などの東国は元々蝦夷(えみし)と呼ばれる民が住んでいた。彼らは朝廷や武士によって征服され、現在では当時隆盛を誇っていた面影はない。時光の仲間には蝦夷の末裔であるオピポーがおり、彼と時光は友好的な関係を結んでいるが、この様な関係は稀であろう。

 また、蝦夷ヶ島までの勢力の拡大も事実である。一応蝦夷ヶ島における日本人の都市は交易の拠点ではあるのだが、武力などを背景に不当な取引が発生しているとも聞く。また、時光はアイヌを労働力として誘拐し、金や石炭を採掘して富を得ようとしていた安藤五郎を成敗している。彼の様な事を考えるのが後に続かないとは言い切ることが出来ない。

「それに、カラプトや蝦夷ヶ島の民は確かに素朴ではあるが、果たして純粋だと言い切れるかな? かつてニヴフはカラプトから蝦夷ヶ島まで勢力を伸ばしてアイヌを圧迫したし、最近では逆にアイヌがカラプトに進出してニヴフを圧迫している」

 これもまた真実である。数百年前ニヴフによるアイヌへの侵攻は、日本では粛慎による蝦夷の侵攻として知られ、当時の朝廷は将軍の阿倍比羅夫を派遣してアイヌを援助した。この様な先人の働きのおかげで時光はアイヌやニヴフと良好な関係を築くことが出来たのだが、これも言いかえれば争いの歴史である。

 プレスター・ジョンはモンゴルの民であるが、日本やその北方の歴史をよく研究しているようだ。時光は歴史書を読み漁っていたのでこれらの事績を知っているが、戦いに明け暮れているだけの一般的な武士なら自らの国の歴史すら知らないだろう。

 彼を知り己を知れば百戦危うからずという有名な兵法書の言葉があるが、これから侵攻する地域については歴史まで研究するというのがプレスター・ジョンのやり方なのだろう。単なる戦闘力も恐るべきものであるが、軍略にも通じていることが良く分かる。

「別にこの様な争いの歴史を非難しているのではない。ただ、その争いの歴史に俺も加わるというだけの事だ。だが、協力者が増えれば流れる血は減るだろう。よく考えてみろ」

「別に俺達の歴史に罪が無く、血に汚れていないなんて思ってはいない。だが、今を生きる俺達は先祖から受け継いできた故郷を守り抜かなければならない。それが例え血に汚れたものだとしても、相手が強力でそれに与した方が得だったとしてもだ。それが武士(もののふ)の生き方であるし……アイヌも同じ考えのようだな」

 プレスター・ジョンに力強く答えながら横目で仲間の顔を見た時光は、仲間も同じ考えであることを見て取り、自信を更に強めて言い切った。

「そうか。協力は望めないようだな。残念だよタワケ=トキミツ。確かお前の氏であるタワケは、先の事を考えずに子供に土地を分けてしまい、却って子孫が困窮する「田分け」、そこから転じた「戯け」を意味しているようだが、お前の今の返答はまさにその通りだ。先の事を見据えていない。名前の通りだ」

「え? いや……よくそういう陰口はたたかれるけど、「タワケ」は漢字で「撓気」と書きまして、撓気氏の始祖である橘隆光が相模国に来て土地を切り開いた時、その土地の豊かさを見て、神聖な気で稲に撓んでいると表現したことからその土地を撓気と名付けたので、田分けや戯けとは関係が無いのですが?」

「……あっそ」

 少し悔しそうなプレスター・ジョンを見て時光は自信を持った。プレスター・ジョンは確かに日本に関してかなりの知識を持っている。戦う上でこれはかなりの脅威である。何しろ時光側は相手の事をそれ程深く知らないのだ。情報力ではかなりの差があると言っても良い。

 しかし、今のやり取りを見たところ、完全に調べ切っているとは言い難い。ならばこちらにもまだやり様がある。

 先ほど記述した孫子の「彼を知り……」の後には続く言葉がある。

 彼を知らずして己を知れば一勝一負す。

 つまり、相手の事を良く知らなかったとしても自分の事を良く把握していれば、引き分けに持ち込むことは可能という事だ。

 ならば、プレスター・ジョンがいかに強大な軍を持っていようと、必ずや互角の戦いが出来るはずだ。

 なお、敵の事も自分の事も知らなければ必ず負けるとも書かれており、これには十分注意しなければならないのは当然の事だ。

「ふむ。では交渉決裂といったところだな。残念だよ。そちらの事は高く評価していたのだがな。ああ、別に警戒しなくてもいい。今ここで殺す気は無い。何しろ我が軍は正義を貴ぶキリスト者ばかりだからな。お前たちが戻った後、この前と同じくボコベー城を粉砕して見せるとしよう」

 宴会はここで散会となった。プレスター・ジョンの宣言の通り、この日ヌルガン城に泊まった時光達には一切危害は加えられず、翌朝時光達は朝食の後プレスター・ジョン達の見送る中、城を後にした。
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