第65話「チタタプとタルタルステーキ」

文字数 2,570文字

 城の外で軍事教練に参加していたプレスター・ジョンと出会った時光達は、ヌルガン城の中に招かれた。

 ヌルガン城の内部構造は以前占領したことがあるため、時光達にとっては勝手知ったる場所であった。そのため案内が向かっている場所はすぐに見当がついた。たどり着いた場所は城主の謁見室も兼ねた広間であった。

「ようこそ。タワケ=トキミツ殿。確か蝦夷守(えぞのかみ)という役職に任じられているとか? 俺は元朝皇帝のフビライ陛下から征東招討司に任じられ、このヌルガン一帯を任されているタシアラだ。ここにいる同士たちはプレスター・ジョンと呼ぶがな」

 広間に到着した時光達をプレスター・ジョンが待っていた。先ほどモンゴル相撲(ブフ)を訓練していた時は上半身裸体で荒々しい姿だったが、今は一目で良い仕立てだと判断できる豪華な服に身を包んでいる。様式はモンゴル民族のものであるが、一点普通とは違うのは、大きな十字架が刺繍されているという事だ。

 進み出た時光はプレスター・ジョンに丁寧に挨拶すると、速やかに今回の来訪における目的である賠償の手続きに入った。時光達がヌルガン城を占領した際、勝手に城内の金銀を持ち出して周辺の集落からトナカイを購入し、最終的にほとんどを自爆させてしまった事に対する補償である。時光達が持参した日本製の太刀や蝦夷ヶ島で採れた熊や鮭の皮などが賠償として支払われ、内容の確認と目録の受け渡しはすぐに終わった。

 交渉事が終わると食事をしようと言うことになった。広間に椅子と大きな机が運ばれ、様々な食事が運ばれてくる。

 会食に参加するのは、時光側は代表である時光と直属の家来である丑松、カラプトや蝦夷ヶ島の民族を代表してアイヌ出身のサケノンクル、そして羅馬(ローマ)から来たドミニコ会の修道士であるグリエルモである。モンゴル側は、城主であるプレスター・ジョンとその配下である老騎士のミハイルと女騎士のガウリイル、漢人の将軍のウリエル、中東出身のイスラフィール、そしてヴェネツィアの商人であるニコーロ、マフェオ、マルコのポーロ一家であった。

 食事前にプレスター・ジョンの挨拶があり、それが終わると食事前の神への祈りが始まった。時光側はグリエルモ以外にはキリスト教における祈りの言葉など知らないので、自然と手持ち無沙汰になる。暇なので心の中で「オンベイシラ マンダヤ ソワカ」と真言(マントラ)を唱えていた時光は、プレスター・ジョンの部下にも祈りに参加していない人物がいるのに気が付いた。浅黒い肌をした(ペルシャ)辺りの出身と思われる男のイスラフィールである。もしかしたらキリスト教徒ではないのかもしれないと時光は推察した。

 祈りが終わると杯に注がれた馬乳酒で乾杯し、会食が始まった。席次上時光はプレスター・ジョンの隣になるため、自然とプレスター・ジョンと話をすることになる。

「先ほど見せてもらった日本の刀だが、中々の切れ味だったな。あれがもっと大量に手に入ればありがたいのだが」

「ははっ。異国の貴人に褒められたとあっては、我が国の刀鍛冶も職人冥利につきるというものでしょう」

 適当に笑って対応する時光であったが、内心プレスター・ジョンの言葉の意味を必死で分析していた。日本の太刀を大量に入手するとは、どの様な手段を考えているのであろうか。

 交易を進めて行くのか。それとも征服するつもりなのか。

「ところでどうですかな? 我々の料理は。口に合いますかな?」

「ええ。中々いけますよ。このみじん切りにした馬肉……でしょうかね。塩や薬味が効いていて美味しいですよ」

「その料理はヨーロッパの民にはタルタルステーキと呼ばれるもので、戦で遠征した時に食べることが多いかな」

 タルタルステーキのタルタルとは、ヨーロッパの人間がモンゴル人などの遊牧民族を呼称する時に使うタタールが訛った言葉である。

 モンゴル軍が大陸を広範囲にわたって征服出来た理由は、その馬術や弓術の技量もあるが、それを支えたのは兵站の力である。兵站が弱ければどれだけ戦闘力が高い軍隊であっても、遠征を続けることは出来ないだろう。

 そして、モンゴル軍の兵站の強さの要因の一つに大量の馬を保有していたことが挙げられる。一人の兵士が複数の馬を保有することで、馬が疲労したら乗り換えることで速度を維持することが出来るし、潰れた馬は食料にすることが出来るのだ。

 その馬を調理する方法の一つが、今時光達に振る舞われているタルタルステーキなのである。

 なお、モンゴル人達はみじん切りにした挽肉を生で食べるのだが、これを焼いたのがハンバーグの起源とする説がある。また、タルタルステーキが朝鮮半島に伝えられた後、当地でユッケとなったという説もあり、大陸の東西に影響を及ぼしたモンゴル帝国らしい料理であると言える。

「そう言えばアイヌにも似たような雰囲気の料理がありますよ。チタタプと言って、肉をみじん切りにして薬味を加えるのです。タルタルステーキと同じように生でも食べますが、汁に入れることもあります」

 チタタプはタルタルステーキと同じように肉をみじん切りにする料理であるが、肉は様々な物が使われる。鮭のような魚肉も使うし、熊、鹿、ウサギなどの獣肉も使用される。多様な肉を使用するのは蝦夷ヶ島の豊富な自然の影響かもしれない。薬味にはプクサ(ギョウジャニンニク)などが使われる。

「ほほう? それは興味深い。もしかしたら我々モンゴルの民と、カラプトや蝦夷ヶ島の民は同じ系譜なのかも知れませんな」

「ははっははっ。いやいや、それはどうでしょうかねぇ」

 またしても笑いながら返答する時光であったが、内心汗にまみれていた。戦には大義名分と言うものが欠かせない。そうでなければ征服後の支配などが上手くいかず、最終的には勝利を失ってしまうのだ。

 そのため、どんなに支配欲をむき出しにしている勢力であったとしても、大義名分はどうにかしてこじつけるものなのだ。一種の言いがかりと言っても良い。

 大義名分には統一、報復、神の意思、経済など様々なものが使用される。プレスター・ジョンが今口にした、「元は同じ民族かも知れない」と言うのは、民族の再統一という大義名分に使う事が出来るのだ。

 プレスター・ジョンはカラプトや蝦夷ヶ島を勢力下に収めることを望んでいる。時光は短い会話からそう判断したのだった。
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