第47話「そうだ。焼き討ちしよう」

文字数 2,339文字

 プレスター・ジョンと呼ばれる蒙古人の若者が率いる大軍をやり過ごした時光達は、更に北に向かって進軍し、目的地である奴児干(ヌルガン)を臨む地点に到着した。

「止まれ。ここで休憩だ。だけど交代で見張りを立てるように」

 時光の合図でカラプトから連れて来た戦士達はそれぞれの行動に移る。この間、ほとんど休息をとることなく森の中を進んできたので、皆かなり疲労しているのが見て取れる。

「さて、どうなさいますか? あの城はかなり堅そうですな」

「そうだな。力攻めは無理だろう」

 丑松の見立てに時光も賛意を示した。目標であるヌルガンは、大きな川に面した小高い丘の上に立った城であり、川に面した部分は崖になっている。

 以前攻略したカラプト南部の白主土城も同じような作りであったが、白主土城は急造で防備が弱かったが、こちらは十分な時間の中で築城したようで、弱点など見当たらない。

「まあ無理に攻略しなくとも、あの城の周りに兵を展開するだけでも効果はあるでしょう。味方を危険に曝すことも無いでしょう」

「いや、そうとも言い切れん。ある程度の脅威を与えなくては出撃した主力に連絡しようとも思わんだろう。安全は確保したいが、何か良い手を考えなくてはならん」

 時光の考えた、「囲魏救趙」の故事に倣った策は、敵の本拠地を攻撃することにより、カラプトに侵攻する敵を呼び戻させることである。本拠に残る軍に対して、独力で対処できると感じさせては策を達成することは出来ないだろう。

「奴らが使っていた投石器を作れれば、安全な距離から攻撃できるのですがな」

「俺達にそんな技術は無いからな……待てよ? グリエルモさん。あなたの知識に投石器とかの攻城兵器に関するものはありませんかね?」

 グリエルモは西方世界から旅してきたキリスト教の聖職者である。時光は知らないがドミニコ会の修道士であり、厳しい修行とそれに付随する学問に明け暮れていた。

 中世のキリスト教は、後世では古代ギリシア・ローマの知識を人々から奪い、暗黒時代を作り出したと評価されることがある。確かにそういう面もあるが、別の一面ではキリスト教の教団こそが古代の知識を守って来たとも言える。識字率の低いこの時代、古代の書物を聖務として筆者してきたのはキリスト教の聖職者達であった。彼らは自分達が神の教えと信じる内容と、古文書の内容には異なる点があることは認識していた。それでも筆写自体が修行であるため愚直に書き写し続けるうちに、自然と膨大な知識を蓄えて行くのだ。

 そして、一部の柔軟な思考の持ち主は、古代の知識の価値に気付いてその価値に魅了されたし、更に優れた頭脳の持ち主は、神の教えと古代の知識を統合させることに成功した。グリエルモのドミニコ会の先輩にあたる、トマス・アクィナスなどはその代表格だ。

 グリエルモの豊富な知識には、時光はこれまで助けられてきた。

「残念ながら、投石器(カタパルト)のような攻城兵器についてはそれ程知識を持っておりません。それに、ああいった物は、知識だけでなく技術が重要ですので、知識があったところでお役に立つのは難しいかと」

「そうか。それじゃあ仕方ない」

 知識があっても技術がなくては役に立たないことは多い。泳いだことのない者が畳の上でいくら水練を重ねても、いざ実際に水に入ればすぐに泳げないのと同じだ。時光は蝦夷ヶ島における初陣で見事に勝利を飾ったが、これは狩猟や犬追物などの実戦と近い訓練を重ねて来たから運よく出来たのだ。そして、戦闘経験豊富な丑松が影から支援してくれたという点も大きい。

 当てが外れたので、しばらく時光は考え込む。その間に、警戒などの処置を終えたアイヌ、ニヴフ、ウィルタの戦士で主だった者達が集まって来た。彼らは軍略には疎いが、それぞれの集団を実質的に指揮している。今後、部下達にどの様な指示をすればよいのかは、彼らも気になるところだ。

「そうだ。焼き討ちしよう」

 時光は、まるで食事にでも誘うような軽い調子で言った。

「火攻めですか? あの城はそうそう燃えそうにありませんが」

「いやいや、そうじゃなくて、辺りの集落をだよ」

「「え?」」

 時光の口から唐突に出てきた、残虐な提案を聞いたニヴフ、ウィルタの戦士は揃って驚きの声を上げた。彼らは狩猟を通じて磨いた弓などの腕前で、実に優秀な戦士と言える。しかし、本格的な人間同士の争いをあまり経験していない。争いになっても、代表者同士の腕比べで決めたり、殺し合いになってもある程度優劣が決まれば追い討ちしないなど、ある意味牧歌的な雰囲気がある。

 その彼らにとって、平然と残虐行為を提案してくる鎌倉武士という存在は、鬼か悪魔の類に感じられるのだろう。鎌倉武士にとって焼き討ちするなど日常茶飯事だ。

 ただ、アイヌの戦士は、時光が時折情け無用の発言をするのに慣れているので、特に変わった様子はない。非情な思い付きをしたとしても、守らなくてはならない一線は、決して超えないはずだと信じているのだ。

「この辺りには、俺達と同族のニヴフの集落がある。それに、他の部族だって交流や婚姻関係があるのだ。そこを焼き討ちするのはちょっと……」

 時光に同行しているニヴフの戦士達の代表格であるホトボンが、控えめな口調で時光に言った。時光が何を考えているのか把握しきれておらず、戸惑った様子がありありと分かる。

「ああ。知ってる。それに、この辺りの部族は皆狩猟民だ。俺達の様な少数の軍勢が孤立状態で暴れたりしたらすぐに反撃を受けて、城を攻めるどころか地元民に皆殺しにされるかもしれない」

「それではどういう事で?」

「それはだな……その前に、手先が器用で、集落では職人をやっていた者達を呼んでくれ。作戦を説明する」

 時光は自信満々に言った。
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