第38話「アイヌパイク兵」

文字数 3,780文字

 その日の朝、アイヌの戦士団とモンゴル軍はカラプトの雪原で向かい合っていた。南下を続けるモンゴル軍をアイヌの戦士団が迎え撃つ形である。

 アイヌの戦士団は、その数約三千である。本来はもっと多いのだが、先日の敗戦による死傷者と、カラプトの全土に工作のために小部隊を多数出しているので、現在はこの程度しか参戦出来ない。

 それに対するモンゴル軍は、その数約二千五百である。カラプト方面部隊の敗残兵と増援部隊を合わせた数である。これ以外にも数百の負傷兵がいるのだが、一週間にわたり敗走を続けた影響は重大で、近くの露営地から動くことは出来ない。

 態勢的にはアイヌの戦士団が防御であり、しかもモンゴル軍よりも兵力が多い。俗に攻撃側は防御側に対して三倍の戦力が必要と言われているが、その説でいけばアイヌ側の勝利は確定したも同然である。

 しかし、防御側と言っても籠城している訳ではないし、戦闘集団としての練度は大陸を制覇したモンゴル軍が圧倒的に上である。総合的に考えればモンゴル軍の方が有利であろう。戦力とは単純に兵数のみで計算できるものではないのだ。

 しかも戦場である平原はモンゴル軍の主力である騎兵にとって有利な地形である。もう後がないためここを戦場として選択せざるを得ないアイヌ側の運命は、風前の灯火と言えよう。

 モンゴル軍は騎兵を前面に押し出した隊形で、ゆっくりと前進を続けていた。騎兵の中央はヨーロッパ出身の騎士であり、その両側面をモンゴル出身の弓騎兵が防御するような形である。先日の戦いでの騎士による突撃を、今回も敢行するつもりであることは隊形を見るに予想することが出来る。

 それに対するアイヌ側は弓を構えた歩兵が、ある程度密集した隊形を作っていた。もっとも、これは見えている範囲での話であり、これ以外に潜伏している可能性は否定できない。

「ガウリイル殿。どうする? このまま突撃するか?」

「当然だ。何か小細工しているかもしれないが、多少の事なら踏みつぶせるだろうさ」

 元カラプト方面部隊の副将であるアラムダルが、増援部隊を率いる騎士のガウリイルに対して確認し、ガウリイルはそれに対して答えた。勝利を確信しているような、自信に満ちた口調である。

 ガウリイルが突撃を命じようとした時、アイヌ側から一人の男が進み出て来た。降伏か交渉か何かの使者かと思い、観察をしているガウリイル達に蛮声が響いて来た。

「やあやあ! 遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我こそはウペペサンケの長、サケノンクルである! 命のいらぬ者はかかって来い!」

 サケノンクルの名乗りは離れていてもモンゴル兵の耳に届き、前進が止まってしまった。

「あの者は何を言っているのだ?」

「さあ?」

 ガウリイルは傍に控えていたイスラフィールに尋ねたが、聞かれた方も分からなかった。何しろ彼らはアイヌ語を解さないのである。兜に覆われて顔が見えないガウリイルであるが、その困惑する表情が伝わってくるかのような声色であった。

「あー、どうやら自己紹介と挑戦のようですな」

「おう、そうか。そう言えば日本の武士はその様な行動をとってから一騎討ちを挑んで来るとか聞いたことがあるな。近くに住んでいるだけあって、習慣が似ていると見える」

 少しアイヌ語を理解しているアラムダルの解説に、ガウリイルは納得したようである。騎士と言うある種の理想を追い求める文化を有する者として、名乗りに関して早々に理解したようだ。

「どうしますか? まさか一騎討ちとやらに付き合ってやるのですか?」

「まさか! その様な必要はあるまい。一息に押しつぶすぞ!」

 ガウリイルは再度前進の指示を出し、自らを軍を進めた。

 さて、一時困惑していたモンゴル軍であるが、アイヌ側でも困惑しているものがいた。日本の武士である撓気時光(たわけときみつ)である。

「あれ、何?」

 サケノンクルは天地を揺るがすような迫力で名乗りをしたのだが、その様な行動に出ることは打ち合わせには無かった。

「何って、トキミツの真似だろう」

「そりゃあそうだけど」

 先日の戦いで、サケノンクルが窮地に陥っていた時に、時光は名乗りを上げて横槍を入れたのは事実だ。この時は敵に注意を引き付ける必要があったのでそうしたのだが、今は関係があるとは思えない。

「それに、蝦夷ヶ島での戦いで、安藤五郎達相手に名乗りを上げただろう? そのことをエコリアチが皆に語っていたが、サケノンクル達は自分達も真似をしてみたいものだと言っていたな。まさか今やるとは思っていなかったが」

「やめてくれよ……敵だって訳が分かんなくて困っているじゃないか」

「そう言えば蝦夷ヶ島での戦いで、トキミツが名乗りを上げた時も敵はそんな反応だったな」

 武士が敵に向かって名乗りを上げて一騎討ちするなどと言うのは、軍記物語の中の話である。実際は自分の手柄を誇示するために味方に聞かせるようにするものである。

 若くて経験の浅い時光は軍記物語の主人公の様に名乗りを上げてしまった。その時散々仲間にからかわれたので、サケノンクルが名乗りを上げているのを見るのは、自分の失敗を掘り返されているように感じてしまうのだ。

「といってもアイヌ達はあれを格好良いと思っているぞ」

「ああそうかい」

 アイヌは人間同士の戦争が日本や大陸ほど多くはない。そのため、ある意味牧歌的な面がある敵に対する名乗りは、アイヌの美意識に合致したのかもしれない。

「来たぞ!」
 
 馬鹿馬鹿しい事を喋っていた時光だったが、そうも言ってられなくなった。モンゴル軍が前進を再開したのだ。前面に押し立てられた騎兵が、徐々に速度を上げて近づいて来る。

「打ち合わせ通りだ! 踏ん張れよ!」

 サケノンクルが周囲に檄を飛ばす。特に返事は無かったが、静かな闘志が辺りに漲っていた。

「放て!」

 襲い来るモンゴル軍に対して、サケノンクルの号令の下アイヌの戦士たちが矢を放つ。矢には毒が塗られており、かすり傷でも戦闘不能に陥らせることが出来る凶悪な兵器であるが、鎖帷子(チェインメイル)で身を包み、大きな盾で防御する騎士の一団にはほとんど効果が無かった。運悪く偶然防御の薄い所に矢が命中してしまった少数を除き、長大な騎兵槍(ランス)を構えて突進してくる。

 以前はランス突撃に対して成すすべが無く、一撃で粉砕されてしまったのだ。折角放った矢ではあったが、騎士の突進力は全く減衰されていない。

 このままでは以前と同じ様になってしまうだろう。

「かまえぇい!」

 騎士の穂先がアイヌの戦士団に達しようとする直前の事であった。サケノンクルの号令でアイヌ側に動きがあった。

 アイヌの戦士達は弓を手放すと、降り積もった雪の中からある物を取り出して前方に構えたのだ。

 それは、騎士のランスよりも長い、木製の槍であった。

 石付部分を地面に固定し、穂先を前方に向けて待ち構えたのである。

 騎士のランスは敵の体を貫くことなく、騎士達はアイヌの槍に勢い余って突っ込んで貫かれるか、驚いて棹立ちになった馬から放り出されることになった。

 先頭の一群が突撃に失敗したのである。当然それに続く騎士たちは突撃が出来なくなり立ち往生した。

「今だ! 矢を放てぃ!」

 アイヌの戦士団の後方に控えていた者達が、立ち止まってしまった騎士達に対して容赦なく矢を放つ。近距離で動かない目標であれば、優れた狩人であるアイヌの戦士にとってただの的である。鎧の薄い部分に正確な射撃を食らった騎士たちは次々と倒れていく。

 長槍による騎兵突撃の防御が、アイヌの戦士達が案出した作戦である。

 羅馬(ローマ)の坊主であるグリエルモは、(いにしえ)からの西方の戦について語ってくれた。その中には密集隊形による槍衾というものがあり、様々な時代で改良を重ねながら採用されていた。これを真似することが勝利への道だとアイヌの戦士達は考えたのである。

 実際、時光が生きたのよりも未来において、スイス歩兵の長槍(パイク)による槍衾は、騎士達の戦場における地位を下落させることになった。アイヌの戦士達がとっている戦い方はそれと同じ思想である。

 ただ、この槍衾と言う戦法は、思った以上に難しい。戦場において敵の圧力を受けてなお、微動だにせず待ち構えるというのは想像する以上に難しい。特に騎兵突撃などの圧力は凄まじいものがある。そして、一人でも恐怖に負けて逃げ出せば隊形が崩れて意味をなさないのだ。

 古来からこの戦いたが出来るのは、ギリシアの市民兵やスイス傭兵など、世に聞こえた精鋭揃いである。

 では、なぜアイヌの戦士達はこの戦法を訓練することなくとれたのであろうか。

 それは、彼らの熊狩りの手法が関係する。

 アイヌの狩人は時にヒグマを狩猟の対象とするが、罠や毒矢による狩り以外に、槍によるものがある。

 長い木製の槍を携え、石付を地面に固定して待ち構え、立ち上がって覆いかぶさってくるヒグマの勢いと体重を利用して串刺しにするのだ。

 まさに今騎士に対してとった戦法と同じ手法である。

 騎士の突撃は確かに恐ろしいが、どの地域でも生態系の頂点に君臨する熊に比べたら何という事はない。その熊と対峙してきたアイヌの戦士達にとって冷静に待ち構え、串刺しにするなど容易い事なのだ。

 騎士の突撃が完全に防がれて、モンゴル軍は混乱に陥った。ここから戦は新たな局面に入ることになる。
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