第14話「矢に毒とは卑怯なり」

文字数 3,223文字

 アイヌの戦士団を加えて総勢二十人ほどの時光一行は、帰来した偵察の案内でイクスンペツの山道を進み、囚われたアイヌの居る場所に向かっていた。

 あまり足場がないので時光は馬から降りて進む。大鎧を着ているので山道はかなり疲れるが、直前まで休息をとっていたので問題ないだろう。大鎧というと騎乗して弓で戦うことが前提のように一部では思われているが、日本はその多くが山地であり、そこで戦うことを生業とする武士にとって、重い鎧を身に纏って徒歩で戦うなど当然のことと言ってよいだろう。

 今回は最初から戦うことが目的である。防御力の高い大鎧は必ずや役に立つことだろう。

「こちらです」

 案内をしてくれたアイヌが指し示す方向に、一人のアイヌが監視しているのが見えてきた。敵が近いことを認識した時光達は身を低くして物音を立てないようにして進んだ。かなりの大人数、しかも金属鎧を装着しているので、いくら抑えてもそれなりの音がするのは防げないが、目的地の方からは何か固いものと固いものをぶつける音などが響いており、ある程度紛らせることが出来る。

 おそらく響いている音は何かを採掘している音だろう。

「状況が少し変わった。あんたらを呼びに行った後、モンゴル達が二十人位山を下りて行った。和人も一緒だ」

「それは……良い知らせだな」

 安藤正之の情報によれば、安藤五郎と共に行動する蒙古は三十人程度、つまりここに残るのは十人位である。時光一行は二十人程度なので倍近くいる。これで勝機は見えたようなものだ。ここに来るまでは自分たちよりも多数の相手に、どうやって対処するかを悩んでいたのだが、それは解消されたと言っても良い。

 後はアイヌを人質に取られないようにすることが重要だ。

 今の時間はもうそろそろ昼になろうかといったところである。昼食に出てきたところを奇襲しようという事になった。

 今回は変装作戦はやらない。安藤五郎は肥満体という事で、和人の顔をあまり判別できない蒙古でも、時光や丑松の変装を容易く見破ってしまうだろう。

 日輪が空に最も高く輝く頃、予想通りに蒙古がアイヌを連行しながら採掘坑から出て来る。そして、昼食の準備を始めた。

 時光達は事前に採掘坑の入り口の周りを囲むようにして配置している。茂み、樹上、木の陰に気配を殺して待ち受け、時光の合図を今か今かと待ち受ける。

 蒙古が腰を下ろして食事を始めたあたりで、良い時期と判断して合図を出そうとした時光は、何処からかこちらを見ているのを感じ取った。一体誰が見ているのかと慌てて辺りを見回すと、一頭の鹿がこちらを見ているのを発見して、時光は胸をなでおろした。これが敵に見つかっていたのなら作戦は失敗になるところであった。

 しかし、この時予想外の事態が発生した。

 昼食の干し肉を食らっていた蒙古がこの鹿を発見し、狩猟の民の本能からかそばにあった弓を手に取り、この鹿目掛けて矢を放ったのだ。

「ピー!」

 鹿は矢を受けた痛みで暴れながら走り出し、アイヌが潜伏している茂みを踏み荒らした後、ばたりと倒れて息絶えた。

 草むらに隠れていたアイヌは溜まらず姿を現してしまい、蒙古に見つかってしまった。

「くっ! 射て!」

 状況が急変したのを見て取った時光は即座に号令を発するが、その時にはすでに蒙古も態勢を整えていた。流石に大陸に覇を唱える蒙古の精兵といったところである。

 最初の射撃で蒙古は半分になる。しかしアイヌも何人か反撃の矢を受けたらしくその場に倒れた。

「突っ込め!」

 時光は太刀を抜きながら生き残った蒙古に向かって突撃した。これにアイヌも山刀を抜きながら続く。戦闘の事だけを考えるのなら、このまま矢を放ち続けるのが有利なのだが、それでは労働に誘拐されたアイヌを人質にされてしまう危険がある。時光の任務はアイヌとの信頼関係が重要だ。ここは危険を冒してでもアイヌの安全を確保しなければならない。

 突撃してくる十数人の敵を前にして、蒙古も反撃の為に近接戦闘の武器を手に取った。時光の前に待ち受けるのは二人。片方は片手持ちの曲刀、もう片方は槍である。

 先ずは槍が時光の胴体目掛けて繰り出される。槍は時光が初めて目にする武器だ。同様の長柄の武器としては古代に鉾が存在したが、戦闘方法の流行りから今では廃れており、槍が出て来るのはこれより後の室町時代の事である。薙刀はそれなりに使う者がいるが槍とは使い方がかなり違う。

 しかし、初めて見る武器であっても時光は冷静に対処した。繰り出してくる槍の穂先を体の転換動作で躱すと同時に、太刀を振るってその柄を切り落とした。

 こうなると冷静さを欠いてしまうのは、得物を破壊された蒙古の方だった。慌てて穂先を失った槍を捨てて剣を引き抜こうとする。が、それよりも早く間合いを詰めた時光がその首を刎ね飛ばした。

 穂先が無いただの棒であっても、その間合いは太刀に対して有効で、殴れば当然のように効果がある。つまり、下手に武器を交換しようとせずに仲間と連携して戦いを続けた方が、勝ち目があった事だろう。しかし、それも後の祭りである。

 残るもう一人は仲間が無残に殺されるのを見て、背中を見せて逃亡した。流石に大鎧を纏っている時光では敏捷さでは敵わない。逃げた蒙古は採掘坑の中に姿を消してしまった。

「ちっ。まあいい。ゆっくりと探し出せばいいだろう」

 どうせ行き止まりになっているのだろうから、追いかけるのは容易い。しかし、採掘坑内部の構造が分かっていないのに追いかけるというのはあまりに無策であろう。中で働かされていたアイヌに情報を聞いてからでも遅くあるまい。

 他の戦いはどうなっているかと目をやると、既に決着がついているのが確認できた。流石にこれだけ人数差があっては、大陸最強の蒙古兵と言っても勝ち目はなかったようだ。

「いいか? かなり痛むけど我慢しろよ?」

「ぐあぁっ!」

 時光の目に妙な光景が飛び込んできた。二人ほど矢を受けていたのだが、そのアイヌを治療している者が矢を引き抜いた後その傷口の周りを短刀で抉っているのだ。

「おいっ。一体何をやっているんだ? そんなことをしたら傷の治りが遅くなるじゃないか」

「トキミツさん。モンゴルは毒矢を使うのです。なのでこうして毒がまわる前に傷口ごと抉り取るしか対処方法はないのです」

 訝しむ時光にエコリアチが答えてくれた。

 武士は毒を戦いで使う事はない。武士は勝利のためには夜討ち朝駆け火責めと何でもやるが、毒はその美意識に反するために使用することはない。文化の違いなのだろうが、平然と毒を使用して仲間を傷つけてきた蒙古に怒りが湧いてきた。

「おのれ。矢に毒とは卑怯なり!」

「えっ?」

「うんっ?」

「あれっ? 皆どうした? 俺、なんか拙いことでもやっちゃったか?」

 時光の発言に、周囲のアイヌが微妙な反応をしてきた。理由が分からない時光にオピポーが近づいて来た。

「トキミツ。アイヌも毒を使うのだ。エコリアチ達の矢を見てみるがいい」

 オピポーに言われてエコリアチの矢を見ると、矢に窪みがあってそこに何かが塗り込まれているのが見えた。ここに毒が塗られているのだろう。

 アイヌは狩猟でトリカブトの毒を主体にした毒矢を使用する。毒を使用することによって蝦夷ヶ島最強の生物である羆ですら仕留めることが出来るのだ。

 どことなく間が抜けていて、微妙な空気が辺りを支配する。他の文化圏の習慣は尊重することが必要なので、これは時光の失言である。

「えーと。すんませ……うわっ?!」

 一応謝罪の言葉を、時光が述べようとした時に採掘坑の方から轟音が鳴り響いた。その方向を見ると舞い上がる土埃で何も見えなくなっていた。しばらくたってそれが晴れると、先ほどまで空いていた採掘坑の入り口が崩れて塞がれているのが確認できる。

 「一体何が起きたんだ?」

 しばらくの間常識を超える光景を目の当たりにして、時光は呆然としていた。
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