第51話「火馴鹿(トナカイ)の計」

文字数 3,562文字

 カラプト侵攻のため、海峡を覆う氷を渡ろうとしていたプレスター・ジョンの軍勢は、元来た道を引き返していた。

 先ず、彼らの本拠地であるヌルガンの周辺で火の手が上がり、周辺の集落に襲撃されているらしいとの伝令があり、この時点で海峡を渡るのは延期となった。まだ詳しい状況が把握できていないため、退却も前進も判断はしていない。

 さらに、ヌルガン城が敵の手に落ちたとの急報が入り、この時点で最早捨て置くことは出来ないと判断し、本隊は引き返すことになったのだ。

 本拠地からの兵站支援がなくては、カラプト遠征を成功させることは難しい。現地調達など、無理を重ねれば支援がなくてもなんとかなるかもしれない。実際、モンゴル帝国は領土拡大戦争において優れた兵站支援体制を構築しただけでなく、現地調達も大いに活用してきた。

 特に、カラプトは一旦モンゴルの傘下になっておきながら、反旗を翻したという経緯がある。モンゴル帝国は軍門に下った敵に対して、文化、宗教、徴税等において寛容な支配者である。しかし、裏切った相手、頑強に抵抗した相手に対しては容赦のない殺戮や略奪をするという特性もある。これを考慮すればカラプトの各地で食料・物資を略奪しながら進軍するのは、モンゴル軍の行動としては至極当然のことである。

 しかし、プレスター・ジョンの軍勢はキリスト教徒を中心に構成されている。キリスト教においては博愛の精神を唱えているので、彼らを束ねている以上、あまり残虐な行為をすることはできない。

 もっとも、実際のキリスト教国の軍隊は、異教徒に対してであったり、また、キリスト教徒同士であっても、非情な行いにでることは珍しくない。そこは本音と建前である。

 しかし、東方に伝わったキリスト教を信じる者達にとっては、本場から離れているからこそある意味純粋な部分が残っており、神の教えに対して真摯であった。

 また、本場のキリスト教のドロドロとした内面を知っている騎士達を率いるミハイルは、勇猛かつ慈悲深く、謹厳実直な騎士道精神を体現したような人物であり、そのことも軍全体の雰囲気に影響している。

 そして、この軍を構成している兵たちは、皆モンゴル帝国においては敗北者と言える者達だ。

 大将であるプレスター・ジョンことタシアラは、チンギス・ハーンに下克上されたトオリル・ハンの子孫であるし、その他のモンゴル人も非主流部族だ。また、騎士達はモンゴル帝国のヨーロッパ侵攻の際に捕らえられた者だし、他にも漢人、女直人、イスラム教ニザール派等、征服過程で敗北した者ばかりである。

 彼らを率いてあまり非情な行為に走るのは、士気を下げることになり得策ではない。

 結論としては、カラプトに渡ったミハイルの先遣隊は、海峡を渡ってすぐの拠点であるボコベー城に留まることとし、本隊は一旦ヌルガン城に戻ってこれを奪還、その後に再度カラプトを目指すこととなった。

 そして、ヌルガンに向かって進むプレスター・ジョン達の前に、新たに二人の男が情報を持って現れた。

 その二人は赤い髪と青い目をした西方出身の中年男性であり、名をニコーロ=ポーロとマフェオ=ポーロという。

「おお! ニコーロ殿、マフェオ殿。よく無事に城を脱出出来ましたな。ご子息のマルコ君は、今カラプトに伝令として行ってもらっているので、会わせることは出来ない。さっそくで悪いが城の状況について教えて欲しい」

 プレスター・ジョンは本当に嬉しそうな表情を露わにすると、軍に休憩の指示を出し、主だった者を集めてニコーロ達の情報を元に今後の方針を定めることとした。

 ニコーロ達は、ヌルガン城が落ちた時の状況、その後時光に助けられて知った情報などについて詳しく皆に教えた。

「何と。敵はボコベー城が我々の手に落ちて落ち延びたその足で海を渡り、ヌルガンに襲いかかったというのか?」

「はい。本拠地を襲われれば必ず我々の進軍が止まるか退却するだろうとの判断らしいです。今の状況を考えれば時光の狙い通りになっているといえるでしょう」

「う~む。これはまさに故事の()()()()の計略を実践したようなもの。この策を知る者は数多くいますが、実行するだけの大胆さと実行力を持つ者は中々いないでしょう」

 ニコーロの報告に、プレスター・ジョンとその部下である漢人の将軍であり()()()()の称号を持つ壮年の男は驚きを隠せなかった。軍を率いる者にとって、自分の動きを敵に制御されているほど不気味な事は無い。

「そしてわざと火の手を上げて城からの出撃を誘引し、変装による偽装も併用して戦力の下がった城を奪い取る手口。博打の要素が大きいが、実際成功してしまっている。これは評価するよりあるまい」

「そうですな。それに、城が奪えなかったとしても、脅威を与え続ければ本隊を引き付けるという目的は果たせたはず。そう考えると最初から敵の考え通りに事は運んでいたと言えるでしょうな」

 ボコベー城を脱出してからの時光の戦いは、運の要素が大きかったり思いつきな所があるのだが、結果としてしてやられた形のプレスター・ジョン達としては、勝手にその実力を過大評価している。

「そう言えば、どうやって城を脱出したんだ?」

 話題を変えるようにプレスター・ジョンはニコーロ達に尋ねた。状況から言って、ニコーロ達が時光に寝返り、嘘の情報をプレスター・ジョンに流しに来たと疑っても仕方がない。しかし、プレスター・ジョンの口ぶりはそんなことは全く思っていないような、純粋に興味を抱いたような雰囲気であった。

「それはですな。敵の指揮官の時光という男とは、以前蝦夷ヶ島で共にしたことがあるのですよ」

「ほう?」

 ニコーロ達は時光に関して知ることを全部話した。

 時光は日本(ジパング)の武士であり、その国の最高権力者から命ぜられて蝦夷ヶ島にやって来た事。

 その任務は北方におけるモンゴル軍の動きを探り、日本への侵攻を防止する事。

 その過程で、蝦夷ヶ島に派遣されていたフビライの放った斥侯や、モンゴルに寝返った地元の有力な武士を制圧した事。

 これらの事を通じてカラプトや蝦夷ヶ島に住む民族であるアイヌの信頼を勝ち取っている事。

 ニコーロ達は一旦時光と別れたのだが、ヌルガン城で再会し、ニコーロ達がプレスター・ジョンの味方であることを知らないため釈放してくれたのだった。

「アラムダルよ。お前がカラプト方面軍の副将をやっている時、皇帝の命令で蝦夷ヶ島の調査に斥侯を派遣したら、誰も戻ってこなかったそうだな?」

「その通りです。恐らくそのトキミツという男に始末されたのでしょう」

「ガウリイル。お前が以前軍を率いてカラプトに攻め込んだ時、アイヌでもニヴフでもない奴に邪魔をされたと聞いたが」

「その男はトキミツと名乗っていました。同じものでしょう」

「はははっ。フビライも我々も、トキミツとやらに邪魔されているという事か。これは何とかしないといけないな」

 軽やかに笑ったプレスター・ジョンはしばらく考え込んでいたが、特に結論を言うことなく、ニコーロ達に確認するように言った。

「ところで、トキミツは鹿等の動物を集めるように指示していたのだったな?」

「そうです。籠城のために食料でもかき集めるのでしょうか?」

「ウリエルよ。お前はどう思う?」

「私に尋ねるという事は、御大将も既に予想が付いているのでしょうがご指名ですのでお答えしましょう。ズバリ、()()()()ですな」

「やはりな」

 火牛の計とは、牛の角に刃を、尾には葦や松明などを結び付け、点火することで敵陣に牛を突入させるという計略の事である。牛のような大型の動物の突進力は中々止められるものではないし、火は敵陣に燃え移るため被害が拡大する。

 代表的な戦例としては中国の戦国時代における斉の田単によるものや、日本の治承・寿永の乱における俱利伽羅峠の戦いで木曾義仲の行ったものが有名だろう。

 牛ではないが別の動物を使用した例としては、チンギス・ハーンによる西夏のウラカイ城攻略戦において、千匹の猫と一万羽の燕に綿を括り付け火を付けたというものがある。これにより城兵は消火活動に追われることになってしまい、その隙をついてチンギス・ハーンは城を陥落させることに成功したのだ。

 これらのことから、動物を利用して効果的に戦ったという事例は多数残っている。敵将であるトキミツという男は、兵法や歴史に通じている様なので、当然この位の知識は持っており、模倣してくることは十分予想できる。

「この辺りの鹿は馴鹿(トナカイ)でしょうな。かなり大型の鹿ですから。もしもまともに我が軍に突撃されたら大損害でしょう」

「だろうな。しかし、分かっていれば対策など容易に立てられる」

 プレスター・ジョンは()()鹿()()()への対処方法について指示すると、進軍の再開を宣言した。
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