第81話「和人の蠢動」

文字数 2,559文字

 イスラフィールを破ってから数日経過した。

 時光達は蝦夷ヶ島に散らばるプレスター・ジョンの軍勢の動向を警戒したり、金を船から回収して隠したりとそれなりに忙しい日々を送っていた。

 プレスター・ジョンが連れて来たキリスト教徒の人夫や船乗り達は、予定通り解放してプレスター・ジョンの下に向かわせた。イスラフィールの敗死を聞いたプレスター・ジョンは何らかの動きをするはずである。何しろアイヌの戦士団を包囲していたはずが、それをすり抜けられて幹部を討ち取られているのだ。また、彼らの大陸の本拠地との連絡手段である船団も抑えている状況は、決して面白いものではあるまい。ならば態勢を整理して、何らかの対応をして来るはずである。

 予想される行動は大きく分けて三つばかり時光は予想している。

 第一は、ワッサムに待機しているアイヌやニヴフの戦士団本隊を全力で叩くことだ。これは一見背後にいる時光達の存在を無視しているように見えるが、いくら背後に回り込まれているとはいえ、短期間で決定的な戦果を上げられるほどの戦力を隠密に潜入させたとは敵も予想しない筈だ。実際時光がイシカリに進められた兵力は二百ばかりである。

 ただし、アイヌ達の本隊が守るワッサムに辿り着くためには、草木の生い茂る丘陵部を超えなければならない。現在プレスター・ジョンの軍勢はそれぞれ高所や隘路に陣取って防御に有利な状況にある。だからこそ時光達は包囲を力押しで突破することが出来なかったのだが、ワッサムを攻めるとすれば逆の状況になる。また、時光はワッサムを出発する際に防御を固めるように指示しているため、今頃辺りは柵等の防御施設や落とし穴などの罠が仕掛けられているだろう。ここを抜くことは、如何にプレスター・ジョンの軍勢が強力とはいえ困難なはずだ。

 もちろん、時間をかければ突破することは十分可能なため、敵がこの方針を選んだ場合には時光が後方をかく乱し、妨害し続ける必要がある。

 第二は、別働隊を編成してイシカリの時光達を殲滅する事だ。これはなるべく現体制を維持したまま、時光達を排除してイシカリとの連絡を回復させることが可能である。

 ただし、蝦夷ヶ島の大地に生きる民であるアイヌを主力にした時光達が潜伏したとすれば、これを早期に発見して撃滅することは困難である。撃滅さえされなければ、時光達は連絡線を脅かし続ける事が可能なのだ。つまり中途半端な点が多いと言えよう。

 しかも、戦力を抽出して戦力が弱まった陣地を、アイヌの本隊で奪取できる可能性があるため、この方針をとられた場合色々な展開が予想できる。

 第三は、一旦全力でイシカリまで下がり、態勢を整理した後に再度蝦夷ヶ島の各地に進出する事だ。これは確実にイシカリを奪還して大陸との連絡を回復し、万全な体制でアイヌの本隊と決戦する事が可能である。この場合無理な攻撃はしないし、戦力を分散させることは無いため、部隊の安全を保つのには良い策である。

 ただし、この方針をとった場合折角占領した蝦夷ヶ島各地を放棄せねばならない。征服しに来た者達にとってこれは心理的に厳しいものがある。また、全戦力を一旦集めるという事はそれだけ動きが鈍重になるとも言える。

 これら、はたまた全く別の方針のどれを敵は選択するのか、時光はひたすら報告を待った。

「報告だ。カムイコタンの敵が下がり始めたぞ!」

「そうか。分かった。まだ判断しきれないが、すぐに動けるように準備しておいてくれ。」

 斥侯の帰来報告を聞いた時光は、慎重にそう言った。敵がイシカリに後退し始めたという事は、全軍後退しようとしているのかもしれない。だが、後退するのは一部であって、それでイシカリを奪還しようとしている可能性もある。まだ判断できない。

「戻ったぞ。アイペツの敵がピイエの敵に合流しようとしている!」

「分かった。 よし! 皆良く聞け! 敵はイシカリに全軍で撤退しようとしている! 俺達はこれから本隊に合流してピイエの敵に決戦を挑むぞ! 一部の者はピイエからイシカリに移動する経路に障害を設けて、敵の後退を妨害するぞ!」

「おう!」

 時光は威勢よく仲間に向かって檄を飛ばした。敵は大陸最強のモンゴル軍である。それと野戦で決戦を挑むのはかなりの危険がある。しかし、時間が立つと大陸から敵の増援がやって来る可能性が高くなる。そうなる前に決着を付けられるのはある意味幸運である。ならば覚悟を決めて戦に臨むしかない。

「トキミツ。ちょっといいか?」

「なんだ? エコリアチ」

「モンゴルとの戦いを前に気勢を上げている所悪いんだが、妙な報告がある。俺には判断がつかん」

 出発の準備に取りかかろうとした時光に、エコリアチが神妙な顔で申し出た。

「和人が近くをウロチョロしているらしい。周囲に警戒していた者から報告があった」

「和人? 函館辺りに住んでいる奴らか。 この辺りまで来るのは珍しいのか?」 

「商人が来るのは珍しくない。まあこのところは戦続きでトキミツの家が派遣した者以外は少なくなったがな。ただ、今回見かけたのはどうも武士らしい」

「武士だと?」

 蝦夷ヶ島に地盤を持つ武士は稀である。この地域で見かける武士と言ったら安藤氏しか思い浮かばない。

 時光の頭には、数年前の戦いの事が思い出された。時光はかつての戦いで、蝦夷ヶ島における有力な武士である安藤五郎を、モンゴルと手を組んでいた罪により抹殺した。幸い安藤一族でもモンゴルとの繋がりの会った者は限られていたので、その後大きな騒ぎになる事は無かった。そして、安藤一族の当主たる安藤五郎の死亡により主導権争いが再燃していた所までは時光も承知している。

「良く分からんな。安藤五郎はモンゴルと手を組んでいたが、それはモンゴル皇帝のフビライとのはずだ。現在島に攻め寄せているプレスター・ジョンはそれと敵対する者だ。再度手を組むとは思えん。大体、安藤五郎がモンゴルと手を組んでいた事はほとんど知られていない筈だ」

「だから俺にも見当がつかんのだ」

 蝦夷ヶ島で戦が始まったので、蝦夷代官職たる一門の職責を果たすため、情報収集をしているのだろうか。それとも別の何か理由があるのか。時光には確かな事が分からなかった。

 ただ、その動きに不気味なものを感じるのであった。
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