第61話「再びカラプトからの手紙」

文字数 3,420文字

 とある屋敷の一室、質素ながらも仕立ての良い直垂を身に付けた二人の武士が、送られてきたばかりの書状を前に頭を突き合わせていた。片方は青年に入っていくらか過ぎた辺り、もう片方は中年に差し掛かった外見である。

 青年の方は難しい顔をしている。

 青年の名を、北条時宗(ほうじょうときむね)と言い、五年前――文永(ぶんえい)五年(一二六八年)から執権(しっけん)として幕府を取り仕切っている。つまり、一八歳の若さにしてこの国の権力の頂点に位置してきたのである。

 中年の方は安達泰盛(あだちやすもり)と言い、彼の妹は時宗の妻、つまり義兄弟にあたる人物で、幕府の中枢で権力を握る人物である。

 書状は北における蒙古の動きを探るため送り出した若き武士、撓気時光(たわけときみつ)からの報告書で、五年前に派遣してから定期的に報告を受けている。

 当初は報告の頻度が少なかったが、最近では一か月に一度は届いているので安心が出来る。これも、撓気時光が現地で蝦夷守(えぞのかみ)なる謎の役職に就任し、その土地の民であるアイヌやニヴフとの関係を良好に保っているので、人、物、情報などのあらゆるものが往き来出来るような
態勢が出来ているからだ。通信網の構築について協力を得られたというだけで、撓気時光の功績は抜群であると言える。

 しかし、半年前の冬あたりから雲行きが怪しくなっている。

 プレスター・ジョンと呼ばれる蒙古人の若者を主と仰ぐ集団が、時光の守るカラプトに大規模な軍を侵攻させ、勢力を伸ばして来ようとしたのだ。

 当初は敵の新兵器の前になすすべもなく重要拠点であるボコベー城を陥落させられ、一敗地に塗れていた。その状態から敵の本拠地を急襲するという豪胆な作戦を実行し、敵を大陸まで退却させた時光の働きは見事としか言いようがない。

 ただし、敵を押しとどめることに成功しているものの、敵の侵攻の意思は挫けてはいない。敵の大将であるプレスター・ジョンは、チンギス・ハーンの血を引くものの蒙古帝国の中では権力の中枢から外れており、おそらく本人にも含むところがある為か本国との連携があまり見られないのが救いではある。

 しかし、プレスター・ジョンの名は東方におけるキリスト者の君主として遠く西方まで知られており、世界各地に協力者が存在している。プレスター・ジョンの幕下の騎士や、投石機の技術者、漢人の武将、西方の商人などだ。彼らの活動が活発化した時、日本、元王朝をも巻き込む新たな戦乱の時代が始まるだろう。

「なあ泰盛よ。撓気時光はこの先どう戦うと思う?」

「はて? 何しろ現地を直接見たわけではありませんので、具体的には申せませんな」

 時光が守るカラプトや蝦夷ヶ島は、日本の支配地域から外れた遠隔地である。その地域の事を良く知らない者が現場にあれこれと細かい口出しをするのは、却って混乱を招く。現地の実情をよく知らない中央の上役が、不適切な命令を発してその結果敗北に繋がったことなど、歴史上枚挙にいとまがない。上に立つ者としては無責任なように見えるが、余計な口出しをせず現地に任せるというのも時には必要なのである。

 とは言え、余計な口を出さないのは戦術級の事についてである。戦略級の事象については中央が統制しなくてはならないし、お膳立てをしてやらなければ現地も活躍することが出来ない。特に組織としての方針は示してやらねば、現場も判断に迷う事になる。時光は細かい方針が無くても、最初に受けた北方における蒙古の調査と防衛の任務を達成するために、良いと思ったことは時宗に伺いを立てなくても実行するのだが、それでも時宗が指示してやった方が安心することだろう。

「実は、北方のプレスター・ジョンとは休戦の約定を結べないかと思っている」

「ほほう? それはまたどうしてですかな?」

「奴らも蒙古の本国と同様、海を越えて勢力を伸ばそうとしているが、本国と折り合いは悪そうだ。そういう奴らにとって、カラプトや蝦夷ヶ島、そしてそこを経由して我が国と交易できるだけでも利益になるはずだ。何しろ隙あらば独立したいはずだから背後が安定するのはありがたいだろう」

「なるほど。そして、こちらから彼らに完全勝利を収めるのは難しいと?」

「その通り。蝦夷ヶ島やカラプトの民の戦闘能力や時光の作戦で押しとどめてはいるが、根本的に戦力では劣勢である。逆転して殲滅するのは不可能だろう。いくら続けても守るしか出来ない。御家人を大勢送り込めれば戦力比を逆転させるのは可能であろうが……」

「それは無理でしょうな」

 現在日本の武士は蒙古の西国への侵攻に備えて、防御の準備を進めている。西国への侵攻はほぼ確実なため、北方に戦力を投入する余裕などまずない。敵の侵攻が九州のみであると見積もり、最小限の戦力しか防御にあてないのであれば、北方遠征も可能な戦力を抽出出来るかもしれないが、それを任せられるだけの人材がいない。大勢の御家人を纏め上げるだけの家格や実力のあり、更には信用できる者は九州で防備にあたっている。少弐氏や、大友氏などだ。

 時光は信用できるのだが、弱小御家人出身であり、まだまだ若輩者なので癖の強い武士たちを統制することは不可能だろう。現在指揮官として立派に責務を果たしているのは、その下に就いている現地の民が純朴であるからだ。

 実は、北方には安藤氏という蝦夷ヶ島にも勢力を持つ有力御家人の一門がおり、土地勘や実力から言っても申し分がないのだが、一門の長で蝦夷代官職に任じられていた安藤五郎が裏で蒙古に通じており、数年前に時光に斬殺されている。

 安藤氏も一枚岩ではないので、安藤五郎のように信用できない人物ばかりではないのだが、流石にこの一門に大勢力を預けるのは不安で出来ない。場合によってはまとめて裏切ることだって考えられる。

 そして、蝦夷ヶ島において安藤氏に協力を仰げないのであれば、他の誰も軍を纏め上げることは出来ない。現地の有力者にそっぽを向かれては、軍事行動は成立しないのだ。

 実は、これを全て解決する方法がある。

 安藤氏を裏切り者として族滅すると宣言し、恩賞の土地は切り取り次第とするのだ。そうすれば、土地を求めて喜び勇んで駆けつけた御家人たちが、現地で邪魔な安藤氏は排除してくれるだろうし、その勢力をそのままプレスター・ジョン対策に充てることが出来るのだ。

 しかし、これは内乱を誘発する行為であり、日本全体として一致団結して対蒙古戦に備えなくてはならない現状を鑑みるに、採用するべき方策ではない。特に、北方での蒙古の活動は日本のほとんどの者は知らないのだ。もし世間に知られれば混乱を引き起こしてしまい、九州防衛にも影響があるかもしれない。

 結局陰で活動する時光を支援するのが一番妥当なのだ。

「まあこの話の続きは報告書を確認してからにしよう。よし、それでは報告書の内容を確認するとしよう。泰盛。内容をかいつまんで教えてくれ」

「はい。要点をまとめて報告いたしますれば、プレスター・ジョンに誘われたので、ちょっと大陸に行って来るとの事です」

「……? おお、そうか」

「おや? いつものように『たわけが!』とか怒らないので?」

「奴が突飛な行動をとるのには、もう慣れた」

「実は私もです」

 安達泰盛は澄ました顔で答えた。

 以前、時光の報告書には、現地の有力者である安藤五郎を無断で斬殺、断りなしに官名を詐称、大陸の敵本拠地を勝手に襲撃など、独断専行で厳密には厳罰に値する行動がいくつもあり、その度時宗は激怒していた。しかし、そのいずれの行動にも妥当な理由があり、今回の件もそうだと時宗達は信じているのだ。

「状況からして敵に懐柔されているようにも見えますが?」

「そうも見えるだろうが、時光が寝返るとは思えん。先ほどこちらが考えていたのと同様、プレスター・ジョンと休戦などの約定を結べないか模索しているのだろう。まあこれは本来外交上の事だから、勝手にやるのは独断専行だし朝廷をないがしろにしていると言えなくもないが、現在奴は現地の民の代表としての一面もある。許容範囲だろう」

「ふむ。ではお許しになられると?」

「そうだ。この件についてはこちらからも後押しするし、現地の判断は基本的に追認すると指示を送ろう。筆と紙を持て」

 話し合いでかたが付くのならそれに越したことは無い。そして、プレスター・ジョンの勢力は蒙古本国の喉に突き刺さった小骨の様に、その行動を阻害することだって期待できる。その様な事を考えながら時宗は筆を走らせた。
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