第56話「東氷上の戦い」

文字数 2,567文字

 ミハイルが率いるプレスター・ジョンの先遣部隊は、ミハイルの指揮の下整然と進軍を開始した。向かうは西に広がる氷に覆われた海峡である。氷の上を渡ればすぐにモンゴル帝国の支配する大陸にたどり着く。

 直接の戦闘で負けたわけではないのだが軍全体としては負け戦であり、退却という状況、更には前後に配置された敵が挟み撃ちを狙っているという最悪の状況である。

 それにも関わらずミハイルの配下たちは落ち着いた様子である。通常なら我先に逃げ出し、壊乱してしまったとしてもおかしくはない。それを刺せないミハイルの指揮能力を表していると言えよう。

 ミハイルの配下の内、ヨーロッパ系の騎士達は幼少からミハイルに拾われて育てられたのだからそれだけの信頼関係を築いていたとしてもあり得る話である。しかし、それ以外のモンゴル人や漢人、(ペルシャ)人などの配下までまとめ上げているのは特筆に値する。

「ミハイル様! 前方にトナカイのソリに乗った敵が待ち受けています!」

「前進を続けよ! 突き進んで敵陣を切り裂くのだ!」

 ミハイルの号令の下前進速度を速めたモンゴル軍は、時光の率いる氷上の部隊に恐れを知らぬように突き進む」

 氷上に布陣したカラプト・蝦夷ヶ島の諸部族の部隊はトナカイの引くソリの上から、ミハイルの部隊を近づけまいとゆっくりと後退しながら矢の雨を降らす。モンゴル軍の先陣を切る騎士達はその騎馬まで鎧で包んでいるため効果は薄いが、それでも着実に数を減らしていく。しかし勇猛果敢な騎士達は怯むことなく突撃して行く。長槍(ランス)が届くまでもう少しというところまで前進した。氷上での機動力は本来なら騎兵よりもトナカイの方が上であるが、慣れていない攻撃しながら後退するという戦術行動をしながらでは動きが鈍るのだ。モンゴル軍はこれを得意としているのだが、戦に疎い狩猟民では限界がある。

「ソリで防壁を作れ! まともにぶつからせるな!」

 カラプト・蝦夷ヶ島部隊の指揮官らしき若者が、大声で命令を下しているのをミハイルは確認した。

 その若者は大鎧(ラメラ―アーマー)に身を包み、長大な弓を携えている。カラプトや蝦夷ヶ島の民とは一線を画した風体である。この若者が日本(ジパング)から来た戦士のトキミツであろうことを、ミハイルは即座に判断した。数年前に愛娘の率いる軍を打ち破った男だ。その時の事は散々娘から聞かされている。

「やりおるな。トキミツとやら。これでは突き崩すのに時間がかかるわ」

 時光のとった戦法――移動のできるソリで防御陣地を構築するような手段は、古今東西様々な戦で見ることができ、ワゴンブルクなどと呼ばれることもある。古代ローマ軍も使用したし、漢が匈奴の騎馬民族に対抗して使用した事もある。つまりは騎兵に対して有効な戦法と言える。

 通常ならもっと頑丈な馬車等を使用し、トナカイの引くソリ程度では騎兵に対抗するのは難しいが、ここは氷上である。氷で滑り、騎士はその真価を発揮することが出来ないため、この程度の防御陣地でも突破するのに苦労している。数では勝っているためその内勝利することが出来るだろうが、その時間を時光は与えるつもりはないだろう。

「ミハイル様! 後ろから敵が!」

 前進を阻む敵に時間をとっている間に、後ろから敵の増援が追い付いて来た。今度の敵は数でミハイル達に優勢であり、態勢上でも挟み撃ちになっているためミハイルは完全に窮地に陥っている。

「ミハイル様! 策はまだですか?!」

「慌てるな。もう手は打ってある」

 ミハイルの傍にいたマルコ=ポーロが危機感を覚え、現状を打開することを懇願した。だがミハイルは余裕の表情を崩さない。ミハイルの部下達も焦った様子は無く、この状況が打開されると信じ切っているようだ。

 状況が急転したのはその直後の事である。

 ミハイルの率いる部隊の背後にカラプト・蝦夷ヶ島諸部族からなる軍が襲い掛かろうとしたその瞬間、その中間地点に何か巨大な物が落下して来て氷を突き破った。人や馬が通れるだけの厚い氷を貫通するのだから相当な勢いである。

「これは?」

 マルコ=ポーロは巨大な物体が飛んできた方を見た。方向はカラプトの陸上であり、更に複数の巨大物体が飛んでくるのが見える。それは巨大な石であった。

「そうか! 投石器(トレビシュット)か! そうですね?」

「その通りだ。攻城戦に使用した投石器を使える状態で残置していてな。更にあれの運用に通じた者達を潜ませておいたのだ。そして機を見計らってこうだ」

 投石器は非常に威力があり、物によっては堅固な城壁ですら粉砕する。しかし、投石器自体の機動力や攻撃範囲の融通性などの限界から、野戦で機動する敵に対して効果を発揮するのは難しい。

 しかし、ミハイルはこの状況において氷上で追撃してくる敵に、効果的に投石器を使用した。すなわち、氷を破壊することで、敵の足場自体を粉砕したのだ。

 追撃をしようとしていたカラプト・蝦夷ヶ島軍は、まず最初に前進経路の氷が消滅し、前進を妨害された。次にならば迂回をと考えている時に、軍の左右を投石器で破壊され、進軍がままならなくなってしまった。そして、止めとばかりに軍そのものに向かって巨石が一挙に降り注いだ。

 野戦であっても動きを止めた相手に対しては、攻城兵器を効果的に使用することが出来る。巨石をまともに食らった者は木端微塵に砕け散り、そうでない者も足場の氷を砕かれた結果、冷たい海にその姿を消した。

「何と凄まじい……これがルーシ仕込みの戦い方という事ですか?」

 窮地からあっという間に逆転したミハイルの作戦に、マルコ=ポーロは驚きの表情を隠せなかった。

「以前、ドイツ騎士団が我がノヴゴロドに侵攻してくるという事がありましてな。その時、主のアレクサンドル・ネフスキーに率いられ、チュード湖でドイツ騎士団を撃破したのだ。その時の戦いを再現したまでだ」

 事も無げにミハイルは言うが、ここまで見事に作戦を成功させるのは並大抵のことではない。連携が上手くいかなければ自分も投石器の餌食になっていたかもしれないし、投石が遅ければ挟み撃ちで全滅していたかもしれないのだ。

「さて、後は目の前のトキミツだが……どうやら今度はこちらが挟み撃ちに出来るようだな」

 ミハイルがトキミツの率いる部隊の方に目を転じた時、大陸から友軍の騎士達が向かって来るのが見えた。
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