第86話「兵書読みの兵書知らず」

文字数 3,162文字

 フラヌ平原に罠を仕掛け、周到な準備を整えたプレスター・ジョンの軍勢に対し、トキミツ達アイヌの戦士団は程なく攻撃を開始した。

 これまでの戦いの様に少数に分散したアイヌの戦士達の散兵が、平原の植生の濃い部分などに身を隠しながら進軍する。プレスター・ジョン側にとってこれは予想通りの行動であり、事前に用意していた柵や堀等に阻まれた敵は思う様に進めず、開けた地形にその身を晒すことになった。

 散兵がその力を発揮出来るのは隠蔽された地形であり、見通しの良い地形では数の暴力には勝てない。しかもモンゴル軍は世界でも比類なき組織力を有する軍隊なのだ。その精鋭たちが得意とする見通しの良い平坦な地形での戦闘は死を意味する。姿を晒したアイヌやニヴフの戦士達は成すすべなく次々と討ち取られていった。彼らとてその弓の腕前は大陸を席捲した弓騎兵であるモンゴル軍に引けを取るものではないが、平地ではこんなものだ。

 また、備えていた火計や水攻めも効果を発揮した。

 蝦夷ヶ島では数日前に大雨が降ったため本来火計は効果を発揮しにくい。そのためアイヌの戦士達はそれを警戒することなく生い茂る草むらの中を突き進んできた。しかし、その予想の裏をかくため、事前に配置していた干し草や火薬は予想通りの効果を発揮した。水気を帯びて延焼しにくいといっても、ひとたび大規模に燃焼し始めれば周囲の水分も蒸発して延焼していくものだ。炎にまかれた戦士達が幾人も命を落としていった。

 水攻めも見事にその威力を示して見せた。この地域の地形に熟知した者が多いアイヌの戦士達は、渡河出来る地点も知り抜いている。そのため、プレスター・ジョンの軍勢の背後に回り込もうとして密かにフラヌ平原に幾筋も走る川を渡ろうとした。しかし、それは巧妙な罠であった。徒歩でも容易に渡れることを知っているからこそ無警戒に渡ろうとしたその時、上流に設置されていた堰が開かれ大量の水が押し寄せて来る。これにより本来子供でも溺れないような場所で勇猛な戦士達が溺れたり、水に流されて打ち付けられたりして死んでいった。

 ここまではウリエルの予想通りの展開である。漢人の士大夫階層出身であり、歴史書や兵法書に通じた能力を見事に発揮した結果だと言えよう。

 だが、戦況を観察していたウリエルは奇妙な事に気が付いていた。

 敵の攻める調子が変わらないのだ。

 通常ならこうも見事に計略が嵌れば、相手は怯んで退却したり、攻める速度や方向を変えるものなのだ。仲間が殺されていく様を見れば自然とそうなるものなのだ。そして、序盤の躓きはその後の戦局に多大な影響を及ぼすものだ。後はそこに付け込んでゆくのが常套手段である。それなのに相手が攻め方を変えてこないのであれば、こちらとしても守り方を変えられないのだ。

 そうなると困ったことが発生する。いくら周到に準備しているといってもそれには限界がある。仕掛けている罠の性質上、後退しながら戦いを継続することになる。

 この、下がりながら戦うのいうのは、本来難しいものだ。後退する途中で敵に捕捉されてしまう可能性があるし、作戦としての退却のはずが恐慌をきたして逃走に繋がる可能性もある。そもそも下がる地形が無い戦場だって多い。

 その点としては、後退しながら戦うのはモンゴル軍のお家芸であり、その退却ぶりは統制が取れたものだし、フラヌ平原は南北数十里に渡り広がる広大な戦場であり、縦深に不足は無い。

 しかし、こうも執拗に攻撃を続けられると、流石に準備した罠や防御設備も足りなくなってくるし、下がるための場所も無くなってくる。気が付けばフラヌ平原の半分以上後退しているのだ。

 作戦が上手くいっているので味方に目立った被害は出ず、敵は損害を増やし続けているのだが、これは不気味である。そして、敵は分散した状態での攻撃を繰り返しているので、折角多大な労力をかけて用意した計略が成功しても、受ける被害は最小限に止まっている。

 これでは割に合わない。

 加えて不気味なのが、敵が正面からの単調な平押ししかしてこない事だ。これまで、敵の指揮官であるトキミツは、大胆不敵な作戦を実行して戦果を上げてきた。それには火牛の計や囲魏救趙の計など歴史書に記されている様なものも含まれており、東夷の蛮人でも漢人の歴史に通じている者がいたのかとウリエルは敵ながら感心し、出来れば仲間にしたいとすら思ったものだ。

 それなのに今回の会戦では奇策を一切使用しない。ウリエルとしては火薬を取り付けた鹿をこちらに向かって放ってきたり、一万を超える大規模な兵力による夜襲位は覚悟していたのだが、そういった様子は全く見られない。

 何故、今までの様な奇策を使ってこないのか。

 それを考えていたウリエルは、あることに思い至った。

 この単調な攻撃こそが作戦なのだと。

 分散した兵力に対し、様々な計略で対処するのは論語で戒めている牛刀で鶏を割く様なものだ。牛刀を用いているおかげでこれまで味方に大きな被害は出ていないが、用意した罠は減り続けており、早晩直接対決をすることは避けられないだろう。そして、兵力こそ失ってはいないが、フラヌ平原の半分以上は失ってしまっている。決戦をするならば機動力が命であるモンゴル軍は、縦横無尽に駆け回る事が出来る戦場を確保することが重要である。それを明け渡してしまったのだ。

 自分の浅慮をウリエルは責めた。見事な計略により味方の被害を最小限にし、敵を華麗に倒すことに気を取られてしまったために、この様な状況になる可能性を考慮していなかったのだ。

 ウリエルは兵法書に通じており、数々の戦で指揮を執って活躍してきたといっても、その基本は文人である。そのため計略により態勢上有利になれば自ずと戦の行方は決まると思い込んでいたのだ。そして、その過程では味方の被害を減らすことも重要であると。

 しかし、トキミツは武門の生まれである。幼い頃から厳しい訓練、いや、行住坐臥全てを戦につなげて生活することにより独自の死生観を持っている。戦において味方の被害をなるべく減らそうとするのは当然であるが、時には命を塵芥の如く捨て去る様な事が必要な場面もあることを知っている。そのため、トキミツも兵法書や歴史書に通じる知識人であるが、考え方の根本が違うため導き出される結論が変わり、今回の様な非情とも言える作戦を実行できるのだ。

 また、トキミツと共に戦うアイヌやニヴフの戦士達は武人ではないが、厳しい大自然と戦いながら生きてきた者達である。自然は時として不条理に人命を奪っていくものだ。その中で鍛え上げられた彼らの強靭な魂は、自らを危険に曝すような戦い方でも問題なく遂行することが出来るのだ。

 数十年前に宋王朝に生きていた朱熹という儒学者が、「程子曰 読論語 有読了全然無事者」という言葉を著書に残しているが、これを意訳すると「論語読みの論語知らず」となる。言うなれば、ウリエルは「兵書読みの兵書知らず」と言えよう。兵法書を読みながら、戦の本質を理解することなく計略などの些末な事に気を取られていたのだ。

「だが、まだ持ち直せる。まだ後退して機動出来る土地が残っている内に決戦を挑めば、こちらに大きな被害が出たとしてもまだ勝てるはず……」

「果たしてそれは出来るかな?」

 戦況が悪化する前に行動に出ることを決意したウリエルの前に、突如として十数名の集団が現れた。

「何奴?」

「俺の名はオピポー。アイヌでもニヴフでも、日本のサブライでもないが、縁があって奴らに助力している。覚悟!」




 フラヌ平原での戦いが始まって数刻経過した後、プレスター・ジョンの下にウリエル重体の知らせがもたらされた。

 その時、彼らは後退するだけの地積を残していなかったのだった。
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