第20話「カラプトからの手紙」

文字数 2,689文字

 とある屋敷の一室、質素ながらも仕立ての良い直垂を身に付けた二人の武士が、送られてきたばかりの書状を前に頭を突き合わせていた。片方は少年と言っても良い顔立ち、もう片方は中年に差し掛かった外見である。

 少年の方はかなり機嫌が良さそうだ。

 少年の名を、北条時宗(ほうじょうときむね)と言い、昨年―――文永(ぶんえい)五年(一二六八年)三月に執権(しっけん)になったばかりである。つまり、一八歳の若さにしてこの国の権力の頂点に位置したのである。

 中年の方は安達泰盛(あだちやすもり)と言い、彼の妹は時宗の妻、つまり義兄弟にあたる人物で、幕府の中枢で権力を握る人物である。

 書状は北における蒙古の動きを探るため送り出した若き武士、撓気時光(たわけときみつ)からの報告書で、前回の報告書から数か月経過している。

 もう少し報告の頻度を増やしてほしい所だが、仕方がない点がある。撓気時光が活動しているのは蝦夷地であり、日本の勢力圏の外である。蝦夷地の端の方に交易などの拠点を築いているが、軍事拠点であったり、蝦夷地に対する政治の中枢ではない。あくまで蝦夷地はその地に住む蝦夷(えみし)――彼ら自身の言葉に従うならアイヌ――のものなのだ。さすがに彼らを無視して通信網を築くことなどできない。

 ただ、彼らは今、北からの蒙古の侵攻に苦慮しており、これに対して上手く支援することが出来れば、より緊密な協力体制を構築する道もあるだろう。

 その兆候はある。蝦夷地に対する日本の代表者的な立場であった安藤五郎が、蒙古と手を組んでアイヌを誘拐した事件が起こっていた。蒙古の軍勢に対抗するために戦士を北に集中している最中の出来事であり、戦えるものがいない集落に残ったアイヌは手も足も出ず苦境に立たされていた。

 その最中に蝦夷地に現れ、蒙古を打ち破り、安藤五郎を見事討ち果たしたのが、北条時宗が派遣した撓気時光なのである。アイヌからして見れば、撓気時光は自分たちの苦境を救ってくれ、しかも和人の大物で同胞であるはずの安藤五郎をためらいもなく殺害したことで信頼したようだ。

 北条時宗から見れば、北の守りであるはずの安藤五郎の裏切りは、西国における対蒙古戦の準備に没頭している幕府にとって致命的な事件になりかねなかった。それを早期に解決し、アイヌからの信頼を獲得した撓気時光は実に見事と言える。

 撓気時光は十四男であり、自分が相続すべき土地が無く恩賞に飢えている。今はまだ蒙古のアイヌへの侵攻についての情報を収集する任務に就いているが、既に十分な戦功をあげていると言っても良い。

 十分な恩賞を与えてやるつもりであった。

 何処に土地を与えてやるべきか。

 御家人はその本拠地――本貫――によって大きく三つに区分できる。すなわち「鎌倉中」、「在京」、「諸国」である。

 鎌倉中は鎌倉に拠点を持つ御家人であり、北条氏一門が占めている。それ以外としては足利氏、千葉氏などの天下に名だたる有力御家人ばかりである。それに名を連ねるというのは撓気時光にとっても名誉であろうし、北条時宗にとっても信頼がおけ、実力のある者を傍に置いておくことは有益である。

 在京はその名の通り、京の都に拠点を置く御家人の事である。公家に連なったり古くから関係を持っている者達が多い。撓気氏は蝦夷地との交易で手に入れた毛皮や鮭などの産物を京で売りさばいて弱小御家人ながら経済的には裕福であるので、都とも関係が深いので意外と適当かも知れない。また、撓気時光は和漢の古典に通じているので、本人も喜ぶことだろう。

 諸国はそれ以外の土地を拠点とする御家人である。今回の任務で撓気時光は蝦夷地との交流を強くした。ならば蝦夷地に土地を与えてやるのも本人のためかもしれない。もちろん蝦夷地は幕府の物ではないのでアイヌの有力者と交渉することは不可欠である。しかし、今回の撓気時光の活躍を考えると、意外と彼らも歓迎してくれるかもしれない。

「泰盛。とりあえず報告書の内容をかいつまんで教えてくれ」

「はい。要点をまとめて報告いたしますれば、蝦夷地の更に北の島――アイヌのことばではカラプトと言うらしいですが、そのカラプトで一国一城の領主となり蝦夷守(えぞのかみ)となったそうです」

()()()がっ!」

「はい。領主は撓気時光です」

「そうではない。(たわ)けということだ!」

「知ってます」

 安達泰盛は北条時宗の怒りをいなす様に飄々(ひょうひょう)と答えた。

「前の報告の際も同じ様なやり取りをしませんでしたかな?」

「そんなことは知るか! で、どういう事なのだ? 場合によっては謀反ともとることが出来るぞ?」

 幕府と御家人の関係は御恩と奉公である。この直接の関係を崩そうというものに対して、幕府は容赦しない。官位・官職を朝廷から直接貰うなどはご法度である。

 以前、平氏追討で大きな功績を上げた源義経は、朝廷から検非違使(けびいし)を与えられた。そしてその咎により鎌倉入りを許されず、奥州藤原氏を頼りに落ち延びたが、最終的には現地で攻められ自害することになってしまった。

 勝手に官位・官職を得るというのは、御家人にとってこれ程重大な事なのである。時の鎌倉政権の最高権力者である源頼朝の弟である義経ですら許されなかったのだ。吹けば飛ぶような弱小御家人撓気時光など即処断されても言い訳出来ない。

 一体どのような了見なのか。

「まあまあ。落ち着いてください。蝦夷守など存在しない役職です。つまり何の実態も無いことを自称しているだけです。ほおっておけばよいではありませんか」

 確かに官位や官職というものは律令で定められている。それとは別に令外官(りょうげのかん)という律令で規定されていない官職もあり、義経が就任した検非違使や摂政、関白などがそうである。とは言え単なる勝手な自称とは違い朝廷から任じられるものだ。のちの時代には琉球守(りゅうきゅうのかみ)なる意味不明の官職を名乗る者が現れているが、この時代はそこまで節度は乱れていない。

「それはそうかもしれないが、ある意味謀反に等しいぞ?」

「撓気時光がその様な考えをする男でないことは、時宗様が良くご存じでしょう?」

 この時代の後の戦国時代では、各地の大名や武将が勝手に〇〇守等の官職を名乗ることが横行した。中には親王しか国主に任じられない国の国主を名乗る慮外者まで出現している。まあこれは親王任国という知識がなかった為なのだが。

 このような事態が起きたのは、朝廷や幕府の権威が落ちた事の影響が代であり、最早忠誠など存在しないと言っても良いだろう。

 それに比べると、撓気時光の忠誠は疑うべくもない。

「まあ良い。報告の詳細を聞こうではないか」

 考えても仕方がないと判断した北条時宗が、安達泰盛に報告書の細部を読むように促したのだった。
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