第22話「白主土城」

文字数 3,939文字

 イクスンペツの集落(コタン)を出発した時光は、海を越えてカラプトに向かうために北へと出立した。カラプトの対岸であり蝦夷ヶ島の北の果てであるヤムワッカナイでは、蝦夷ヶ島中から集結したアイヌの戦士団が、蒙古と戦うために集結している。時光はこれと合流するつもりなのだ。

 これまで時光と行動を共にしていた仲間の中には、幕府への報告や故郷に帰るために別行動をとる者もいる。しかし、特に寂しく感じることはない。エコリアチ達アイヌの戦士団が一緒にカラプトに歩いているからだ。もしも彼らと行動をともにせず、ヤムワッカナイに単独でいった場合、現地のアイヌの戦士団に怪しい人物だと思われてしまい警戒されるだろう。彼らが留守にしている間、戦えるものがいないアイヌの集落で和人が悪事を働いているという情報が彼らの中にあるからだ。しかし、エコリアチと行動を共にすれば、その事件を解決し、犯人たちを地獄に送り込んだのは時光であり、信頼できる人物だと証言してくれるはずだ。

 ヤムワッカナイに向かう途中、エコリアチにカラプトの主要な民族である吉里迷(ギレミ)の言葉を教えてもらえることになった。また、大陸を旅してきた坊主のグリエルモには、蒙古の言葉を学ぶことになった。

 敵や行動範囲の言葉を身に付けるというのは重要である。非戦闘員との何気ない雑談も含めた情報収集や、捕虜への尋問など、戦における勝利の重要な要素である情報は言語が基本である。

 また、情報活動だけではなく、戦場においては敵を罵倒して挑発したり、脅し文句を並べ立てて威圧したりと、相手の心理に様々な揺さぶりをかけることも常道であり、これも言葉が基本だ。有名な兵法書である孫子には、「彼を知り己を知れば百選殆うからず」という有名な言葉があるが、相手の言葉を知るというのは「彼を知る」第一歩であろう。

 決して敵に対して名乗りを上げるために学ぶのではない。

 そして、北への旅では時光が日本から持ち込んだ交易品の内、刀剣や弓矢などを輸送することになった。これらは日頃から交易で付き合いのあるイシカリの集落に持ってきた商品だが、イシカリのコタンの長の判断で最前線に運搬することに決まった。

 アイヌは製鉄する文化が無く、和人が交易で持ち込んだ鉄製品を利用する。そして、使用により品質が落ちてきたら鍛冶屋が打ち直して使い続けるのだ。なので、品質の高い鉄製の武器が持ち込まれることは、これから蒙古と戦う上で非常に助かることなのである。

 ヤムワッカナイへの旅は順調に進んだ。蝦夷ヶ島に点在するアイヌのコタンを経由しての旅なので、晩秋の北の大地における無理な寒空の下での野宿も無く、温かい食事にありつきながらの旅である。これも蝦夷ヶ島の事を良く知るエコリアチ達が居るから、計画的で消耗の少ない経路を選択できたのだ。

 時光だけで行動していたら、この試される大地の自然に負けてしまっていたかもしれない。

 イクスンペツのコタンを出てからヤムワッカナイに到着するまでに一週間ほどかかった。

「おかしいな。人が少ない過ぎる」

 ヤムワッカナイのコタンが見えて来るとエコリアチがそんな独り言を漏らした。時光からしてみれば、この様な北の果ての割にはたくさんの家が立ち並んでいるので予想外に発展しているように見えている。ただ、よく見るとエコリアチが言う様に人の姿は少ない。

「このヤムワッカナイのコタンは、カラプトのとの交流の拠点だから結構発展しているんだ。家が多いのはそのせいだな。でも、それでは戦士団が逗留するのには足りないから仮設の小屋を建てていたんだが、前はもっと活気があったんだ」

「まさか蒙古が海を渡って略奪していったんじゃあるまいな?」

「いや、カラプトでモンゴルに攻められて逃げてきたやつに聞いたんだが、奴らが本気で攻撃してくるときは、完全にまっ(たいら)になるまで徹底して破壊を繰り広げるそうだ。こんなに綺麗なわけがない」

「こんなところで考えてもしょうがない。見たところ人は残っているようだから、話を聞きに行こう」

 とりあえずコタンの中に入って行くことにした。中には行ってみると、特に戦火にさらされた痕跡はなく、平和なものであった。時光はエコリアチに案内してもらい。長の家に向かう事にした。

 長の家は周りの家と同じく、木製の掘立小屋であったが、規模が一回り大きく、家のすぐそばには大きな蔵が隣接して建っていた。恐らくカラプトとの交易で得た富でかなり裕福に暮らしているのだろうと時光は推察した。

 家の入り口に到着して中に対して訪問の意思を告げようとした時、中から一人の老人が現れた。

「あ。長殿。ご無事だったんですね」

「それはそうだ。儂は戦場に出ていないからな。儂にしてみればお前が無事に帰ってきたことが嬉しいことだ。エコリアチ。入ると良い。かなりこの地を離れていたから状況が分からんだろう」

「はい。そうさせてもらいます。長よ。後それに、こっちの和人は……」

「ふむ。南で和人が悪さをしているというからお前は様子を見に戻ったが、和人を連れて帰って来たという事は、どうやら解決したようだな。その和人は捕虜という訳でもなさそうだ。皆入るが良い」

 長の勧めで家に入った時光達は、これまでの蝦夷ヶ島南部の事情について話した。

 蒙古の策略で蝦夷代官職である安藤五郎が日本を裏切り、蝦夷ヶ島のアイヌのコタンに攻撃を仕掛けてきたこと。その際に蝦夷ヶ島に眠る金や石炭などの資源を手土産とするために、アイヌを誘拐し、労働力とすることで採掘していたことなどだ。そして、その企みは幕府から北方における蒙古の活動を調査しに来た時光が打ち砕き、安東五郎達は既に戦死しているという事もである。

「ほう? で、トキミツ殿はカラプトに渡り、モンゴルや吉里迷の動きを調べに行くと?」

「そうです。この地での蒙古の活動は日本にも脅威となるかもしれません。そのことについて知っておかなくてはいざという時に負けてしまうでしょう。そのために遣わされてきたのです。そして、出来れば戦でも手助けをしたいと思っています」

「それはありがたい。我々アイヌは決して戦いで怯むような事はない。日頃熊や狼とも戦っているからな。だが、人と人との戦いについては、あまりにも経験が少ない。それを和人の将軍に補ってもらえるのは実に助かる」

 一介の弱小御家人の十四男でしかない時光は、()()などと言われてこそばゆい思いだった。

「しかし、長よ。いきなりやって来た和人である俺のいう事など皆聞くのでしょうか? エコリアチ達と一緒に戦って、それなりに成果があったのである程度の自信はあるのですが……」

「構わぬだろう。エコリアチの推薦とあれば聞かぬ者はおるまい。それに我々は以前も和人の将軍に助けられて吉里迷と戦ったことがある。戦いに和人の助けを借りるのは初めてではない」

「阿倍比羅夫のことですね?」

「そう。アベノフラフの事は今でも言い伝えられている。戦いに関して和人の助言を嫌がる者などいないはずだ。特に既に仲間を助けてくれた者ならなおさらだ」

 任務を阻害する要因はなさそうであり、時光は偉大な先達に感謝した。

「しかし、一つ困ったことがあってな。戦士団は既にカラプトに渡ってしまったのだよ。昨日の事でな。一足違いだ」

「だからコタンに人が少なかったんですね。しかし何故ですか? 南での和人による事件が解決するまで後方の安全が確保できないから、待機という事になっていたはずなのでは?」

「事情が変わったのだよ。物見にカラプトに言った者の報告があったのだ。カラプトの最南端に城を築いているとな。既に土塁や空堀が出来上がっているそうで、城が完全に出来上がっては遅いという事になって、攻撃を仕掛けに行ったのだ」

「しかし、勝てる見込みはあるのですか。アイヌの戦士の実力を見縊る訳ではありませんが、実際戦ってみて蒙古は手強いですよ?」

 時光の戦ってみた感触としては、蒙古は実に恐るべき相手であった。これまで戦いでは、奇襲や夜襲、アイヌの勢力圏内などの有利な条件があったので、比較的楽に戦えた。しかし、相手が城を築き、戦いの準備を整えているのであればその戦力は計り知れない。

「それは、儂らにだって分かっている。しかし、完全に城が出来上がっては、最早カラプトの奪回が不可能になるかもしれん。それに勝ち目だってある」

「勝ち目……ですか?」

「そう。これから冬が訪れ、雪も降り積もる。しかし、現在城で完成しているのは、土塁や空堀だけで上に乗る構造物は出来ていない。これでは冬を越すことは出来ぬ。つまり、工事を遅らせれば我々の勝ちという事だ」

 確かに長のいう事は一理ある。冬場に大規模な軍隊を駐留させるとなれば、それなりの準備が必要だ。

 準備を妨害さえすれば、大規模な軍勢は越冬できないし、小規模な勢力に絞れば準備は簡単になるが、それなら各個撃破できる。

 どちらにせよ勝利できるという事だ。

「中々面白い作戦ですね。しかし、その妨害するための戦いにも参加したいところですので、船を用意してもらえませんか? 海を渡って合流します」

「構わぬ。まだ船には余裕があるからな」

 時光は長と渡海についての細部の調整を実施し、船出は次の日の早朝という事になった。長の予想では海はあれないという事だ。

「ところで、蒙古が立てこもっている城の辺りは何というのですか? 一応地名を知っていた方が何かと都合が良いので」

「伝説では、アベノフラフがシラヌシと名を付けたそうだ。吉里迷がこの辺りで抵抗したらしく、昔から拠点に適していたのだろう」

 時光は長の教えてくれたシラヌシについて頭の中で漢字に変換し、これから攻める城の事を白主土城(しらぬしどじょう)と名付けた。
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