第19話「北条時宗による報告書総括」

文字数 5,362文字

「ここまでが撓気時光(たわけときみつ)の報告書でございます」

 中年の武士安達泰盛(あだちやすもり)は長い手紙を手にしながら、相対する若者に向かって丁寧な口調で言った。

 まだ少年と言っても良いその若者の名は、北条時宗――幕府の執権である。現在の将軍である惟康(これやす)親王が、皇族としての血統による権威しかない事を考慮すると、北条時宗こそが日本の最高権力者と言っても差支えが無いだろう。

 最高権力者と言っても、単に安穏として暮らしている訳ではない。

 朝廷と幕府の関係に気を配らねばならないし、日本の各地に散らばる武士達は、御家人も非御家人も領土などを巡って私戦を繰り返し、その裁定に追われている。

 特に、北条時宗の父親は、名執権として名高かった北条時頼である。北条時頼もまた若くして執権に就任しながら、その実力を高く評価されていたため、北条時宗がいかに若いとは言え、父親と同様の活躍を期待されてしまう。

 そして、北条時宗の生きるこの時代、名執権であった父の時頼ですら手を持て余すであろう脅威が日本に迫っている。

 大陸の大半を手中に収め、高い文化と文明を誇る大国である宋を追い詰め、今年になって日本に脅迫紛いの国書を送り付けてきた国――蒙古の存在だ。

 北条時宗は西国の御家人達に(いくさ)の準備を進めさせている。彼らは自らの土地を守るために必死になって戦ってくれるだろうが、未知の強豪を相手にどれだけの戦果を挙げられるのかは未知数である。

 また、全国の寺社仏閣に対し、異国調伏の加持祈祷を命じている。これだけ聞いているとまるで神頼みであったり、迷信深いように思えてしまうが、日本の防衛を司る最高責任者がその程度の浅い考えであるはずは、もちろん無い。

 宗教というのは武士、公家、民衆に強い影響力も持っている。その宗教勢力に対して蒙古への対決姿勢を取らせることで、日本全体をも対蒙古にまとまらせることが期待できるのだ。この時代、日本全体を視野に入れている者など、そう多くはない。西国の武士は自らの領地が懸かっているため必死に戦うだろうが、それ以外の地域の者は西国が敗れ去り、蒙古が目前に迫るまで碌に戦う事はないだろう。しかし、宗教勢力の力を借りれば日本を一つにまとめることも。ある程度は可能である。

 また、宗教勢力は互いに勢力争いを繰り広げており、幕府に反抗的なものもいる。しかし、蒙古という明確な敵を提示することでそれらの勢力争いを緩和することも期待できるのだ。例外として日蓮という坊主が蒙古の危機が迫っているのは、法華経を大事にしないからだと幕府も他の宗派も批判しており実に煩わしいが、その説法内容にはもっともな点があるし大事にすることも無いので、今のところ北条時宗としては静観している。

 だが、これらの対策だけでは乗り切れないかもしれない事象が発生した。陸奥国から海を隔てて更に北方の地――蝦夷で、蒙古の動きが活発化しているという情報があったのだ。この情報は幕府の対蒙古作戦に重大な影響を及ぼすし、これが知れ渡れば国内の混乱にもつながるだろう。

 故に、蝦夷地と交易により伝手がある御家人である撓気氏、その中でも北条時宗と幼いころから交流があって信頼できる、撓気時光をかの地に調査に送り出したのだ。

 撓気時光の実力の程は北条時宗も良く知っているし、彼が十四男で相続すべき土地が無く、恩賞に飢えているという事も派遣した理由である。

 その撓気時光から届いた報告書で、北方の防衛の責任者である蝦夷代官職――安藤五郎を討ち取った聞いた時は、恩賞欲しさに撓気時光の気が狂ったかと一瞬耳を疑うとともに激怒したが、報告書を読み進めるうちにそれは解消された。

「まさか、安藤五郎が蒙古に寝返っていようとは、夢にも思わなかった」

「はい。恐るべきことです。西国に気を向けている時に安藤五郎めに道案内された蒙古が、北から押し寄せたかも知れないと考えるとぞっとしますな」

「うむ。しかしこれで気を緩めてはいかんな。他にも裏切り者が出ないように、全国に目を配らねばならんぞ」

「その通りですな。撓気時光の報告には、安藤五郎の件以外にも教訓とすべき事項があります。一つ一つ吟味しましょう」


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「先ずは敵の武器についてですな。毒矢、かすり傷を負っただけで戦闘不能になるというのは、警戒せねばなりませんな」

 日本には戦で毒を使用する戦法がない、というよりもその様な発想も、毒作成の知識も無かった。何の知識もない所に毒矢を受けてしまった場合、混乱をきたしてしまうかもしれない。

「しかし、報告書によると、全ての矢に毒が塗られているという訳ではなさそうだ。それに、ある程度の矢なら鎧で弾き返せたとも言っているので、予備知識さえあればそこまで脅威にはならないだろう」

「その通りですな。では、爆発する球はどうですかな? 殺傷能力はそれほど高くないようですが、轟音は我らの統制の取れた行動を阻害するでしょう。特に馬への影響は見逃せませぬ。まさか撓気時光のように鉱山の採掘坑を爆発させて慣れるわけにもいきませんからな」

 いわゆる()()()()も中々に恐ろしい武器である。戦いで勝利するためには統制の取れた行動や、時には危険を承知で勇猛果敢な行動をすることが必要である。しかし、()()()()の轟音は、戦場で振り絞った勇気をいとも容易く奪い去ってしまう事だろう。戦場における心理への影響というのは、平時に想像しているよりもはるかに重いのである。

「ふむ。そうかもしれんが、これも予備知識さえあれば心に余裕が出来よう。これについても西国の御家人達に教えておけばそれほど問題にはならんはずだ」

 新兵器による奇襲効果というのは、見知らぬ物に対する恐怖によるものである。

 例えば、鎌倉時代よりもずっと後の時代の戦いである第一次世界大戦において、戦車が最初に運用された時、かなりの戦果を挙げることが出来た。実際には戦車の完成度はまだ低く、途中で動けなくなる物が多かったものの、その誰も見た事のない鉄の塊が向かって来ることに対し敵は恐怖したのだった。

 敵は次の戦闘からは戦車に対する対策を立てており、当初の様な戦果を挙げることは出来なくなったが、これは単に対策を練っただけでなく知識により心理的な奇襲を受けなくなったのも大きな要因である。

 ならば、()()()()に対しても、事前に知識を与えておけばそれほど大きな影響は受けないだろう。

「それと、馬には竹を燃やして起きる爆発音でも聞かせておけば、ある程度慣れるだろうな」

「なるほど、それではやはり一番の今日は馬ですかな?」

「うむ。同じくそう思う。我々武士とて幼いころから馬の鍛錬をし、馬上で自由自在に弓を扱える。しかし、馬具を付けていない馬を操れる者など一握りしかいないだろう。それを蒙古どもは皆それが出来るなど、にわかには信じがたい」

 古来、乗馬技術というのは限られた人間のものであった。何故なら古代では鐙などの馬具が存在せず、馬を扱えるのは貴族などの特殊な訓練を受けたものか、生まれた時から馬上で生活する騎馬民族のみであった。蒙古はその騎馬民族なのだ。

 馬を自在に操る騎馬民族などの存在は、古くから戦において絶大な力を発揮して、時代の趨勢に影響を与えてきた。

 漢民族は匈奴に度々その侵入と略奪に脅かされ、楚漢戦争を勝ち抜いた英雄にして漢王朝の初代皇帝である劉邦もこれに大敗を喫した。宋王朝が蒙古に追い詰められているのも、古代からのこの流れであると言えよう。

 また、西方世界においても、戦術家として名高いハンニバルはヌミディア騎兵を活用してローマに対して度々勝利を重ねている。そしてそのハンニバルを打ち負かしたローマの若き英雄スキピオは、ヌミディア騎兵を寝返らせているのだ。いかに馬を扱える民族が重要かが分かるだろう。

 そして、ハンニバルやスキピオが活躍した時代よりもはるか後に、栄光を誇っていたローマは崩壊に向かったが、その重大な要因であるゲルマン民族のローマへの侵入は、東方の騎馬民族であるフン族に圧迫されたことにより起きているのだ。ローマが敵わなかったゲルマン民族が故郷を捨てるしかなかった騎馬民族の恐ろしさを示している。

 要するに、蒙古が自由に馬を扱える状況というのは、最早勝ち目など無いとも言えるのである。

「幸い蒙古との間には大海が広がっている。奴らが馬を上陸させる前に蹴りを付けるのが得策だろう」

「そうですな。西国の御家人達にはそのように徹底いたしましょう」

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「次は、蝦夷地の金と燃える石についてですが、これはいかがいたしましょう? 戦略的には有益ですので、現地の蝦夷(えみし)に交易を持ち掛ければ入手は可能かと」

 戦とは資金を浪費するものだ。いくらあっても足りるものではない。となれば蝦夷地の金は非常に魅力的である。

 それに、燃える石――現代でいう所の石炭は、燃料として非常に優秀なようだ。日本では数百年前の天智天皇の時代に発見されたと日本書紀に記述があるが、未だに採掘はされておらず、活用技術は存在しない。しかし、宋では普通に利用されている様なので、宋から技術者を招けば日本でも利用可能だろう。

「いや、それらには手を付けないでおこう。それらを入手するには、交易でそれなりの対価を払わねばなるまいが、これまで彼らとの交易で我が国が支払っていたのは鉄や米だ。鉄や米を戦以外の目的で使うのは良くない」

「そうですか。時宗様がその様にお考えなら、何も言いますまい」

 蝦夷地は日本の支配下にあるわけではない。総力では日本の方が上だが対等の関係である。大戦を前に物資を節用しながら、蝦夷地の物資を入手するとすれば不均衡な交易をするしかないが、北条時宗はその様な事をして北に不安定な要素を作りたくなかった。


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「そういえば、夜襲はかなり効果的だったようですな」

「となれば、西国の御家人達にも機会を見計らい夜襲をかけるように伝えておこう」

 夜襲は武士のお家芸と言っても良い。かつて朝廷の権力闘争の尖兵として武士同士が戦った保元の乱では、双方の勢力の武士が夜襲をすることを思いついている。なお、この戦いでは夜襲を却下された方が夜襲を食らって敗北している。

 恐らく蒙古は西国の御家人達よりも大きな勢力で来襲するだろう。勢力の劣勢を覆すためには夜襲は有効な戦術であると予想できた。

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「名乗りを上げたが無視された。これはどの様に解釈しましょう?」

「どの様にも何も、撓気(たわけ)はやはり(たわ)けという事だろう。敵方の、しかも言葉の通じない相手に対して名乗りを上げるなど空前絶後の阿呆だな。いくら強くてそれなりに頭が回とは言っても、まだまだ経験が足りぬ」

「まあまあ。そうは言いつつも奴の事を信頼しているから、この様な任務を申し付けたのでございましょう? それに、この先西国に蒙古が押し寄せた時に、西国の御家人達が無駄に名乗りを上げる可能性もあるでしょう」

 名乗りは自分の手柄を主張するため、味方に聞かせるために行われる。しかし、これから待ち受ける戦は、個人の手柄よりも集団で勝つことが重要なのだ。自らの武勲と栄誉を示すというのは、武士として本能に近い。

「ううむ。名乗りなどをしていては戦機を逃してしまうかもしれない。一応は戦功に関してはお互いで保証し合う様に、事前に調整するように申し伝えておくが……」

「こればかりは徹底できるかどうか、武功の誇示は武士の在り方に関わりますからな。もしかしたら、自分の軍功を示すために絵巻物など作る者まで現れるかもしれませんぞ?」

 安達泰盛の冗談で、思わず北条時宗は微笑した。

「まあ。そんな事をしている余裕があるというのは、我らがかった時のみだ。せいぜいそんな奴が現れることを期待でもしておこう」


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 この後も、北条時宗と安達泰盛は報告書に記載された、コロポックルや羅馬(ローマ)()()()()から来た異国の旅人などについても話題にしたが、流石にこの辺りは単に紀行文的な興味にしかしなかった。

「それで、撓気時光は更に北に向かうというのだな?」

「はい。蝦夷地の北にカラプトなる島があって、その地まで蒙古が侵入しているので、それを探るようですな」

「安藤五郎を討ち取ったばかりだろう言うのに頼もしい事だ。次の報告も期待させてもらうとしよう」

 撓気時光を派遣したことの成果が上がっているので、北条時宗は安心して待つことにした。これで対蒙古の政策を西国に集中できるというものだ。

「ああ。そう言えば今まで申し上げるのが遅れていましたが、日蓮とか言う坊主が、安藤五郎が死んだのは幕府が法華経を大切にしないからだと街中で説法をしている様子です」

「はぁ……そうか……」

 撓気時光のしでかした安藤五郎誅殺は間違っていなかったが、その後始末が自分に降りかかって来たという事に、北条時宗はため息を漏らした。
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