エピローグ「蒙古襲来絵詞」

文字数 5,885文字

「これが、蝦夷ヶ島での最後の戦いの全てだ」

 鎌倉のとある屋敷で、三人の男が膝を詰めて話し合っていた。

 報告を受けていたのは、執権として若年ながら幕府を取り仕切る青年である北条時宗、そしてその義兄弟にして側近として辣腕を振るう安達泰盛である。報告を受けた二人は難しい顔をしている。

 報告をしたのは、全身を毛皮で出来た衣で包んだ髭面の男だ。その名をオピポーと言い、奥州の蝦夷(えみし)の出である。

「一応、北方の脅威は去ったと言えるのですかな?」

「そう言えるだろう。これからはモンゴルは攻めて来ないし、安藤五郎は殺されたがアイヌはこれ以上の戦いは望んでいない」

 オピポーの報告によれば、北方から蝦夷ヶ島を経由して日本に攻め込もうとしていたプレスター・ジョンなるモンゴル帝国の将軍は、蝦夷ヶ島を支配するアイヌと和解したことにより大陸に帰って行ったとの事だ。そして、双方の争いにおいて漁夫の利を狙っていた現地の有力な御家人である安藤五郎の奇襲により大打撃を受けたのだ。そのため、最早モンゴル帝国皇帝のフビライに反旗を翻すという野望を捨て、静かに安住の地を築くことに専念するのだという。

 そして、プレスター・ジョンを奇襲し、アイヌまで支配しようとしていた安藤五郎は逆襲に会い死亡したのだ。最早蝦夷ヶ島に火種は残っていないだろう。

「プレスター・ジョンによると、戦っているふりをしないと皇帝のフビライから怪しまれるから、アイヌと一進一退の攻防を繰り広げているという偽の報告をするそうだ。フビライの密偵もそれに協力してくれるから、バレる心配は無いだろうな」

 プレスター・ジョンに協力していたニコーロ、マフェオ、マルコのポーロ一家は、フビライの密偵としての地位も持っている。その彼らがアイヌとの戦いは少しづつしか進展していないし、蝦夷ヶ島を占領しても旨味など無い、と報告すれば、フビライも日本を北方から攻めようなどとは思わないだろう。

「それで、時光はどうしたのだ? オピポー殿が時光に協力してくれていたことはこれまでの報告で知っているが、何故戻ってこないのだ? いや、お主の報告ではかなりの重傷を負ったようだが、生きているのか?」

「さあ? 兎に角、トキミツは日本に帰って来ない。それだけの事だ。俺はこれまでのトキミツとの縁があるからこうして最後の報告を肩代わりし、贈り物を持って来ただけなのだ」

 時光の動向を知りたがる時宗達に対し、オピポーの態度は素っ気ないものだった。元々奥州の蝦夷は朝廷や武士に服属していたという訳ではない、その独立独歩の精神が、日本における最高権力者とも言える執権を相手にしてのぞんざいな返答に繋がっているのだろう。

 そして、オピポーの言う贈り物とは、時宗ですらこれまで見た事が無いような大量の黄金であった。

「金は災いを呼ぶ。これのせいで蝦夷ヶ島にはモンゴルが攻め込んできて多くの血が流れたし、そのモンゴルも安藤五郎のために痛手を負った。そして、その安藤五郎も欲をかいて蝦夷ヶ島に眠る金を掘り出そうとしたために死んだ。持っていても碌な事にならないのでいらぬというのがアイヌ達の総意だ。お前らは金が欲しいのだろう? 欲しいのならくれてやろうという事だ。」

「なるほど、そして、かつて奥州も大量の金が出て大いに栄えたが、お主の様な蝦夷も、奥州藤原氏も、金を求めてやって来た外敵に滅ぼされた。そういう事だな?」

 時宗の返答を聞いてオピポーの表情が柔らかくなった。これまで時宗に対して良い印象を持っていなかったのだ。なぜなら、今回蝦夷ヶ島では金のために様々な争いが起き、争いを起こした勢力の一角は武士である。そしてその武士の頂点に立つのは時宗なのだ。かれも欲得にまみれた人間だと思い込んでいてもおかしくはない。しかし時宗は、かつてオピポーの祖先が金のために征服された悲しい歴史を即座に例に出し、オピポーの無礼とも言える発言に賛意を示したのだ。

「まあ、別に呪いの品を送りつけようという訳ではない。これからお前たちはモンゴルの本隊と戦うからな。そのためには軍資金が必要だろう。侵略ではなく、故郷を守るための戦いだ。我らはお前が遣わしてくれた時光の協力で故郷を守り抜いた。お前たちも守り抜けることを祈っている」

 勝利を祈念する言葉を残したオピポーは、すぐに席を辞してしまった。後には時宗と泰盛だけが残された。

「欲のためでなく、故郷を守るためか……我らに出来ますかな?」

「確かにどの武士も自らの土地を守るためだけでなく、土地を奪うために戦い続けるのが現状だ。しかし、この国難にあっては、日本という国全体を守るために戦ってくれる。そう信じている」

 不安気な様子を見せる泰盛に対して、時宗は力強く言い返した。それを信じているからこそ、若輩ながらモンゴルとの戦いに備えて日本中の武士に指示を飛ばしてきたのだ。最早折れるわけにはいかない。

「それにしても時光の奴には、戻って来てもらって共に戦って欲しかったな……」

「全くですな」

 日本全体のために政務にあたるというのは、神経をすり減らす孤独な戦いである。これは執権である時宗や、その側近である泰盛の様な者にしか分からないだろう。そして時光は、弱小御家人の倅という立場ながら、これまで日本や蝦夷ヶ島を守るために命を的にして戦ってきた。その様な男が傍に居ればどれだけ心強かっただろう。

 果たして時光は戦の傷が原因で死んだのだろうか。それとも、日本の武士が欲のために蝦夷ヶ島に侵略しに来たことで、日本を見限ったのだろうか。

「惜しかったな……」

 時宗はもう一度だけ呟くと、深いため息をついた。






 時は流れて永仁元年(1293年)の事である。肥後国(ひごのくに)海東郷の地頭に任じられている竹崎季長(たけざきすえなが)は、館で休息中のところ家人に報告を受けた。何でも旅の商人の一行が雨宿りのための急速場所を貸して欲しいと申し出ているのだそうだ。

 武士の屋敷の前を通りかかったというだけで戦の稽古のために殺され、その首を軒先に吊るされても可笑しくない御時世である。自分達から武士の館に近づいて来るとは、余程自分達の力に自信があるのか、世間知らずなのだろうと季長は思った。特に商人の一行などは、その商品を狙われる可能性は高いのだ。

 だが、季長はそこまで凶悪な武士ではない。以前所領を失って難儀をしていた時、神のお告げ通りにしたら地頭に任じられたという経験がある。そのため、神仏に恥じ入る様な行為はしたくないという思いがある。家人に一行を丁重に迎い入れるように指示した。

「御免。軒先を貸してくれたことを感謝する。拙者が代表をしている。これは礼の品だ。矢羽根にでも使ってくれ」

「おお。これはご丁寧な。ありがたく頂こう」

 季長は部屋に入って来た商人一行の長を名乗る男を見て、その風体や雰囲気に驚いた。その男はあちこちに熊の物らしき毛皮で補強した服を着ており、ただの商人には見えない。どちらかと言うと近頃増えているという悪党に近い印象を受けた。そして、もうそろそろ中年に差し掛かろうという年齢に見えるが、充実した気力は溢れんばかりであり、先の大戦で活躍した季長ですら気を抜くと圧倒されそうだ。どう考えてもただ者ではない。ただ、この姿を見れば堂々と武士の館を訪れた理由も納得できる。余程腕に自信があるのだ。

 また、男が差し出した羽の束は最高級品である鷲の物であり、弓矢を主力武器とする武士にとって垂涎の的である。遥か北の蝦夷地から入手できるこの品は、季長の住む九州まで流通はしているものの、手に入れる事が出来るのは有力な武士だけである。このような高級品を目の前の男が事も無げに差し出すことが出来るのか、季長にとっては理解の外である

「ところで、この部屋に入って来た時から気になっていたのだが、この絵巻物は何ですかな? どうやら戦。それもモンゴル——蒙古との戦を描いた物の様だが」

 男は季長の後ろの床に置かれた絵巻物を指差して言った。その指に弓術の稽古で鍛えた者特有のタコがあるのを、季長は見逃すことは無かった。特に戦うつもりなど無いのだが、ついつい相手の強さが気になるのは武士の癖というものだろう。

 一瞬だけ男の実力が気になった季長だったが、男が尋ねてきた絵巻物は季長自慢の品であったので、すぐにそちらに気を向ける。

「これはだな、察しの通り蒙古との戦を描かせたものだ。二度の襲来での働きを残しておきたくてな」

「ほう? 中々に興味深い。おや? この場面は戦を描いたのでは無いようですが」

「それは。文永の戦の後に鎌倉まで出向いて行った時の場面だ。恥ずかしながら当時土地を持っていなくてな。それで文永の戦の手柄で何とかしてもらえないか訴えに行ったのだ。幸い安達様に面通りかなって、この海東郷の地頭になれたという事だ。その安達様の恩を忘れないためにこのように描かせたのだ」

「そうか。その安達泰盛様もあの様な亡くなり方をして、実に残念な事だ。これからの幕府を支えて欲しかったのだが」

 安達泰盛は五年前に勢力争いが元で他の御家人に殺害されてしまっている。のちに霜月騒動と呼ばれる事件だが、幕府の中枢にある要人が殺害されたこの事件は、幕府の混乱や権力の後退を予感させるものだった。そして、蒙古襲来の際に執権であった北条時宗も最早この世にいない。蒙古に対抗するために日本を一つにまとめ上げた中心人物はすでにいないのだ。

 そして、季長は男の口調に妙なものを感じた。まるで安達泰盛と面識がある様な口調だ。一介の商人が幕府の要人と接点があるなど想像できない。

「外敵がいなくなった途端、日本国内で争い始めるのは残念に思う。特に安達様の様な立派な方が亡くなるのはな。蒙古が攻めてきたあの時は、あんなに皆で協力して戦ったのにそれが嘘のようだ。だが、あの時必死で戦ったのは、故郷を、国を守りたいという純粋な思いが皆にあったもの事実だと思う。まあ、手柄を立てるためという理由もあったがな」

「はは。正直な方だ。純粋な心もあれば、利己的な心もある。そういうものだろう。異国に征服されなかったのだ。それで良いだろう」

 男は自分の意見を言い終えると、絵巻物の内容を詳細に見始めた。その食い入るように眺める様は異様な気配を放っており、季長は声をかけることが出来なくなった。

「お? これは爆発しているのは震天雷ですかな?」

 興味深げに絵巻物を眺めていた男は、ある場面を指して言った。

「震天雷? 正確な名前は知らんが、()()()()と皆の衆は呼んでいたな」

「てつはうとな? で、どうだった? 結構な音が出たり破片が飛んで来て危険だったはずだが、戦ってどうだった?」

「おう。お主よくどんな武器だったか知っておるな。確かに阿呆みたいにでかい音が出たり、近くで爆発すると破片が飛んで来て怪我をするが、落ち着いて対処すればさほどの事は無い。戦う前に情報が出回ってたから、慌てる者などおらなかったぞ」

「ほう? 事前に情報とな?」

 男が季長の返答に食いついた。その後、絵巻物の中に描かれた蒙古との戦について、色々と問いかけてきた。

「毒矢、集団戦、投石器、船戦、これらは今答えた通り全部事前に情報や対処法について知らされていた。情報の出どころは良くは知らんのだが、噂では鎌倉の執権から伝えられたとか。あんな東国に居るのに、どうやって蒙古の情報を得たのかは知らないが、まあ前線で戦った我等からしてみれば、どうでも良い事だ。まあ、とても助かったことは確かだな。もしも知らなければ混乱して窮地に陥ったかもしれん」

「そうか……役に立ったのか……」

 男が感慨深げに頷くが、その理由は季長には全く見当もつかなかった。

「一番の疑問は、この場面に書いてある石築地だが、見ただけだと身長程度の高さであまり役に立たないように見えるだろうが、実際はこれがとても役に立ったのだ。鎌倉の命令で文永の戦の後、弘安の戦までの間で作ったのだが、よくこんなものを思いついたものだ。それに、作業のための人夫を集めるのに賃金を支払ったのだが、これが何と黄金が鎌倉の執権から下されてそこから支払ったのだ。あれだけの黄金を何処で手に入れたのか、全く分からん。不思議だ」

 当時の事を思い出して首を傾げる季長に対して、男は微笑むばかりだった。

「雨が止んだぞ。もうそろそろ出発しよう。船が待っているはずだ」

 戦の巧妙話などに花を咲かせていた季長たちの会話を遮るように、男の家来らしき者が部屋に入って来た。その姿を見て季長は驚いた。男の家来らしき者達は異形の集団であった。

 獣皮の衣に身を包んだ鬚面の男達、頭頂部の髪を剃り上げ襤褸を身に纏った坊主らしき男、これだけでも奇妙過ぎるのだが、唯一混じっている女性が一番目を引いた。彼女は金髪に青い目をしており、日本の女性とは違った美しさをしている。そして、戦場での経験が長い季長には、彼女の立ち振る舞いからかなりの実力者であることが見て取れた。

「こりゃあ……御家来衆は変わった方々ですなあ。それにあの別嬪さんは奥方ですかな?」

「家来と言うより仲間だな。奥方……まあそんなところかな」

 男は照れ臭そうに答えると仲間の方に手で合図をし、出発の合図をした。

「ところで、この先何処に行くのだ? この鷲の羽から察するに北から交易に来たのだろう? 北に戻るのか?」

「いや。船に乗って南にあるという島々に行ってみようと思う。色々と旅をして周りたいのでな」

 男は行き先を告げて暇を告げると、玄関から屋敷の外に出て、外に繋いであった馬に跨る。実に堂にいった振る舞いで、元々武士であったのだろうと季長は感じた。

「そうだ。あの絵巻物に題名はついているのか?」

「いや、特にないな。我が家で伝えるのと写しを神社に奉納する位しか予定がないから、題名の必要性など考えた事も無いぞ」

 季長の返答に、男は少しの間だけ考え込んだ。思案深げな表情を浮かべている。

蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)。こんな題名はどうかな?」

「蒙古襲来絵詞……ふむ。中々良い響きだな。その様に伝えていくことにしよう」

 男の発案に季長は同意した。心の中で言われた題名を何度か繰り返してみるが、実にしっくり来る。この題名なら後世にも伝わって行くかもしれない。

「素晴らしい題名に感謝する。良い旅に恵まれる事を祈ろう。そう言えばお主の名前を聞いていなかったな。良ければ聞かせてくれんか?」

 馬を進めて立ち去ろうとしていた男は季長の言葉に馬を停め、馬上で振り向きながら言った。

「俺の名は……」
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