第1話「時光、蝦夷ヶ島に降り立つ」

文字数 2,792文字

「うーむ。寒い、本当に秋なのか?」

 蝦夷ヶ島(えぞがしま)――現在の北海道の交易拠点である箱館(はこだて)に港に船から降り立った若者は、まだ暦の上では初秋にもかかわらず肌を刺すような寒気に身を震わせ、ついつい愚痴を口にした。剛健(ごうけん)を旨とする武士としてはいささか褒められたものではないが、まだ未熟な部分が表に出てしまったのだろう。

 そして、愚痴をこぼしても仕方のない位の寒さであるのは事実だ。若者は薄い麻布の着物しか着用していない。かなりの薄着であり防寒性には欠けている。若者の考えではこの様な薄着でもまだ耐えきれると考えていたし、実際途中通過して来た陸奥国(むつのくに)も北国ながらそれ程寒さを感じることは無かった。陸奥国は蝦夷ヶ島と海を挟んだだけの近場である。海を渡っただけでこれだけ気候が変わるなど、若者の予想を超えていたのだ。

「若。この地ではこの位の寒さは当たり前ですし、これから冬を迎えねばならないのですぞ。さようなことでお勤めを果たせるとお思いか?」

「トキミツ。これから向かうのはもっと北だ。そんなのでホントにダイジョブか?」

 若者の独り言に対して、すぐさま厳しい言葉が投げかけられる。

 先に発言したのは中年の男性で、名を丑松(うしまつ)と言う。外見からすると武家の従者といった風情である。

 また、次に発言したのは、年齢不詳の髭面の男で、名をオピポーと言う。獣の毛皮を荒々しく身に纏っており、その外見から奥州に古くから住まう蝦夷(えみし)末裔(まつえい)であることが見て取れる。ここまで、古風な格好は今時珍しいのだが。

 そして、若者の名前は、撓気時光(たわけときみつ)と言い、若くはあるがこの風変わりな一行の長である。

「若。先ずは輸送してきた品を積み卸しましょう。人足を集めてきますので、しばしお待ちを」

「うん。頼んだぞ丑松」

 撓気氏は武士でありながら交易にも手を付けている。アイヌとの交易で手に入れた品々を、幕府の要人である有力御家人に売却、または上納したり、京の都まで売りさばくことはかなりの利益を生んでいる。

 交易で得られる利益こそが、撓気氏が代々弱小御家人に落ちぶれながらも、不死鳥のごとく復活する原動力の一つである。

 アイヌとの交易をはじめたきっかけは、数十年前の奥州藤原氏征伐に(さかのぼ)る。この時、時の将軍である源頼朝(みなもとのよりとも)の命で戦いに参加していた撓気時光の先祖は、奥州の地の本来の主とも言うべき民族――蝦夷と交流を持った。

 この際、蝦夷と血縁的にも文化的にも近く、古くから交流を持っていた蝦夷ヶ島の民――アイヌの事を紹介され、それから交易を続けているのだ。

「ふむ。こんなものかな。刀、弓、農具それに米が主な物だな。これだけあれば、かなりの羽が手に入るだろう」

 アイヌは自らで鉄製品を作ることが出来ない。そのため和人から鉄製品を買い、劣化してくると鍛冶屋が打ち直して使い続けるような生活をしている。このため、鉄製品はアイヌへの有力な商品だ。

 また、蝦夷ヶ島は寒すぎるためか稲作が出来ない。アイヌは(ひえ)(あわ)の様な別の穀類を栽培しているが、いつしか和人が持ち込んだ米を食するようになり、食生活に大きな位置を占めるようになっている。これも有力な商品である。


 そして、逆にアイヌから得られる交易品は、鮭や獣皮、昆布、そして鷲や鷹の羽である。これは武士にとって命ともいえる弓矢の材料として最高品質の物として珍重されている。

「おかしい……」

 荷運びの作業の様子を見ていた時光の耳に、オピポーの怪訝そうな声が聞こえてきた。

「どうした? オピポー。何が可笑しい」

「普通なら人足にアイヌの民が混じっているものだ。しかし、この地に着いてからまだアイヌを見ていない。普通ではない」

 オピポーに言われて時光も辺りを観察する。確かに周辺にはアイヌらしき姿は見ることが出来ない。辺りにいるのは、和人が主であり、宋人が混じっている位だ。

 対岸の奥州最北端の港である十三湊(とさみなと)と同じく多種多様な人で賑わっている。
 
 そして、珍しい事に赤い髪と青い目をした者まで三人ほど見ることが出来た。時光は彼らの事を書物に見える羅馬(ローマ)(ペルシャ)の人間なのではないかと推測する。気持ちとしては彼等に話し掛けて様々な話を聞きたいところだが、生憎今は任務中である。

 もっとも時光はアイヌを見たことがないので、オピポーに似た風体の者だろうくらいにしかおもっていないのだが。

「理由は二つばかし思い浮かぶ」

「ほう?」

 即座に予測を案出した時光に、オピポーは興味深そうな声を上げる。

「一つ目は、この箱館の地の和人と何らかの問題が起きてしまい、ここに近寄ってこないこと」

 蝦夷ヶ島には、罪人が島流しとして送られてくることも多い。つまり気性が荒く、問題を起こしやすい和人が多いのだ。彼らがアイヌと衝突したとしても何ら不思議ではない。

「二つ目は、北からの蒙古の影響だ。俺は、蝦夷ヶ島の北から蒙古の手が伸びていると聞いて調査しに来た。もしもその影響が大きければ交易どころではないだろう」

「言われてみればそうかもしれん。それにしてもトキミツ。よくそんなことを即座に考えたな。俺にはそこまで考えが及ばん。武士とはそういうものなのか?」

「まあ、それに近い。俺は若輩(じゃくはい)だが軍略は多少勉強しているからな」

 時光は十四男という立場から、自分に譲られる土地が十分残っているなどと甘いことは、全く持って思っていなかった。そのため、幼いころから大陸の兵法書である「孫子」や「呉子」、日本の兵法書である「闘戦経(とうせんきょう)」などを学んで自らの価値を高めるのに余念がなかった。

 今、こうして偵察なり戦いなりの任務が与えられている状況は、時光にとって願ったりかなったりなのである。

「若。人足衆に聞いてみましたが、箱館とアイヌの間で小競り合いなど無いらしいですぞ」

 丑松が時光とオピポーの会話を聞いていたらしく、人足に聞き取った結果を報告した。これを聞いた時光はうっすらと笑みを浮かべた。

 やはり北の大地に夷敵の手が迫っているらしい。これは、この地に平穏に住まう民からしてみれば不幸なことだが、時光の様な武士にとって見れば立身出世の好機である。危機が大きければ大きいほどそれに比例して功績が大なるものになる。

 土地を相続出来るか危ぶまれていた時光が、大身(たいしん)に成りあがれる機会などそうは無いのだ。時光としてはこの機会を逃すまいと心に決めている。

 そして、機会を逃さず必ず勝利するというのは、撓気氏に先祖から伝わる家訓のようなものなのだ。

「それでは皆の者。これよりイシカリに向けて出発する。各々決して荷を落とさぬように気を付けよ」

 時光の指示の元、人足達は交易品を背負い、列を組んで歩き始めた。蝦夷ヶ島は箱館など都市部周辺しか道路が整備されていないので、アイヌの集落まで荷物を運ぶとすればやはり人力が一番である。

 一行は道に詳しいオピポーを先頭に、ゆっくりと町の外に向かって歩いていくのだった。
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