第57話「カラプト心中」

文字数 2,776文字

「何だあれは! どういう事なんだ!」

 時光は目の前で起きた事が信じられなかった。

 ついさっきまで敵を挟み撃ちにし、自分達が完全に優勢だった。敵の大きな戦力である騎士の得意技である槍突撃(ランスチャージ)を、その真価を発揮できない氷上で食い止め、敵の背後に優勢な味方を差し向けたはずであった。

 それなのにその味方は、敵が陸上に残置していた投石器の放った巨石により足元の氷を粉砕され、冷たい海の中に没してしまった。半数は海に落ちず健在であるのだが、氷上の敵部隊への進軍経路は投石器によって生じた穴で分断されてしまったし、目の前の惨状でとてもではないが迂回して突撃するだけの気力が喪失していた。

 (まじな)いの様に味方が目前で消滅してしまったのだ。無理もない。遠くで見ていた時光だとて敵の神算鬼謀に恐れおののいているのだ。以前戦った騎士は猪突猛進の騎兵突撃をして来るだけだったのだが、今回相手にしている敵の指揮官である騎士は、格段に上の能力を持っているようだ。

 こうなると敵を食い止めていた時光達が孤立状態になってしまう。今はトナカイに引かせたソリによる防御陣地(ワゴンブルク)で騎士の突撃を食い止めているが、兵力の勝る敵をいつまでも防ぎきれるものではない。

「味方は海に沈んでしまったのか?」

「いや。北方の民は魚や鯨を取りに海へ出る者が多いから、溺れたものは少ないだろう。凍死することも心配だが、乾いた粉雪で水気を吸収させ、すぐに暖をとれば死なぬはずだ。そういう知恵に長けているからな」

 オピポーの言葉に味方の大量の死を覚悟していた時光は少し安堵するが、自分たちの置かれている危機的状況には変わりはない。すぐに手を打たねばならない。

「皆! 余ったソリに積んでいる荷物を捨ててすぐに飛び乗れ! 離脱するぞ!」

 先遣部隊である敵の目的は、あくまで大陸に帰還することである。敵の本隊と合流され、再度カラプトに侵攻されることを防ぐためにこの場で殲滅しようとしたのだが、最早その望みは無い。ならばその退却経路を空けてやれば素直にその方向に行くはずだ。もしあくまで戦いを望むのであれば、かなりの損害を覚悟しなくてはならない。敵の指揮官はかなり軍略に長けた人物の様であり、その様な愚は犯さないだろう。

「拙い! 大陸から敵が出てきた! 挟み込まれたぞ!」

 離脱の準備が整わないうちに、悪い知らせがもたらされた。大陸から時光達を追って来たプレスター・ジョンの配下が現れたのだ。時光が新手の方向を見ると、騎兵ばかりが百騎ほど見える。追撃のために機動力を重視して追撃部隊を編制したらしい。追撃してきた部隊は数的には時光達より少ないが、態勢的には挟み撃ちにしている。彼らが突撃して来たら時光達はひとたまりも無いだろう。

「トキミツ! 死ねぇ!」

 追撃部隊の先陣を切る騎士が、怒号を発しながら迫って来た。まだ距離はあるのに時光の耳にはっきりとその声は聞き取ることが出来た。

 その声の主は、鎖帷子(チェインメイル)に十字架を刺繍した上衣(サーコート)を羽織り、円筒形の金属兜で顔を隠した小柄な人物である。

 時光はその人物の事を知っている。西方の女騎士であるガウリイルである。以前の戦いで死闘を演じ、時光はその時のことを忘れることは無かった。命のやり取りをしたのに不思議と憎しみなどは湧いて来ず、時光は自分の感情に名前を付けることが出来なかった。

 そのガウリイルが今、時光の命を奪わんと猛然と突撃して来るのだった。

 氷上では騎士の突進力は減衰するのだが、何の防護も無しに受け止めることは自殺行為である。かと言って離脱準備を整えていたので、応急の防御陣地を築くだけのソリはもうない。

 そして、離脱したとしても時光達は、ガウリイル率いる追撃部隊の穂先にかかってしまうだろう。本来氷上では、騎兵よりもトナカイに引かせたソリの方が機動力が高いのだが、乗って来たソリの約半数を防御陣地につかってしまったため乗員過多になっている。これでは敵の騎兵を振り切ることは出来ないだろう。

 助かる為には何か策を講じなくてはならない。

「若。ここは囮になって突っ込みますので、その隙に皆を率いてお逃げください」

 時光の家来である丑松が、自分の身を犠牲にする策について提言してくる。その気持ちは時光にとって嬉しかったが、それだけでとても逃げられるとは思えなかった。

 その時、時光の目にまだ荷物が積まれたソリが目に入る。新手の出現で荷物を捨てる余裕が無かったため、人が乗る余裕に乏しいソリがいくつか残っている。

「これだ!」

 時光は積まれている荷物を目にすると、即座に奇策を思いつく。そして、即座にそのソリに乗ると、それを引いているトナカイを操りガウリイルに向かって走り出した。仲間に作戦を説明する時間が惜しいので、自ら実行するつもりなのだ。

 探し求めていた時光が自分に向かって来るのを見たガウリイルは、喜びに打ち震えて幸運を神に感謝した。以前の戦いではカラプトと蝦夷ヶ島を制圧するための大切な兵を預かっておきながら、急に現れた日本の武士である時光のために敗北を喫してしまったのだ。ガウリイルはその時の屈辱を忘れることは無かった。

 そして、その雪辱を果たす好機が迫っている。手にした槍を時光に向け、馬の速度を増加させる。だが、時光はそのままガウリイルに向かって来ることはなく、ソリから身を翻して氷上に転がり落ち、結果としてトナカイとソリだけがガウリイルに向かって来る。

 ここであることにガウリイルは思い至る。先日のヌルガン城の戦いで時光はプレスター・ジョンの大軍を、トナカイに震天雷を満載したソリを引かせて突撃させて大爆発させることによって窮地を脱したのだ。今の状況はその時とよく似ている。ガウリイルに向かって来るソリには震天雷が満載されているに違いない。

 ガウリイルは即座に騎馬を操り、向かってきたトナカイとソリをやり過ごした。そしてその数拍後、ガウリイルの後方で轟音が鳴り響いた。予想通りソリには震天雷が満載されていたのだろう。

「残念だったな! トキミツ! もう打つ手はないぞ! 大人しく死ね!」

 兜で顔が完全に隠れているのだが、勝ち誇った表情をしているのだろうと予想させる声色で、高らかに勝利を宣言したガウリイルは再度突撃を開始しようとした。

 しかし、それは出来なかった。

 何故ならガウリイルは氷に生じた亀裂に飲まれ、海中に没してしまったのだ。震天雷の大爆発で生じた爆風、破片、熱によって氷が粉砕されたのだ。

 敵が投石器でやってのけた作戦を、時光は震天雷の大量爆破で模倣して見せたのだった。

 だが、その時光はソリから転げ落ちた時の落下の衝撃から立ち直っておらず、広がる亀裂を避けることが出来ない。結果としてガウリイルと同様海中に消えて行く。

 共に指揮官を失った両軍は茫然とするしかなかった。
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