第18話「安藤五郎、討ち取ったり」

文字数 4,746文字

 撓気時光(たわけときみつ)は堂々たる名乗りを上げ、安藤五郎達の上方に鏑矢を音を立てて放ったが、どうも敵味方の反応が芳しくない。

 時光の頭の中では、自らの威風堂々たる名乗りに対して、敵は慄き、味方からは賞賛され、鏑矢の合図で一斉に戦いが始まるものと思っていた。

 いや、敵方の大将格である安藤五郎の名乗りを待ってから戦闘開始でも良いが、この周囲の反応はどうしたことであろうか。

 怪訝な面持ちの時光に、配下の丑松が寄って来た。

「若。鏑矢を合図に攻撃するなど、誰にも徹底しておりませんぞ」

「いかん。そう言えばそうだった」

 鏑矢を合図に戦うというのは、日本の武士にとっては常識であるため、特に伝えていなかったが、今回時光と共に戦うのは蝦夷ヶ島のアイヌである。文化が違うので日本の常識など通用しない。

 これまでの戦いでは、蒙古を追い詰めるための様々な細かい作戦について徹底していたが、これは盲点であった。

「それに若は敵に向かって名乗りを上げましたが、それで一体どうするおつもりです?」

「そりゃあ、俺の勇名を轟かせるために……」

「無駄ですな。あちらには名乗りを上げるという習慣が無いようですし、言葉が通じておりません。そもそも、武士同士の戦いでも、敵に向かって名乗りを上げる()……いえ、わざわざ名乗りを上げる勇者は先ずおりません」

 丑松は、今でこそ撓気氏に仕えているが、元は独立した御家人だったようで、物言いに容赦のない所が垣間見える。

「ぬう……」

 幼い頃から訓練を積んで来たため、蝦夷ヶ島に着いてからの時光の戦いぶりは鬼神の如きものがある。しかし、本格的な戦場に出るのは今回が初めての事であるため、未だに戦いに対する認識が軍記物(フィクション)によるところがある。

 一応、名を聞いただけで敵が震え上がる様な、勇名を轟かせる豪傑の名乗りならば意味があるかもしれない。しかし、時光の名は未だ無名である。

 更に突き詰めれば、今回の時光の任務を考えた場合、蝦夷ヶ島の偵察を行っていた蒙古は、一人たりとも生かして返す訳にはいかない。もし逃せば蝦夷ヶ島、ひいては日本への侵攻を許すことになるだろう。つまり、逃げ延びた者を通じて時光の勇名が敵陣に轟くなど、期待する必要はないどころか有害である。

「どちらかと言えば、名乗りとは味方に対して行われるものです。己の手柄を喧伝することで、確実に恩賞にありつくためにです」

「じゃあ、それだ」

「それも無用です。今回の味方はアイヌ、陸奥国の蝦夷、それに異国の商人や坊主ばかりです。誰が若の手柄を証言してくれるというのですか?」

「……」

「若?」

「あの……私達は感動しましたよ? 先ほどの名乗りは(いにしえ)のローランの如く素晴らしいものでした。いやはや、まさかこの様な東の果てで、この様な騎士道精神の持ち主に出会えるとは」

 異国の坊主であるグリエルモは、慰める様に言った。彼の住んでいた国には、軍記物に見られる様な戦士のあり方を尊ぶ文化がある様だ。()()()()なる戦士の事は、時光や丑松には全く知識に無いものであるのだが。

「はっはっはっはっは! 所詮は若僧よな! (いくさ)の作法を知らんと見える。皆の者、笑ってやれい!」

 安藤五郎は嘲弄の言葉を発し、その言葉を張文祥が蒙古の言葉に翻訳して伝えた。蒙古兵も笑い出し、それまで不眠不休に加えて追い詰められていたのが嘘のように表情に自信が戻った。

 流石に安藤五郎は海千山千の武士である。味方の士気を高める方策も心得ているようである。

「……」

 味方にその言を注意され、敵に嘲笑されてしまった時光はしばらく黙り込んでいた。

 しかし、

「うるせぇぇぇぇぇい!! そんなしきたりなんぞ知った事かぁ! 全員ぶっ殺す! お前らも続け! 一斉射撃の後に突撃だ!」

 怒りが頂点に達してしまった時光は怒号を発すると、矢をつがえながら馬を走らせた。

「なっ? 迎え撃て!」

「投げろ! その後に放て!」

 安藤五郎の指示により、張文祥は蒙古兵に迎撃の命を下す。

 蒙古兵は陶器で出来た球形の物体を取り出すと、布で包み、現代でいうハンマー投げの要領で迫りくる時光目掛けて放り投げた。

 遠心力により投擲された陶器の球は時光の近くまで放り投げられ、命中する寸前に空中で轟音を発して爆発した。

 これは、現代では()()()()として知られている兵器である。

 ()()()()は火薬を用いた兵器であり、その爆発により威力を発揮する。火薬は大陸において数百年前の唐王朝の時代には既に発明されており、この時代では既に実用段階にある。モンゴルに下った漢人などの技術者によって運用され、大陸では攻城戦などにおいてその威力を発揮している。

 ただ、爆風で致命傷を負わせるには威力が足りず、破片も効果範囲はそれ程ではないため、主な用途は光や音による脅しである。

 しかし、戦場においては光や音による士気への影響は無視することが出来ない。視覚や聴覚に強い刺激を受けることは、兵士の戦う意思を削ぎ、統制の取れた行動を妨げる。特に勇敢さが求められる突撃などへの悪影響は中々のものだ。それに、強い衝撃を受けた馬を御するのは至難の業である。

 が、それは時光たちには当てはまらなかった。

「何だこりゃあ? 虚仮脅しか?」

 先頭で馬を走らせる時光は全く意に介する様子はなく馬を制御し、それだけでなくアイヌの戦士達も怯む様子は全くなかった。

「な、何故だ? この国に火薬を使った兵器など無いはず。初めてこれをくらって平気でいられるはずがない!」

「馬鹿め。昨日の爆発に比べたら屁でもない! 冥府で東岳大帝に勉強不足でしたと言い訳するがいい!」

 昨日、石炭の採掘坑が爆発事故によって丸ごと崩壊するという事故があった。それは時光達の目の前で起きた事であり、その様な大爆発に比べたら、()()()()の爆発など児戯に等しいと言っても良いだろう。安藤五郎達にとって運が悪かった。そして混乱する張文祥に裁きの言葉を口にした時光は、その引き絞った弓から矢を解き放った。

 張文祥は喉を射貫かれ、地面に縫い留められて絶命した。

「――?! ~~==!」

 張文祥による攻撃命令を待っていた蒙古兵は、張文祥の死によって混乱し、時光には理解できない言葉を発しながら矢をバラバラにはなって来た。統制の取れた攻撃ではない。

 蒙古兵を取りまとめているのは、張文祥であった。それに、一応の長である安藤五郎の言葉を蒙古兵に伝えられるのは、張文祥だけであった。それを見て取った時光は、張文祥を殺すことによって蒙古兵に組織的な戦闘を出来ないように仕向けたのである。

 この、統制の取れていない射撃からすると、功を菟最初に張文祥を仕留めるという時光の判断は功を奏したと言ってよいだろう。

「効かんな。もっと強弓(こわゆみ)を用意してから出直して来い!」

 更に、蒙古兵の放った矢は時光の着る大鎧によって防がれてしまった。

 日本の武士にとっての主要な武器は、弓矢である。ならば当然、彼らの纏う大鎧は矢を防ぐことに主眼が置かれている。大鎧は鉄製の小札を繋げて作られており、材質、形状等かなりの防御力を持っており、これを貫くのは簡単な事ではない。

 もちろん、多勢に無勢であるし、防御力の薄い鎧の隙間に命中する可能性もあるため、過信は禁物である。しかし、張文祥が死亡したために統制が取れていない蒙古兵は、時光を倒すだけの矢を放つための精度で集中させることが出来なかった。

 時光を倒せなかったもう一つの理由は、馬を狙わなかったことである。時光の駆る馬は鎧などを付けていないため、数本の矢を浴びせれば倒すことが出来る。しかし、馬を相棒として生活する騎馬民族としての本能や、もしも馬を活かしたまま時光を射殺して奪うことで、今後の戦闘を有利に出来るという考えが、馬への射撃を抑制してしまった。

 確かに、騎馬民族である蒙古兵の本領は、馬に乗ることによって発揮される。今はアイヌが数的に有利だが、馬を奪って弓騎兵となることが出来れば、その機動力と弓矢による火力でこの位の不利は覆せた可能性が高い。

 しかし、今となっては全て机上の空論である。

「放てぇぇぇぇい!」

「ぐふっ」

「あっぁぁぁぁ!」

 時光に気を取られ隊形を崩し、矢を放ってしまった蒙古に対し、アイヌから猛烈な矢の雨が降り注がれた。弓矢の射程では蒙古が有利であるのだが、時光に攻撃した後の二の矢を番える前に接近され、無防備な状態で矢を受けることになってしまった。

 指揮の要である張文祥が戦死し、主力である蒙古兵の大半が倒れた今、最早勝利は時光の手にあるのも同然である。

「安藤五郎! 覚悟せい!」

「ま、待て! こうさ……」

「はぁっ!」

 悪鬼の如き面構えで迫る時光に、降伏の言葉を伝えようとした安藤五郎であったが、それを言い終える前にその首を刎ねられてしまった。

 安藤五郎の首は空高く舞い上がり、朝露で湿った草原に転げ落ちると、流れ出る血を蝦夷ヶ島の大地に染み込ませた。

 日本の北の守りを任され、蝦夷ヶ島の民との友好関係の構築を命じられていたにもかかわらず、それを裏切った男の末路であった。

「トキミツさん。殺して構わなかったのか?」

「こ奴は日本を裏切り、蝦夷ヶ島の民を苦しめた。その首を刎ねて何の問題がある」

「そうか!」

 エコリアチ達アイヌの戦士団は時光の行動に驚いていた。彼らアイヌにとって安藤五郎を殺すのは困難だったからだ。

 安藤五郎は日本に所属するので、本来アイヌの裁きに服する義務はない。とは言え、アイヌの勢力圏でこれだけの問題を起こしているのだから、処刑することに問題が無いとも言える。しかし、安藤五郎は陸奥国の有力者である。蝦夷ヶ島と直接交流することの多い陸奥国の有力者と敵対することは今後の生活に重大な影響を及ぼす。

 そう考えるとアイヌにとっては、安藤五郎は殺しても飽き足らない憎むべき相手であるが、生かして返すしか方法はないはずであった。

 かと言って、時光も本来安藤五郎を殺すことには障りがあるはずである。

 武士の世界における安藤氏と撓気氏との争いに発展しかねないし、何と言っても和人の時光にとってはいくらアイヌが安藤五郎によって酷い目に合わされようと、他人事のはずなのだ。

 しかし、時光はその様な事よりも、アイヌのために安藤五郎を断罪してくれた。日本を蒙古に売り渡そうとしたことによる怒りもあるのかもしれないが、それでもアイヌにとって晴らせぬ恨みを時光が晴らしてくれたことが、エコリアチ達にとって嬉しかった。

「トキミツさん。これからカラプトに蒙古の調査に行くのだだろう? 俺達は全力で支援されてもらおう。 皆いいな?!」

「おう!」

 エコリアチの言葉にアイヌの戦士団は皆、威勢の良い声を発した。思いは皆、エコリアチと同様なのである。

「ん? 何だか分らんがありがとう。恩に着る」

 時光はエコリアチ達が何故、そんなに勢い込んで自分に協力を申し出ているのか分からなかったが、とりあえずその申し出は受けることにした。

「それではみんな、集落に戻るとしよう。その前に勝鬨だ! エイ! エイ! オー!」

「エイ! エイ! オー!」


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 日本を蒙古の手から守るため、北の地において調査を命じられた若き武士、撓気時光はその初陣において見事に勝利を収めた。

 武士でありながら日本を売り渡し、蒙古の手先になろうとしていた安藤五郎を討ち果たし、蝦夷ヶ島のアイヌの信頼を勝ち取ることが出来た。

 しかし、時光の任務はまだ終わっていない。

 蝦夷ヶ島の更に北に浮かぶ島であるカラプトは、既に蒙古の勢力圏になっている。

 これより撓気時光の戦場は、カラプトに移ることとなる。
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