第17話「血の夜明け」

文字数 3,112文字

 安藤五郎と蒙古兵達が夜の山で危機に瀕している時、その相手側である撓気時光(たわけときみつ)達は余裕で戦いを進めていた。

 安藤五郎達は当初明かりを灯していたのを、時光達に矢で狙い撃ちされたために火を消したが、急に暗くなったので目が暗闇に順応できていない。それに対して、時光はアイヌの戦士達の内半数は、当初目を閉じたままにしていた。そして、安東五郎達が火を消してから目を開けさせて戦いに参加させたため、彼らは暗闇に目が慣れた状態を維持ししていた。

 ただでさえ、アイヌは夜の狩猟を通じて夜目が効く。これは同じ狩猟民族であっても、集団で統制の取れた狩りを昼間の平原で行う蒙古に対して、アイヌが持つ有利な点である。この利点に加えて目の順応まで準備していたのだ。負ける道理がない。

 結局蒙古は防戦一方となった。しかし、流石に蒙古は大陸での数々の戦いに打ち勝った百戦錬磨の(つわもの)である。背後を山で守り、姿勢を低くしてきたので、当初ほど被害を与えることが出来なくなった。

 時光達の所持する矢にも限りがある。いくら夜目が効くと言っても昼間よりは命中精度は格段に下がる。この状況で矢鱈目鱈に矢を放つのはあまり好ましくはない。後になるほど射撃の頻度を少なくした。

 また、本来なら闇に紛れて突撃をしたいところであるが、それは控えた。

 武士にとって夜襲とそれに伴う突撃は戦いにおける常套手段である。故に時光も夜目にはアイヌほどではないが自信があり、もしもこの夜襲においてアイヌと共に突撃すれば、全ての敵の首級を上げる自信がある。

 しかし、アイヌはそれほど近接戦闘の練度は高くない。また、敵の蒙古はアイヌの服装をして変装しているので、同士討ちの危険がかなりある。

 それに加えて戦いはこの場で勝てば終わりというものではない。本来の任務はこの蝦夷ヶ島よりも更に北の島である、カラプトにおけるアイヌと蒙古の争いに関する情報収集なのだ。ここで余計な危険に身を晒すことはないし、無用な犠牲を出してしまえば今後のアイヌとの信頼関係に重大な影響を及ぼすことだろう。

 ここは慎重策が最も有効なのだ。

「うらららぁぁぁ!!!」

「死ねぇぇぇぇい!!!」

 慎重策を取ると言っても、休んでいるばかりではない。定期的に矢を放ち、気勢を発し、山の木々を揺らして、安東五郎達を威圧し続けた。

 安藤五郎達に取っては、夜の闇で周囲が見えない状態で敵に囲まれてしまい、この先どうなるのだか分からない不安な状態である。その様な状況で、矢で、声で、音で刺激し続けられることは非常に神経をすり減らすことである。

 例え攻撃の頻度が下がっても、とてもではないがまともに休息出来たものではない。それに対してアイヌには交代で仮眠を取るように言っている。声や木々を揺らして音を立てるのは、助けたアイヌの集落の非戦闘員に頼んでいるのだ。彼らは直接蒙古と戦闘することは危険すぎて出来ないが、その力量に見合った任務を割り振れば、見事にそれを果たして成果を上げてくれる。

 適度な睡眠は戦闘力の発揮に重大な影響を及ぼす。これは戦闘に限らず人間にとって当然のことである。

 戦闘の緊張状態では確かに多少寝ていなくて睡魔が襲ってきたとしても、戦場における独特の緊張感から、眠らずに何とか起きて戦闘することは不可能ではない。しかし、不眠不休による心身への疲労は、その戦闘力を確実に蝕み、そしてその悪影響は命のやり取りという決定的な局面でその力を存分に発揮してしまうのだ。

 つまり、蒙古兵の安眠を妨害することでその戦闘力を低下させ、十分に休息を取って戦闘力を維持しているアイヌで撃破してしまおうというのが時光の作戦である。

 鍛え上げたその戦闘力を遺憾なく発揮しそれを敵とぶつけ合い、命を奪い合うのは武士の本懐ではあるが、直接決定的な戦いをする前に可能な限り有利な状況を作り出すために策を巡らすのも、武士のあるべき姿である。

 時光の作戦は当たり、アイヌ側は戦力を維持したままなのに対し、安藤五郎達はこの夜の間に、数や体力、気力を減らしていった。

「見ろ、トキミツさん。奴ら逃げて行くぞ。予想通りだな」

 夜が明け、太陽がうっすらとその姿を見せ始めた頃、アイヌの戦士団の長であるエコリアチが安藤五郎達を指さしながら時光に言った。

 エコリアチの言う通り、夜が明けて視界が確保出来るようになった頃、安藤五郎達は山のふもとに足早に向かって行った。これは時光の予想通りである。そして、対安藤五郎戦における最終局面が近づいていることを示している。

「追うぞ! 急ぎ過ぎは良くないが、逃げられてもいかん。皆俺の速度に合わせてついて来い!」

 時光は騎乗するとアイヌの戦士団を率いて安藤五郎達を追跡した。安藤五郎達は恐怖からかかなり急いでいるものの、逃げ切られてしまうことについては、時光は全く恐れていなかった。

「若! 見つけました。予想通り罠に嵌っています!」

 逃げられることを恐れていなかったのはこういう事であった。安藤五郎達は本来の拠点であるテイネ金山の方向に逃げるはずである。ならば、その方向に事前に罠を仕掛けておけば良い。単純ではあるが効果覿面であった。これもアイヌの戦士団が休んでいる間に、もう直接戦いに参加する体力はないが罠の身技術を持つ老人たちが夜の間に仕掛けてくれたおかげである。

 時光はアイヌの戦士団に態勢を整えさせ、ゆっくりと安藤五郎達に向かって進んで行った。相手も時光たちに気が付き、最早逃げるのは困難と考えたようで時光達と戦う態勢を取った。

 ここでこの物語の冒頭部分に戻る。

 ここに来て初めて時光と相対した安藤五郎は、これまで自分を追い詰めてきたのがアイヌだけではなく、日本人の武士の少年であることにやっと気が付き、怒りの声を発した。

「この……若僧! 儂を蝦夷代官職(えぞだいかんしょく)を預かる安東家の惣領(そうりょう)安藤五郎(あんどうごろう)と知っての所業か? 蝦夷(えみし)なぞと徒党(ととう)を組みおって、武士としての恥を知れい!」

 安藤五郎は必死に馬を御しながら怒りを込めてを時光に向かって言い放った。人に向かって命令を下すのに慣れている様で、上から目線の物言いは中々堂に入っていると言えよう。通常なら同じ武士と言えども地位や貫目の違いで、兵力を無視して押し勝ってしまえるかもしれない。

 普通なら(おく)してしまうような怒号を浴びせられた時光であったが、それを真正面から受け止めても何ら怯むところはなかった。まだ戦場往来(せんじょうおうらい)での経験が無い年頃にしては見事な立ち振る舞いである。

「笑止! 貴様こそ北鎮(ほくちん)の任にありながら夷敵(いてき)と組んでいるのは先刻承知だ! 恥を知れ!」

 時光は負けじと魂消(たまげ)るような大音声(だいおんじょう)で叫び返す。その声を正面から受けた受けた安藤五郎は文字通り、魂をかき消されたかの様に動揺した。

「貴様の従えているアイヌの様な出で立ちの者ども、着こなしが随分と可笑しいな。本当にアイヌか? しかもよく見れば付け髭ではないか。正体は何だ?」

「そ、それは……」

「答えられないようなら言ってやろう。そ奴らは蒙古(もうこ)斥侯(せっこう)であろう? 我が国を狙っているのは先刻承知だ!」

 時光の指摘は的を射ていたようで、時光の指摘に安藤五郎は青ざめる。そして、最早これまでとばかりに先ほどまでとは打って変わって呵々大笑(かかたいしょう)すると、後ろに控えるアイヌ……いや、蒙古兵に対して指示をする。

「者ども! すぐこいつらを討ち取れ! そうすれば黄金は我等の物だ!」

「正体を現したな? 安藤五郎! 遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我こそは相模国(さがみのくに)撓気郷(たわけごう)の撓気十四郎時光である!」

 時光は名乗りを上げながら矢をつがえると、安藤五郎めがけて力強く放った。
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