第84話「ピイエ丘陵攻防戦」

文字数 2,072文字

 アイヌなどの戦士団本隊に合流した時光は、速やかに決戦準備を整えた。プレスター・ジョン率いる本隊を捕捉している内に仕留めねばならないのだ。もたもたしていたら倒木で封鎖した山道を啓かれたり、分離している騎士団が駆けつけて来るかも知れない。敵が全て揃った状況では、勝利するのは難しいと時光は考えている。

 黎明の頃、ピイエ丘陵に霧が立ち込み始める。先日の雨で大地に溜まった水分が、夜明けによる気温の上昇で、霧に変じたのだ。この地域のこの季節にはよくある光景である。

 時光達は、中央を時光とサケノンクルが指揮するアイヌの部隊、右翼をエコリアチが指揮するアイヌの部隊、左翼をバーリンが指揮するニヴフの部隊に分けて進軍する。それぞれ五千を超える規模だ。

 時光の作戦はこうだ。敵は丘陵という高所に陣取っている。しかも敵の主力はモンゴル人の戦士であり、騎兵、歩兵共に強力な弓の使い手だ。高所からの射撃は射程を伸ばすため、より脅威となる。これは以前攻めた時の経験からも明らかである。

 射程が脅威であるならば、その内側に早々に入り込むべきである。そのためにはこの濃霧はもってこいである。

 こちらも射程に入れてしまえば、アイヌ達の弓の技量は劣るものではない。後は数の優位で押し込めるはずであった。

 そして最前線の者が敵と接触し、戦闘が始まった。

 先に敵を発見し、射撃を開始したのはアイヌ側である。視力という点では、広大なモンゴルの高原で育ち、その中で点にしか見えない様な狩りの獲物を見つけ出すモンゴル川に軍配が上がる。アイヌは蝦夷ヶ島の大半を占める森の中での狩猟が多いため、そこまで遠くを見通す必要がないのだ。しかし、この戦場はモンゴル高原ではなく蝦夷ヶ島だ。しかも霧の中の事である。丘陵のあちこちに点在する木や窪地に隠れながら、霧を利用して接近するアイヌ達を発見するのはモンゴル兵にも困難であったのだ。

 先制攻撃を受けたモンゴル兵達は、次々と倒れて行く。霧の中故に優れた弓兵であるアイヌにも、狙い澄ました急所への一撃は実行不可能である。だが、身体のどこかに命中させる事くらいはお手のものである。そして、その矢には毒が塗られているのである。モンゴル兵も毒矢を使うのだが、解毒剤など持ってはいないので、矢がかすっただけでも十分致命傷になるのだ。

 モンゴル側もやられているばかりではない。即座に矢の一斉射撃を行う。モンゴル兵はアイヌの戦士達の姿を完全に確認出来ているわけではないが、彼らは厳しい訓練の積み重ねにより、集団で効率よく一定の範囲に矢の雨を浴びせることができる。これには隠れていたアイヌの戦士達もたまらず攻撃を受けてしまう。モンゴル兵達もピイエに来てそれなりの時間が経過している。朝に霧が立ちこめるなど予測済みで、待ち構えていたのだろう。

 なお、アイヌ側も解毒剤など持っていない。お互いにトリカブトを主原料にした矢毒を使用しているのだが、彼らは同じ民族でも部族ごとに微妙に製法が違うのだ。薬学の未発達と毒の成分が一定ではない事が重なり、解毒剤は開発されていないのである。

 つまり、お互いノーガードで殴り合ってるのも同然である

 これより数百年後、人類は化学兵器を互いに使用し合うという愚行を起こした。それでも一応解毒剤は開発した上での事で、化学兵器を食らった兵士達は皆治療を受けていた。それを考えると、互いに解毒方法が分からない状態で、毒矢を使用し合うという事の恐ろしさが見えて来る。

 互いに回復しようのない消耗戦を続けるとどうなるか。答えは数の多い方が勝つという事である。面白みのない結論だが実際こうなるより他にないだろう。

 多くの兵士を損耗したモンゴル側は、陣地を離脱して丘陵を南に降りて逃げて行った。

 勝利に沸き立つアイヌの戦士達は、それを追撃せんと走り出そうとしたが、すぐに時光が引き留めた

 理由は、今回相手をした敵はモンゴル族ばかりであった。しかし敵にはウリエル率いる漢人の部隊がいるはずなのだ。それが今回の会戦では全く姿を見せない。つまり何か別の所で働いているのだろう。以前の戦いで漢人はその優れた技術により、堅固な陣地を築いていた。うかつに近づいたら多くの被害が出るだろう。そして、モンゴル兵の得意技は偽装退却なのだ。下手に追撃などしたら、騎兵に取り囲まれて逆に殲滅されるだろう。

「トキミツ。良いのか? 追撃してここで勝負を決めるべきじゃないか?」

「いや。理由はさっき言った様な事だ。侮ってはいけない。機動力も馬を一頭しか運用出来ない俺達が、奴等に追いつけるとも思えない。それよりも陣地の確保と負傷者の救出だ」

 時光はピイエ丘陵の確保を急がせた。もしかしたら、敵が取り戻しにくるかも知れない。

 結局夕方になっても敵が逆襲することはなかった。時光達はピイエ丘陵の確保に成功したのである。そのために約千人以上の兵士が命を落とした。たった半日の出来事としては恐ろしい損耗だ。

 時光は南のフラヌ平野に逃げた敵との戦闘で、より多くの犠牲者が出る事を覚悟した。
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