第42話「ボコベー城」

文字数 3,320文字

 日本の北に位置する蝦夷ヶ島の更に北に浮かぶカラプト島、その島でも北部に位置し大陸と海を隔てたボコベーの地に、城が一つそびえていた。

 このボコベー城の周囲は、沼沢地であり足場が悪い。しかし、このボコベー城は土台を良く突き固めて作成されており、強度に問題はない。また、周囲を空堀で囲まれているため、攻め込むのには多大な労力を要する。

 この城の主の名を、撓気十四郎時光(たわけじゅうしろうときみつ)と言い、鎌倉の幕府から派遣されてきた武士である。

 現在日本は蒙古による侵攻に備えており、特に西国の御家人達は防備の準備に追われている。しかし、九州だけではなく日本に位置するこのカラプト島に蒙古が勢力を伸ばしており、蝦夷ヶ島のアイヌと抗争を繰り広げているという情報が入ったのだ。

 この事態を重く見た幕府の執権である北条時宗は、信頼でき、その実力を見込んだ幼馴染の武士である時光を北の大地に送り込み、情勢を探らせていたのである。

 なんやかんやあって時光は、何故か現地の民に蝦夷守(えぞのかみ)なる謎の役職に祭り上げられてこの地の守備にあたり、今に至っている。

 四年前の戦いで蒙古軍をカラプト島から追い払ってから、時光は主にこのボコベーに位置して蒙古軍の侵入を防いでいる。このボコベーには蒙古軍が城の基礎を築いていたので、現地の民であるアイヌ、ニヴフ、ウィルタと協力して完成させたのだ。

 それ以来このボコベー城には、常時数百人の戦士が、蝦夷ヶ島とカラプト島から集められ、交代で防備にあたっている。これだけでは蒙古軍の全力の侵攻を防ぐことは出来ないだろうが、常に全兵力を集めていては日常生活に支障をきたすので、何かあった時には伝令や狼煙で招集をかることになっている。

 もっとも今までその様な事態に至った事はない。

 時光がボコベー城に守備に就いて以来、本格的な侵攻は無く小競り合いばかりで、城の防護施設と戦士の活躍で十分対処できたのだ。

 そして、最近は小競り合いすら無く平穏な日々だ。また、これまで蒙古軍との緊張が高まっている時でさえ、二里程度の狭い海峡を隔てた大陸との交易は継続された。大陸側は既に蒙古軍の勢力圏のはずだが、不思議な事にそういったことに蒙古人は頓着しない性質らしい。これはカラプトだけの話ではなく日本と蒙古の間の交易も、この緊張状態で継続されていることから分かる。

 平和な日々が続いてはいるが、訓練は怠らない。時光はボコベー城を預かる者として、定期的に後退されるアイヌ等の戦士達と集団で戦う訓練をしている。

 アイヌ等の民は、狩猟を通じて個人的な技量は優れている。百発百中の弓や、獰猛なヒグマとも対峙できる槍の扱いなどだ。しかし、それではチンギス・ハーンの軍制改革以来、集団としての能力を高めてきた蒙古軍に対抗することは出来ない。彼らの能力は大陸の如何なる強国も撃破してきた程なのだ。

 しかも、敵は蒙古人だけではない。漢人や胡人、西洋人などもその傘下に入れ、このカラプトや蝦夷ヶ島に送り込んできたことがあるのだ。西洋人の重装槍騎兵である騎士という戦士達は、実に恐ろしい戦闘力を誇っており、一時は時光も瀕死の重傷を負ったほどだ。

 という訳で、この日も朝から時光達は訓練に励んでいた。

 内容は、号令通りの離合集散、進退。

 集団としての弓術。

 騎兵突撃に対抗するための長槍での密集隊形や盾による防御。

 日本から持ち込んだ刀を取り扱うための木刀による訓練。

 基礎体力を鍛えるための相撲などだ。

 訓練を指導する立場である時光も、本来集団戦について詳しい訳ではない。初陣は蝦夷ヶ島に来てからだったし、元々武士は集団戦に長けている存在でもないのだ。有力な御家人の上層部なら、多人数を統制する手段を経験から知っているかもしれないが、あいにくと撓気氏は弱小御家人である。

 ただし、撓気氏は交易を通じて銭を儲けているという特性があり、家には様々な兵法書が保管されていた。これを幼少から読み漁ってきた時光は、その知識を応用して何とか訓練を指導してきたのだ。

「平和だな……」

「そうですな。最近蒙古は攻めて来ませんからな」

 午前の訓練が終わり、昼食をとりながら独り言を言った時光に、この城にいるもう一人の日本人が反応した。時光の部下である丑松である。

「平穏だから大陸との交易が進んで何よりだ。丁度海が凍っているから、氷を渡って荷物を運びやすいからな。ニヴフの犬ぞりというのは便利なものだな。蝦夷ヶ島にも取り入れたいくらいだ」

 これはアイヌの民であるエコリアチの発言だ。彼は蝦夷ヶ島のイシカリの集落出身で、元々撓気氏の交易相手であった。イシカリの集落に対する危機を時光と共に解決したことがあり、時光の事を協力者として信頼している。

「蝦夷ヶ島で金を採取すれば、もっと色々大陸から買えるんだが……」

「そんなことしていいのか?」

 かつてイシカリのアイヌ達は誘拐されて金の採掘に使われていた。そのイシカリの次世代の長であるエコリアチが金の活用について言及するのは、時光にとって意外であった。

「長に駄目だと言われた。金の採掘で山や川が汚されるのはいかんらしい。残念だ」

 長の考えが、自然と共に生きるアイヌとしては一般的なのだろう。エコリアチは幼いころから交易に携わって来たため、少し和人に近い感覚を持っている。

「春が訪れたら蝦夷ヶ島に戻ろうと思います。家族と会いたいので」

 冬が終わって氷が解けたら船を使わずとも大陸から侵攻される季節が終わる。そのためこれまでの小競り合いは冬が主だったのだが、その冬が終わったら蝦夷ヶ島に行きたいと丑松が言い出した。

 丑松は蝦夷ヶ島のアイヌの女性と家庭を持ったのだ。

「構わん。顔を見せて安心させてやると良い。……俺は一体いつになったら結婚できるのか」

 時光の後半の言葉は小声の独り言である。ボコベー城は大陸からの侵攻に備える軍事施設であり、女性は存在していない。いるのは戦闘要員の男衆だけだ。そして基本的に時光はこの城に寝泊まりしている。つまり女性と接する機会に乏しいのだ。

 ほとんど同じ条件だったはずの丑松が、何故結婚しているのかと言うと、蝦夷ヶ島の戦いで蒙古軍に支配された集落を解放した際、丑松は宴会の途中で知り合ったアイヌの女性と抜け出して、そういう仲になったのだ。なお、時光はその時今後の方針について話し合っており、その様な暇はなかった。

「ん? なんだトキミツ。妻が欲しいのか? 蝦夷守のお前なら立場的には問題ないだろうが……もっと髭を伸ばさんと紹介出来んぞ」

 時光の容姿は悪いものでは決してない。若さと精悍さに満ち溢れており、若い女性の目を引いてもおかしくはない。しかし、この地域に住まうアイヌの男達は皆、豊かな髭を蓄えている。これこそが彼らの男としての魅力であり、成人男子としての証なのだ。残念ながら時光は、あまり髭が伸びない性質のようだ。そのため、アイヌから見れば強くて地位があるが、結婚相手として見るには性的魅力に著しくかけた人物であるのだった。

「いやいや。婚姻は神に認められた神聖なもの。女性を近づけず童貞を守るその生き方は、神の御心にかなっていると言えましょう」

 これは羅馬(ローマ)から来た坊主のグリエルモの発言である。彼の信じる神の教えには、時光の女性との接点の無い生き方は、正しいものであるらしい。

 時光は出会った頃、グリエルモのことを西方の仏教の一派の坊主位に思っていた。しかし、この四年間色々話してみると、彼はキリスト教なる全く別の宗教であるという事が理解できた。このような東の果てまで布教の旅に来るとは、実にご苦労な事だと時光は感心している。

 グリエルモは大陸を西から長い間旅してきたので、豊富な知識を持っている。彼から蒙古の言葉や大陸の文化について学んでいる。また、最近ではラテン語という西洋で公式に使われる言語についても教わっているのだった。

「別に神の教えとか、そういうのは関係ないがな……」

 他愛も無い話を続ける丑松達であったが、時光の脳裏には、以前戦った蒙古軍に所属している西洋の騎士、ガウリイルと呼ばれていた金色に輝く髪の女性の事が浮かんでいたのであった。
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