第82話「フラヌの平原」
文字数 2,354文字
時光達はイシカリ地域から、プレスター・ジョンの軍勢本隊が位置するピイエに向かって進軍した。時光の算段では敵がピイエから南下し、フラヌの平原を通過して、イシカリ地域に帰還するためにイクスンペツの峠を超える前にそれを妨害できる事になっている。
距離的にはプレスター・ジョンの軍勢がフラヌの平野を通過してしまう方が時光達よりも近いが、勢力が多すぎて鈍重である。いくらその機動力で鳴らしたモンゴル軍とはいえ、少数精鋭で蝦夷ヶ島の自然や地理に通じた時光達には敵わない。また、ピイエの本隊はアイペツの分遣隊を収容してから出なくては移動できない。何故ならば、徒歩の漢人主体のアイペツの部隊は機動力と兵力に乏しく、その優れた工作力で構築した堅固な陣地を離れて単独行動すれば、アイヌの本隊の餌食になる事だろう。時光としてはその展開を期待しないではないが、敵の能力から言ってその様な不用意な行動に出るとは思えない。
そして、時光の予想通りプレスター・ジョンの軍勢が峠を通過するより早く、時光達はそこを通り抜けることに成功した。森に覆われた山から出ると、目の前には広々としたフラヌの平原が広がっていた。フラヌは盆地であるため、平原のはるか先には更なる山々が連なっている。
「なあエコリアチ。あの向こうにそびえる山。あれ、煙を吐き続けていないか?」
時光の言う通り、はるか向こうに連なる山々の中、一際高くそびえる山は噴煙を高く噴き続けている。
「確かあれはトカプチという山だな。数十年おきに噴火しているそうで、噴火していない時もああやって煙を噴いているいるんだ」
「……大丈夫なのか? あれ」
「何とも言えんな。数十年ごとと言ったが、数年で噴火することもあるらしい。この前噴火したのは十年くらい前らしいが、その時はフラヌの北部の平原に溶岩と泥流が流れ込み、ピイエの一体まで覆いつくしたそうだ」
「何とも恐ろしい事だな。俺達がいる時に噴火しない事を祈るばかりだ」
時光は相模国出身である。そこからは富士山の美しい姿を眺めることが出来る。そして、富士山がただ美しいばかりでなく時として恐ろしい一面を露わにすることも知っている。
村の古老からは二百年ほど前に噴火し、遠く離れているにもかかわらず相模国の撓気郷に大量の灰を降り積もらせ、作物に多大な影響を及ぼしたという。
また、時光が読んだ歴史書によると、四百年ほど前の噴火では、富士山の北部に位置する甲斐国のせ の う み と呼ばれていた大きな湖を、溶岩や土砂で埋め立ててしまい、現在の様に複数の湖に分割してしまったと記述している。
自然の力とは人が抗うには余りにも巨大過ぎるものだ。時光はトカプチの山が噴火する危険性があることを、心の片隅に置いておくことを心に決めた。
ちなみに、戦争の行方を火山が決した例は存在する。時光が生きた時代より数百年先のハワイにおける事象だ。現代でもカメハメハ大王で知られる人物がまだ勢力を拡大する前、地盤を固めるべく戦いを続けていたのだが、ある戦いで敵のほとんどがマウナケア山の噴火による溶岩で飲み込まれてしまったとのだ。これにより、カメハメハは自軍を損耗することなく勝利しただけではなく、神の加護を受けていると名声が轟き、ハワイ諸島統一への道を開くことになったのだ。
それはさておき、時光達はフラヌの平原に入る前に、峠に向かう道を封鎖する工作を開始した。道は狭いうえにあまり整備されていない。馬による機動力を最大の利点とするモンゴル軍であるが、この様な環境ではちょっとした妨害工作でも大きな影響を受けることになる。
時光はいくつかの木を切り倒し、道を塞ぐ様に指示した。指示を受けたアイヌの戦士達は手斧を使って切り倒す作業を開始する。アイヌの戦士達は狩人であるが、自らの家は自分自身で建てるし、漁労や交易に使用する舟も自ら作成する。つまり、木こりとしての作業も皆がある程度出来る。
すぐに何本かの木が切り倒され、道を封鎖した。しかし、その際予想外の事態が発生した。
「マズイ! た~お~れ~る~ぞ~!」
「うおっ!? 危ない! 逃げろ!」
ある木が倒れる際、予定していた方向ではなく別の方向に倒れてしまった。しかもそれだけでなく、別の木を巻き込むようにしてだ。
先日の大雨で地盤が緩んでいた事もあったのかもしれない。倒木は連鎖的に広がり、あっという間に一体の木を薙ぎ倒した。
「何やってん……待てよ? ちょうどいい具合に倒れてないか?」
時光の見るところ、倒木の連鎖により予定よりも広範囲で道を塞いでいる。これを除去するのはかなりの苦労があるだろう。これならばプレスター・ジョンの本隊を逃さず、フラヌの平原で撃破する機会を失することは無いだろう。
また、単に広範囲で道を塞いだだけではない。道具によって切り倒すのでなく、他の木で押し倒されているのだが、これは根元に木の弾力による力がかかり続けているという事である。という事は木を除去するために切断したり、上に覆いかぶさった木をどかしたりすると倒れていた木が跳ね上がり、作業していた者が負傷する可能性が生じる。
実際、現代日本においても台風などにより生じた風倒木を除去する際、作業員が負傷、最悪死に至る事も発生している。
もちろん、この時代では作業にあたる様な下層の者の命は安いため、犠牲を気にせず力業で解決する事も可能ではある。しかし、作業効率が悪くなることは必定である。
「ふむ。結果的に良い方向に行ったな。怪我人は幸いいないしな。もうこれ以上封鎖作業をする事も無いだろう。本隊に合流するぞ」
時光は作業にあたっていたアイヌの戦士達をまとめ、ワッサムから南下してプレスター・ジョンを追撃する本隊に合流するべく、北に進路をとった。
距離的にはプレスター・ジョンの軍勢がフラヌの平野を通過してしまう方が時光達よりも近いが、勢力が多すぎて鈍重である。いくらその機動力で鳴らしたモンゴル軍とはいえ、少数精鋭で蝦夷ヶ島の自然や地理に通じた時光達には敵わない。また、ピイエの本隊はアイペツの分遣隊を収容してから出なくては移動できない。何故ならば、徒歩の漢人主体のアイペツの部隊は機動力と兵力に乏しく、その優れた工作力で構築した堅固な陣地を離れて単独行動すれば、アイヌの本隊の餌食になる事だろう。時光としてはその展開を期待しないではないが、敵の能力から言ってその様な不用意な行動に出るとは思えない。
そして、時光の予想通りプレスター・ジョンの軍勢が峠を通過するより早く、時光達はそこを通り抜けることに成功した。森に覆われた山から出ると、目の前には広々としたフラヌの平原が広がっていた。フラヌは盆地であるため、平原のはるか先には更なる山々が連なっている。
「なあエコリアチ。あの向こうにそびえる山。あれ、煙を吐き続けていないか?」
時光の言う通り、はるか向こうに連なる山々の中、一際高くそびえる山は噴煙を高く噴き続けている。
「確かあれはトカプチという山だな。数十年おきに噴火しているそうで、噴火していない時もああやって煙を噴いているいるんだ」
「……大丈夫なのか? あれ」
「何とも言えんな。数十年ごとと言ったが、数年で噴火することもあるらしい。この前噴火したのは十年くらい前らしいが、その時はフラヌの北部の平原に溶岩と泥流が流れ込み、ピイエの一体まで覆いつくしたそうだ」
「何とも恐ろしい事だな。俺達がいる時に噴火しない事を祈るばかりだ」
時光は相模国出身である。そこからは富士山の美しい姿を眺めることが出来る。そして、富士山がただ美しいばかりでなく時として恐ろしい一面を露わにすることも知っている。
村の古老からは二百年ほど前に噴火し、遠く離れているにもかかわらず相模国の撓気郷に大量の灰を降り積もらせ、作物に多大な影響を及ぼしたという。
また、時光が読んだ歴史書によると、四百年ほど前の噴火では、富士山の北部に位置する甲斐国の
自然の力とは人が抗うには余りにも巨大過ぎるものだ。時光はトカプチの山が噴火する危険性があることを、心の片隅に置いておくことを心に決めた。
ちなみに、戦争の行方を火山が決した例は存在する。時光が生きた時代より数百年先のハワイにおける事象だ。現代でもカメハメハ大王で知られる人物がまだ勢力を拡大する前、地盤を固めるべく戦いを続けていたのだが、ある戦いで敵のほとんどがマウナケア山の噴火による溶岩で飲み込まれてしまったとのだ。これにより、カメハメハは自軍を損耗することなく勝利しただけではなく、神の加護を受けていると名声が轟き、ハワイ諸島統一への道を開くことになったのだ。
それはさておき、時光達はフラヌの平原に入る前に、峠に向かう道を封鎖する工作を開始した。道は狭いうえにあまり整備されていない。馬による機動力を最大の利点とするモンゴル軍であるが、この様な環境ではちょっとした妨害工作でも大きな影響を受けることになる。
時光はいくつかの木を切り倒し、道を塞ぐ様に指示した。指示を受けたアイヌの戦士達は手斧を使って切り倒す作業を開始する。アイヌの戦士達は狩人であるが、自らの家は自分自身で建てるし、漁労や交易に使用する舟も自ら作成する。つまり、木こりとしての作業も皆がある程度出来る。
すぐに何本かの木が切り倒され、道を封鎖した。しかし、その際予想外の事態が発生した。
「マズイ! た~お~れ~る~ぞ~!」
「うおっ!? 危ない! 逃げろ!」
ある木が倒れる際、予定していた方向ではなく別の方向に倒れてしまった。しかもそれだけでなく、別の木を巻き込むようにしてだ。
先日の大雨で地盤が緩んでいた事もあったのかもしれない。倒木は連鎖的に広がり、あっという間に一体の木を薙ぎ倒した。
「何やってん……待てよ? ちょうどいい具合に倒れてないか?」
時光の見るところ、倒木の連鎖により予定よりも広範囲で道を塞いでいる。これを除去するのはかなりの苦労があるだろう。これならばプレスター・ジョンの本隊を逃さず、フラヌの平原で撃破する機会を失することは無いだろう。
また、単に広範囲で道を塞いだだけではない。道具によって切り倒すのでなく、他の木で押し倒されているのだが、これは根元に木の弾力による力がかかり続けているという事である。という事は木を除去するために切断したり、上に覆いかぶさった木をどかしたりすると倒れていた木が跳ね上がり、作業していた者が負傷する可能性が生じる。
実際、現代日本においても台風などにより生じた風倒木を除去する際、作業員が負傷、最悪死に至る事も発生している。
もちろん、この時代では作業にあたる様な下層の者の命は安いため、犠牲を気にせず力業で解決する事も可能ではある。しかし、作業効率が悪くなることは必定である。
「ふむ。結果的に良い方向に行ったな。怪我人は幸いいないしな。もうこれ以上封鎖作業をする事も無いだろう。本隊に合流するぞ」
時光は作業にあたっていたアイヌの戦士達をまとめ、ワッサムから南下してプレスター・ジョンを追撃する本隊に合流するべく、北に進路をとった。