第24話「ウペペサンケのサケノンクル」

文字数 4,110文字

 アイヌ戦士団を率いる、ウペペサンケの集落(コタン)を束ねる勇者であるサンケノンクルは、追い詰められていることに気が付いていた。

 サケノンクルはカラプトでのアイヌのコタンを回復させるため、蝦夷ヶ島全土のアイヌのコタンから戦える者を集結させて率いていた。カラプトに侵入したモンゴル軍を撃退するためである。

 
 モンゴル軍以外にも心配事はあった。戦える者が残っていない蝦夷ヶ島各地のコタンで、和人に残留者が誘拐されているという情報が入ったのだ。後方が脅かされていてはまともに戦えないかもしれない。サケノンクルのコタンであるウペペサンケは和人の勢力圏から離れているためか、その様な事態になっているという報告はない。しかし、和人に近い地域にコタンを構える者達はそうはいかない。サケノンクルの片腕とも言うべきイシカリのエコリアチは、一部の戦士を率いて調査に向かってしまった、

 別にそれは無許可という訳ではない。誰もが不安になっているので、それを解消するために動いてくれるというのは、ありがたいことだ。

 しかし、エコリアチが戻る前にサケノンクル達は、モンゴル軍に戦いを挑む必要に駆られる事態となってしまった。現在、カラプトの最南端であり蝦夷ヶ島との連絡のための重要な土地であるシラヌシで、モンゴル軍が城を築いている最中であるとの情報が入った。これを完成されてしまっては、勢力では敵わないアイヌは、二度とカラプトに勢力を伸ばすことは出来ないだろう。何としても城を占拠するか、破却しなくてはならない。

 その様なわけでサケノンクルは戦士団数千人を率いてカラプトに渡り、こうして今、戦っているのだ。

 アイヌの戦士団は、モンゴル軍の実力を完全に把握している訳ではない。カラプトにいたアイヌは、モンゴル軍に鎧袖一触で敗れ去り、蝦夷ヶ島まで追い出されてしまったため、その戦術や装備などについての情報はあまりない。

 その様な状態で決戦を挑むのは、あまりにも無謀であることは人と人との戦いに疎いサケノンクルにも分かる。そのため、当初は情報収集と築城の妨害を兼ねて百人程度の小勢力で戦いを仕掛けたのだ。

 当初はサケノンクル率いるアイヌの戦士団が押しているはずであった。しかし、相手が撤退を始め、それに追撃をかけたあたりで戦いの風向きが変わって来た。

 背後に十ばかりの騎兵が回り込んでいたのだ。恐らく攻撃を仕掛けた正面以外の方向から出撃してきたのだろう。

 複数の方向に監視を配置し、音や狼煙などによる連絡手段は用意していないため、モンゴル軍の騎兵の動きについては全くつかめていなかった。弓などの個人技については優秀でも、戦争というものを理解していなかったアイヌの弱点を突かれた形だ。

 この程度の騎兵なら、アイヌの戦士団本隊に連絡して増援を派遣してもらえば、何という事はない。しかし、サケノンクルが本隊に連絡する手段はないし、本隊に独自に判断して増援を派遣できるような者は残っていない。指揮統制系統は整っていないし、それだけの地位や貫目にある者がいないのだ。

 各地の戦士団は若者が主体であり、コタンの長に就任している様な者はサケノンクルだけである。サケノンクルは偶然、先代の長の体調不良などの要因で長の地位を譲られていたため、丁度良いという事で戦士団長に推薦されたのだ。もちろん、戦いの技術も卓越しており、人格、判断力なども相応しい人物だったからでもあるのだが。

 もし、サケノンクルがコタンの長でなかったら、一体どのようにして戦士団長を選出していたのだろうと考えると、サケノンクルは恐ろしく感じていた。アイヌは、どう考えても組織的に戦うのに向いた民族ではない。今、こうして完全にサケノンクル達の裏をかいて、偽装退却と背後からの奇襲を組織的に実行して見せたモンゴル軍とは違うのだ。こうなると、数百年前の吉里迷(ギレミ)との戦いで、アイヌを支援して勝利に導いてくれた和人に頼れないのが痛い。

 一応サケノンクルに他には、イシカリのエコリアチは戦士としての実力もさることながら、交易などを通じて得た知識などから、大勢を率いる素質がある。しかし、今は報告のあった和人による悪事を調査するために、この場にはいない。本当だったらエコリアチの帰還を待ってから、攻撃を仕掛けたかったのだが、これ以上待っていては城を築かれて敗北する恐れがあったのだから仕方がない。

 他に百人規模の戦士を指揮出来る者がいなかったので、この様な威力偵察に近い任務を、戦士団長であるサケノンクル自身で行わなければならなかったのだ。そして、もしもエコリアチがいてくれたのならば、この任務を任せることが出来たし、この様な危機の際は増援を出撃させる判断が出来たのだが。

 その、増援を派遣するにしても、やり方を間違えると敵の更なる増援で各個撃破されてしまう可能性もあるのだが。

「皆! 下がりながら矢を放て! 城に近い者はそちらから来る歩兵を、それ以外の者は騎兵を狙え! 盾を持っている者は他の者を守れ!」

 戦場の喧騒の中でも良く通る声でサケノンクルが指示を飛ばす。

 退却を開始するが、それは遅々として進まない。少し離れた所にある森までたどり着ければ、騎兵が運用しにくいので何とか振り切れるはずだ。しかし、モンゴル軍の騎兵は軽快に機動しながら次々と弓を放ってくるので、それも中々進まない。モンゴル騎兵はアイヌよりも長い射程の弓や射法をしようしているし、アイヌの射程圏に入って来ても射撃の機会を捉えることが出来ていない。

 モンゴル騎兵の機動は不規則な進路であり、アイヌ側はその動きを予想して射撃を準備することが出来ない。しかも、不規則なようでありながら、皆統制の取れた動きであり、一つの生き物の様であった。

 これこそが、厳しい訓練を積んだ軍隊の真価である。いくら個人技に優れていようと、集団としての訓練をしていないアイヌには真似ができない動きだ。

 進まない撤退戦の指揮をしながら、サケノンクルは内心焦っていた。城に籠るモンゴル軍の勢力よりも、アイヌの戦士団の方が人数では上である。もしもこの戦いで百人が全滅しても、その優位は動かない。しかし、この場でそれを取りまとめるサケノンクルが戦死してしまっては、これまで以上に統制が採れた戦いが出来なくなってしまうので、間違いなく戦争に負けてしまうだろう。まさか、敵もアイヌ側の総大将がこの様な小勢に混じっているとは、思いもしないだろう。

 モンゴル軍の歩兵も更に距離を詰めてきたことにより、更に攻撃が激しくなった。そのため、アイヌの戦士団の撤退速度も更に遅くなり、サケノンクルは戦死を覚悟した。こうなると願いは、エコリアチが出来るだけ早期に帰還して、残った戦士団を指揮してくれることである。

 その時であった。

「やあやあ! 遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我こそは相模国(さがみのくに)撓気郷(たわけごう)の撓気十四郎時光である! アイヌの勇敢な戦士達よ! (いにしえ)からの友誼により助太刀いたす!」

 海の方から蛮声が響いて来た。混乱しながらそちらの方を見ると、金属鎧を身に纏った重騎兵が矢を番えながら、モンゴル騎兵に向かって駆けて来るのが見えた。鎧の形式から新たに現れた騎兵は和人の武士であることがサケノンクルには分かった。その後ろには、アイヌの男達が走ってついて来るのが見える。その中にはエコリアチも含まれている。

 エコリアチが和人の援軍を連れて来てくれたのだ。

「先ずは貴様だ! はぁっ!」

 撓気時光と名乗った男は、モンゴル騎兵の弓の有効射程距離に入る前に、番えた矢を解き放ち、たちまち騎兵を一人討ち取った。恐るべき弓の冴えである。

「次はそっちだ!」

 矢継ぎ早に矢を放ち、モンゴル騎兵が立ち直る暇もなく二人目を射殺する。ここでモンゴル騎兵は突然の増援への衝撃から立ち直り、新たに現れた敵への対応を開始する。

 当然のことながら、重装備の撓気時光より軽装のモンゴル騎兵の方が機動力は上である。そのため、撓気時光の弓の射程よりも離れた状態を維持するように動き、直接狙うのではなく集団で上方に矢を放ち、点ではなく面の射撃で撓気時光を討ち取らんと戦闘を開始した。

 一方的に攻撃される状況でも、撓気時光は焦らなかった。モンゴル騎兵の矢は範囲を制圧するが、空気抵抗により威力が弱まっている。そのため、大鎧の強固な部分は貫くことはなかったし、弱い部分にあたりそうな矢は撓気時光の抜いた太刀で弾き落された。

 また、モンゴル騎兵には劣るとはいえ、騎兵である。矢の制圧する範囲から回避するような機動を続けることで、撓気時光に当たる様な矢は最小限に抑えられた。

「あれは一体……?」

「あれは、和人の将軍、タワケトキミツだ。日本の幕府がモンゴルの動きを探るために遣わしてきたらしい」

「おお! エコリアチ! 戻ってきてくれて嬉しいぞ! 誘拐事件は解決したのか?」

「ああ。そして、解決に尽力してくれたのが、タワケトキミツなのだ。もしも協力が得られていなかったら、今頃俺の方が負けていただろう」

 急に現れた謎の増援に、混乱気味のサケノンクルに、エコリアチが状況を知らせに来た。

 エコリアチが連れてきたイシカリの集落の戦士団は、モンゴルの歩兵に横から奇襲の矢を一斉に浴びせ、混乱状態に陥らせている。

 エコリアチのいう事なら間違いないと考えたサケノンクルは、アイヌの戦士団にこの隙を逃さずに撤退を命じる。

 敵も、アイヌの戦士団を追わなかった。急に強力な増援が出現したことで警戒し、更なる戦力を城から出撃させて戦力を損耗させることを避けたのだろう。モンゴル軍の騎兵も歩兵も、列を乱さずに撤収していく。勝ち戦に横やりを刺され、混乱状態にあったはずなのに壊乱しないのは、恐るべき統制の取れようであった。

「俺の名は、さっきも名乗ったが、撓気時光。見ての通り日本の武士だ。これから船に戻るがすぐに合流するつもりだ。さらば!」

 軽く挨拶をして、颯爽と去って行く撓気時光の姿を見送りながら、サケノンクルは古の和人の将軍であるアベノフラフの事を思い出していた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み