第63話「村の行」
文字数 2,635文字
プレスター・ジョンから賠償請求を受けた時光は、これを話し合いの機会と捉えて敵地に赴くことにした。
賠償に充てるのは、ボコベー城に運び込んで貯蔵していた様々な物資だ。鮭や熊の皮といった狩猟により得られた物や、時光が実家から運び込んだ日本刀などである。この時代、これから向かう地を支配していた元王朝においては、通貨として交鈔 と呼ばれる紙幣等が使用されているのだが、流石にその様な物を時光達は所有していない。通貨を持っていない以上物で支払うしかないのだ。
大陸に向かう手段は船である。カラプト島と大陸を隔てる海峡は、冬には氷に覆われて歩いて渡れるのだが、流石に初夏では氷など残っていない。カラプト島に住むニヴフやアイヌといった民族も、海が凍っていない時は船を使って交易するのである。
ニヴフ達が用意してくれた船はそれなりに立派で、重量と容積のある賠償の品を積んでも安定して海を渡ることが出来た。
海を船で渡っている時、少人数の武士を乗せた船によって大陸の沿岸部を不規則に攻撃すれば、いかに大陸の国家が強力であっても対処しきれず、日本に攻撃する余力をなくしてしまうのではないかなどと時光は考えた。少々時代を先取りした発想であり、こちらから先制的に異国を攻撃するのは時光といえども躊躇われたが、一応主である北条時宗に進言してみようかと思うのだった。
時光達が海を渡り終え、対岸のワシブニに到着すると、蒙古の兵士が案内のために待機していた。彼らの用意した荷車に荷物を載せ、相手の本拠地であるヌルガン城を目指すことになる。
この際時光は、蒙古兵の用意していた馬に騎乗することになった。時光は本来零細御家人の十四男に過ぎないが、この地においては日本の最高権力者である執権の命令で動いており、現地の民にも祭り上げられている存在だ。
敵に取っても時光は一応尊重の対象であるらしく、士大夫扱いをしてくれているのだろう。
時光は馬上で揺られながら周囲の景色を眺めていた。ヌルガン城に続く道は一度通過しているものの、当時は冬で一面白銀の世界であり、しかも敵に探知されないように少し道から外れて行動していた。その様な緊張状態と違い、落ち着いた状況で旅をしていると周囲の自然の美しさが目に留まるのだった。
雄大な自然に囲まれていると、心が落ち着き何故だか懐かしさを感じて来る。時光の故郷である相模国と、大陸……しかも北の果てでは相当風景が違うのだが、不思議と似ているように感じ郷愁を誘うのであった。何か根本で同じ部分があるのかもしれない。
馬穿山径竹初黄 (馬は山の径を穿ちゆき竹は初めて黄ばむ)
信馬悠悠野興長 (馬にまかせて悠々と野興長し)
萬谿壑有聲含籟 (万の谷 声有りて ゆうべの響きを含み)
數峰無語立斜陽 (数峰 ことば無くして斜陽に立つ)
棠梨葉落胭脂色 (棠梨の葉は落とす胭脂 の色)
蕎麥花開白雪香 (蕎麦の花は開く白雪の香)
何事吟餘忽惆悵 (何事ぞ吟ぜし余 に忽ち惆悵 するや)
村橋原樹似吾郷 (村の橋と原の樹と吾 が郷に似たり)
休憩をしている時、漢詩が時光の口をついて出た。数百年前の宋王朝初期の時代を生きていた詩人の作である。時光の実家が収集した詩集の中にこの漢詩が含まれており、何となくこの詩を思い出したのだ。
「王禹偁 の詩か。良く知っているではないか」
時光の詩に反応する声が遠くから響いた。声を発した者はまだ遠くにおり、それ程大声を張り上げている訳ではないのだが、良く通る声である。しばらくすると、宋王朝風の漢服を着た壮年の男が供を従えて現れた。
言葉は漢語である。
「これは失礼。名乗ってませんでしたな。私は劉学崇と申す者。プレスター・ジョンの下で軍を率いる時にはウリエルと呼ばれている」
「おお。そうでしたか。拙者は撓気十四郎時光 。一応カラプトと蝦夷ヶ島の連合軍の代表のようなものをしている」
時光も漢語で挨拶を返した。この時代の日本にとって漢語は知識人の必須教養である。時光は武士であり公家や僧侶の様に知識を生業とする者ではないが、立身出世の役に立てばと漢語を習得しており、それが今役に立ったのだ。
「王禹偁は左遷され、任地に赴く途中で今の詩を詠んだと言うが、さて、貴方もこの様な北の地に派遣されたのは、左遷という事ですかな?」
「さあ、どうでしょう? 主の命令に応えて遠方に赴くのに、左遷だとかそうでないだとか、考えたことも無い。ただこんな異郷の地なのに何となく故郷と同じ感覚がすると思っただけだ」
「左様か。いや気を悪くしないでくれ。左遷だとか揶揄するつもりはなかったのだ。ただ、我が滅びゆく我が故郷の詩を知るものがいて、それが何と異国の民であるという事が何となく嬉しくて、ついつい軽口を叩いてしまった」
「別に気など悪くしてはいない。ところでウリエル殿がここから先の案内という事でよろしいですかな?」
「その通り。まあ道など先刻承知でしょうが」
時光は半年前、目的地であるヌルガン城を急襲し、一時的に城を陥落させて占領し、更には包囲して来たプレスター・ジョンの部隊を爆殺したのだ。案内など無くてもたどり着くことはできる。
「ふっ。あの時は無我夢中で道順などあまり覚えてはいませんよ。それに景色も様変わりしましたからね」
時光はウリエルの問いかけの中に、探りを入れているのを感じた。今回の交渉が上手くいかなければ当然戦いが再開される。それを考慮すると、相手としては当然敵の指揮官たる時光の能力を知りたいところであろう。
ならば対応としてはなるべく手の内を晒さないようにしなければならない。間違っても道は全部覚えているとか、能力を誇示するような事は避けねばならない。
「そうですか。そう言えばガウリイル殿が時光殿が来るのを待っていましたよ」
「本当か?! ……っと」
つい食いついて感情を晒してしまった事を時光は反省した。ガウリイルは何度か戦った女騎士であり、時光は彼女の事が何かと気になっていた。ほとんど素顔を見たことがなく、基本的に円筒形の――日本人である時光からすれば奇妙であり美的にもどうかと思う――金属兜を被っているのだが、気になるものは仕方がない。
「ははは。そちらも気になっているようですな。城に行けば会えますよ」
時光の胸の内を見透かすようにウリエルは笑った。
複雑な感情を秘めたまま、時光はウリエルの案内でヌルガン城に向かうのだった。
賠償に充てるのは、ボコベー城に運び込んで貯蔵していた様々な物資だ。鮭や熊の皮といった狩猟により得られた物や、時光が実家から運び込んだ日本刀などである。この時代、これから向かう地を支配していた元王朝においては、通貨として
大陸に向かう手段は船である。カラプト島と大陸を隔てる海峡は、冬には氷に覆われて歩いて渡れるのだが、流石に初夏では氷など残っていない。カラプト島に住むニヴフやアイヌといった民族も、海が凍っていない時は船を使って交易するのである。
ニヴフ達が用意してくれた船はそれなりに立派で、重量と容積のある賠償の品を積んでも安定して海を渡ることが出来た。
海を船で渡っている時、少人数の武士を乗せた船によって大陸の沿岸部を不規則に攻撃すれば、いかに大陸の国家が強力であっても対処しきれず、日本に攻撃する余力をなくしてしまうのではないかなどと時光は考えた。少々時代を先取りした発想であり、こちらから先制的に異国を攻撃するのは時光といえども躊躇われたが、一応主である北条時宗に進言してみようかと思うのだった。
時光達が海を渡り終え、対岸のワシブニに到着すると、蒙古の兵士が案内のために待機していた。彼らの用意した荷車に荷物を載せ、相手の本拠地であるヌルガン城を目指すことになる。
この際時光は、蒙古兵の用意していた馬に騎乗することになった。時光は本来零細御家人の十四男に過ぎないが、この地においては日本の最高権力者である執権の命令で動いており、現地の民にも祭り上げられている存在だ。
敵に取っても時光は一応尊重の対象であるらしく、士大夫扱いをしてくれているのだろう。
時光は馬上で揺られながら周囲の景色を眺めていた。ヌルガン城に続く道は一度通過しているものの、当時は冬で一面白銀の世界であり、しかも敵に探知されないように少し道から外れて行動していた。その様な緊張状態と違い、落ち着いた状況で旅をしていると周囲の自然の美しさが目に留まるのだった。
雄大な自然に囲まれていると、心が落ち着き何故だか懐かしさを感じて来る。時光の故郷である相模国と、大陸……しかも北の果てでは相当風景が違うのだが、不思議と似ているように感じ郷愁を誘うのであった。何か根本で同じ部分があるのかもしれない。
馬穿山径竹初黄 (馬は山の径を穿ちゆき竹は初めて黄ばむ)
信馬悠悠野興長 (馬にまかせて悠々と野興長し)
萬谿壑有聲含籟 (万の谷 声有りて ゆうべの響きを含み)
數峰無語立斜陽 (数峰 ことば無くして斜陽に立つ)
棠梨葉落胭脂色 (棠梨の葉は落とす
蕎麥花開白雪香 (蕎麦の花は開く白雪の香)
何事吟餘忽惆悵 (何事ぞ吟ぜし
村橋原樹似吾郷 (村の橋と原の樹と
休憩をしている時、漢詩が時光の口をついて出た。数百年前の宋王朝初期の時代を生きていた詩人の作である。時光の実家が収集した詩集の中にこの漢詩が含まれており、何となくこの詩を思い出したのだ。
「
時光の詩に反応する声が遠くから響いた。声を発した者はまだ遠くにおり、それ程大声を張り上げている訳ではないのだが、良く通る声である。しばらくすると、宋王朝風の漢服を着た壮年の男が供を従えて現れた。
言葉は漢語である。
「これは失礼。名乗ってませんでしたな。私は劉学崇と申す者。プレスター・ジョンの下で軍を率いる時にはウリエルと呼ばれている」
「おお。そうでしたか。拙者は
時光も漢語で挨拶を返した。この時代の日本にとって漢語は知識人の必須教養である。時光は武士であり公家や僧侶の様に知識を生業とする者ではないが、立身出世の役に立てばと漢語を習得しており、それが今役に立ったのだ。
「王禹偁は左遷され、任地に赴く途中で今の詩を詠んだと言うが、さて、貴方もこの様な北の地に派遣されたのは、左遷という事ですかな?」
「さあ、どうでしょう? 主の命令に応えて遠方に赴くのに、左遷だとかそうでないだとか、考えたことも無い。ただこんな異郷の地なのに何となく故郷と同じ感覚がすると思っただけだ」
「左様か。いや気を悪くしないでくれ。左遷だとか揶揄するつもりはなかったのだ。ただ、我が滅びゆく我が故郷の詩を知るものがいて、それが何と異国の民であるという事が何となく嬉しくて、ついつい軽口を叩いてしまった」
「別に気など悪くしてはいない。ところでウリエル殿がここから先の案内という事でよろしいですかな?」
「その通り。まあ道など先刻承知でしょうが」
時光は半年前、目的地であるヌルガン城を急襲し、一時的に城を陥落させて占領し、更には包囲して来たプレスター・ジョンの部隊を爆殺したのだ。案内など無くてもたどり着くことはできる。
「ふっ。あの時は無我夢中で道順などあまり覚えてはいませんよ。それに景色も様変わりしましたからね」
時光はウリエルの問いかけの中に、探りを入れているのを感じた。今回の交渉が上手くいかなければ当然戦いが再開される。それを考慮すると、相手としては当然敵の指揮官たる時光の能力を知りたいところであろう。
ならば対応としてはなるべく手の内を晒さないようにしなければならない。間違っても道は全部覚えているとか、能力を誇示するような事は避けねばならない。
「そうですか。そう言えばガウリイル殿が時光殿が来るのを待っていましたよ」
「本当か?! ……っと」
つい食いついて感情を晒してしまった事を時光は反省した。ガウリイルは何度か戦った女騎士であり、時光は彼女の事が何かと気になっていた。ほとんど素顔を見たことがなく、基本的に円筒形の――日本人である時光からすれば奇妙であり美的にもどうかと思う――金属兜を被っているのだが、気になるものは仕方がない。
「ははは。そちらも気になっているようですな。城に行けば会えますよ」
時光の胸の内を見透かすようにウリエルは笑った。
複雑な感情を秘めたまま、時光はウリエルの案内でヌルガン城に向かうのだった。