第58話「武士は相身互い?」
文字数 2,205文字
時光が目覚めたのは見知らぬ波打ち際であった。丁度氷が途切れて海面が露出している部分であり、震天雷の大爆発により生じた氷の亀裂から海中に没した時光は、その部分から地上に戻ることが出来たのだ。途中経過の記憶は全くないのだが。
周囲には味方も敵もおらず、戦場からはかなり離れてしまったようである。海流でかなり流されてしまったようだ。
時光は大鎧を身に付けた完全武装である。その状態で海に沈んで地上にたどり着けたのは僥倖である。時光は一応武装状態での水練は積んでいるので、助かるだけの技術は持っているのだが、訓練とは違って負傷状態かつ緊急に水に入ったのだ。助かったのは幸運であろう。
重い体を何とか起こして状況を確認しようとした時光は、自分が何かを握っているのに気が付いた。
握っているのは金属製の籠手である。
別に籠手だけという訳ではなく、中身もある。そこに居たのは時光の命を狙う女騎士のガウリイルであった。
彼女は時光と同じく完全武装である。鎖帷子 や円筒形の金属兜は大鎧と比べても水泳には向いていない筈なので、助かったのは奇跡である。手を握っていることから予想するに、少しは余裕のあった時光が無我夢中で助けたのかもしれない。
そんな事を考えていた時光だったが、のっぴきならない事態が迫っているのに気が付いた。
寒いのである。
氷に覆われた水の中を泳いできたのだから、体温が下がっているのは当然のことである。また、鎧の下に着込んだ服に染み込んだ水分は、今も時光から温もりを奪っていく。このままでは凍えて死んでしまうだろう。
時光は即座に行動を開始した。
先ず、気絶したままのガウリイルを抱えると、近くに積もった雪の中に放り込んだ。柔らかな新雪はガウリイルの体を包み込み、衝撃で粉雪が舞い上がった。更に時光自らも雪の中に飛び込んだ。
「本当に乾くんだな……」
先ほど氷上で戦っていた時、友人のオピポーが寒冷地で水に濡れた時に助かる方法について語っていた。北方の狩猟民たちは乾いた雪の中に埋もれることで水分を吸い取り、濡れた水による凍傷や低体温を防ぐ知恵を持っているのだという。時光はとっさにそれを真似したのだ。
水分が十分に除去できた事を感じた時光は、ガウリイルを雪の中から抱き起こし、その安否を確認した。
華やかさに欠ける円筒形の金属兜を外すと、美しい金髪の端正な顔が現れる。呼吸はしていない。
時光は息を吹き返させるための応急手当を開始した。ガウリイルはついさっきまで敵であり、時光の命を狙ってきた危険な人物である。それなのになぜ助ける気になったのかは分からないし、意識もしなかった。
なお、この時代には人工呼吸の技法などは存在していない。当然マウストゥーマウス法などは時光の知識に無い。そのため時光はガウリイルの頬を張ったり、水を吐かせるために腹部を鎧の上から殴打したりと乱暴な手段に出た。
あまり美しい光景とは言えない。
しかし、時光の応急処理の甲斐があったのか、ガウリイルは水を吐きだし呻き声を上げた。意識は戻っていないようだが危機は脱したと言えるだろう。
ひとまずの危機を脱した時光達だが、まだ凍死の危険が失われた訳ではない。日は西に沈もうとしており、辺りは夕闇が迫っている。このままでは朝を迎える前に夜の冷気で死んでしまう可能性が高い。
時光は腰に佩いた太刀を鞘ごと外すと、それを使って地面の雪を除去し、現れた地面を掘り返し始めた。地面は凍り付いているが、意に介さず力の限り掘り進む。半刻もしない内に身を寄せ合えば二人ほど入ることの出来る穴が掘り上がる。
時光はガウリイルから上衣 を剥ぎ取ると、ガウリイルを穴に投げ入れ、更に穴の周囲に雪で壁を作った。その後自らも穴に入り、その穴の上をガウリイルから奪い取ったサーコートで蓋をする。
こうすると雪の壁で冷たい風は防がれ、サーコートの蓋により穴の中に熱がこもり始める。また、地中は雪に直接触れるよりも温かいため、体から奪われる熱は少量で済む。
これで何とか朝まで持ちこたえることが出来そうだ。
なお、こういう場合――若い男女が雪の中で凍えそうな時は服を脱いで人肌で体を温め合うのが物語の定番かもしれないが、これは実際にはお勧めできる方法ではない。一応服が濡れている場合は脱いだ方が良い場合もあるが、当然すぐに乾いた着替えを身に付けた方が体温低下を防止できる。人肌の温かさなどに頼らなくてはならないような状況はあまりないだろう。そして、時光の処置により服は乾いているのだからわざわざ脱ぐ必要など何処にもないのだ。
「ふう……何で助けたんだろう?」
ひとまず命の危機を脱して一息ついた時光は、敵であるガウリイルを助けた自らの行いに疑問を抱いた。
彼女は敵の幹部であり、数年前は騎士を率いてカラプトに侵攻して来た。そして、その恐るべき戦闘能力により時光が味方しているアイヌの戦士団を打ち破り、時光も生死の狭間を彷徨った。最終的に勝つことが出来たものの、恐ろしい相手であった事には変わりがない。
更には時光に敗北したことを根に持っているらしく、ガウリイルは時光の事を名指しで殺しにかかって来た。これではいくら命があっても足りないだろう。
「まあ、武士は相見互いという奴か」
時光は自分を無理矢理納得させると、それまで抑えていた疲労が急に暴れだし、深い眠りに落ちて行った。
周囲には味方も敵もおらず、戦場からはかなり離れてしまったようである。海流でかなり流されてしまったようだ。
時光は大鎧を身に付けた完全武装である。その状態で海に沈んで地上にたどり着けたのは僥倖である。時光は一応武装状態での水練は積んでいるので、助かるだけの技術は持っているのだが、訓練とは違って負傷状態かつ緊急に水に入ったのだ。助かったのは幸運であろう。
重い体を何とか起こして状況を確認しようとした時光は、自分が何かを握っているのに気が付いた。
握っているのは金属製の籠手である。
別に籠手だけという訳ではなく、中身もある。そこに居たのは時光の命を狙う女騎士のガウリイルであった。
彼女は時光と同じく完全武装である。
そんな事を考えていた時光だったが、のっぴきならない事態が迫っているのに気が付いた。
寒いのである。
氷に覆われた水の中を泳いできたのだから、体温が下がっているのは当然のことである。また、鎧の下に着込んだ服に染み込んだ水分は、今も時光から温もりを奪っていく。このままでは凍えて死んでしまうだろう。
時光は即座に行動を開始した。
先ず、気絶したままのガウリイルを抱えると、近くに積もった雪の中に放り込んだ。柔らかな新雪はガウリイルの体を包み込み、衝撃で粉雪が舞い上がった。更に時光自らも雪の中に飛び込んだ。
「本当に乾くんだな……」
先ほど氷上で戦っていた時、友人のオピポーが寒冷地で水に濡れた時に助かる方法について語っていた。北方の狩猟民たちは乾いた雪の中に埋もれることで水分を吸い取り、濡れた水による凍傷や低体温を防ぐ知恵を持っているのだという。時光はとっさにそれを真似したのだ。
水分が十分に除去できた事を感じた時光は、ガウリイルを雪の中から抱き起こし、その安否を確認した。
華やかさに欠ける円筒形の金属兜を外すと、美しい金髪の端正な顔が現れる。呼吸はしていない。
時光は息を吹き返させるための応急手当を開始した。ガウリイルはついさっきまで敵であり、時光の命を狙ってきた危険な人物である。それなのになぜ助ける気になったのかは分からないし、意識もしなかった。
なお、この時代には人工呼吸の技法などは存在していない。当然マウストゥーマウス法などは時光の知識に無い。そのため時光はガウリイルの頬を張ったり、水を吐かせるために腹部を鎧の上から殴打したりと乱暴な手段に出た。
あまり美しい光景とは言えない。
しかし、時光の応急処理の甲斐があったのか、ガウリイルは水を吐きだし呻き声を上げた。意識は戻っていないようだが危機は脱したと言えるだろう。
ひとまずの危機を脱した時光達だが、まだ凍死の危険が失われた訳ではない。日は西に沈もうとしており、辺りは夕闇が迫っている。このままでは朝を迎える前に夜の冷気で死んでしまう可能性が高い。
時光は腰に佩いた太刀を鞘ごと外すと、それを使って地面の雪を除去し、現れた地面を掘り返し始めた。地面は凍り付いているが、意に介さず力の限り掘り進む。半刻もしない内に身を寄せ合えば二人ほど入ることの出来る穴が掘り上がる。
時光はガウリイルから
こうすると雪の壁で冷たい風は防がれ、サーコートの蓋により穴の中に熱がこもり始める。また、地中は雪に直接触れるよりも温かいため、体から奪われる熱は少量で済む。
これで何とか朝まで持ちこたえることが出来そうだ。
なお、こういう場合――若い男女が雪の中で凍えそうな時は服を脱いで人肌で体を温め合うのが物語の定番かもしれないが、これは実際にはお勧めできる方法ではない。一応服が濡れている場合は脱いだ方が良い場合もあるが、当然すぐに乾いた着替えを身に付けた方が体温低下を防止できる。人肌の温かさなどに頼らなくてはならないような状況はあまりないだろう。そして、時光の処置により服は乾いているのだからわざわざ脱ぐ必要など何処にもないのだ。
「ふう……何で助けたんだろう?」
ひとまず命の危機を脱して一息ついた時光は、敵であるガウリイルを助けた自らの行いに疑問を抱いた。
彼女は敵の幹部であり、数年前は騎士を率いてカラプトに侵攻して来た。そして、その恐るべき戦闘能力により時光が味方しているアイヌの戦士団を打ち破り、時光も生死の狭間を彷徨った。最終的に勝つことが出来たものの、恐ろしい相手であった事には変わりがない。
更には時光に敗北したことを根に持っているらしく、ガウリイルは時光の事を名指しで殺しにかかって来た。これではいくら命があっても足りないだろう。
「まあ、武士は相見互いという奴か」
時光は自分を無理矢理納得させると、それまで抑えていた疲労が急に暴れだし、深い眠りに落ちて行った。