第48話「ヌルガンの戦い」

文字数 2,651文字

 元王朝北東部における重要な軍事拠点であるヌルガン城は、その日の昼から騒然としており、兵卒のオートカもずっと緊張状態にあった。

 少し前からこの城の主であるタシアラ――城の上層部は彼の事を()()()()()()()()()と呼んでいた――が主力を率いて海を隔てたカラプト島に遠征に行っている。残るのは留守と兵站支援を任された数百人の兵士だけである。その様な状態のときに、近くに見慣れない軍勢が現れたというのだった。

 城の外を見回って来て、この情報が城内に伝えられてから一挙に厳戒態勢となった。戦争中ではあるが、まさかこちらの拠点が攻め込まれるなど、オートカには予想もしていなかった。よくよく考えてみれば、この冬の季節はカラプトと大陸が氷によって地続きとなる。あちらからだって攻め放題という訳だ。夏は船で、冬は犬ぞりか徒歩で往来する、これはニヴフ人であるオートカにとっては至極当然のことであり、同じ民族であるカラプトのニヴフもその様に考えて逆襲してきたのだろう。

 ただ、オートカにとって疑問な事がある。城の上層部たちは、侵攻してきた勢力を戦争状態にあるカラプトの住民とは断定していないという事だ。一兵卒にしか過ぎないオートカにとっては、カラプトと交戦中なのだから現れた敵はカラプトの連中だとしか思えないのだが、偉い人達はそうではないらしい。

「まさかフビライが……?」

 上官たちのひそひそ話に、しばしば登場するフビライという人物は、この地域も支配する元王朝の皇帝だという事は、オートカも知っている。その一番偉い人物が何故自分の城に兵を差し向ける必要があるのか、この城に雇われるまで一介の狩人であったオートカには分からなかった。

 偉い人達の人間関係は、色々と複雑らしい。何しろこの城に駐屯する兵士は、この国の支配階級であるモンゴル人だけではなく、漢人、女直人、更には西方から来たという肌が白かったり逆に浅黒い者まで居るのだから。

 一応、出現した敵はカラプトから来たのではないかという意見もあったが、この極寒の地では獣皮の上衣を誰もが上に羽織る。再度斥侯を出したのであるが吹雪いて来たせいもあり、見分けはつけられなかった。そして、斥侯の報告によると、森の木を切り倒し、攻城兵器を作っているらしい。

「攻城兵器が完成する前に撃って出るべし!」

 その様な威勢のいい意見も出たが、賛同は得られなかった。戦闘技術に秀でた者は、皆出陣中である。精鋭であることが予想される敵の尖兵に、野戦で勝てる自信のある者は少数だった。

 結局、出撃中の本隊に救援を求め、城は守りを固めることになった。攻城兵器の工作には時間がかかる。運が良ければ城攻めが始まる前に援軍が到着すると予想された。

 しかし、その日の夜に異変が起きた。

「おい! あの火の手。何処かの村が燃えているんじゃないか?」

 見張りの報告が各員に伝えられ、皆が起きてきて城壁に並ぶ。見張りが言う通り、遠くで火の手が上がっており何かが騒ぎ立てる音が聞こえて来る。かなり離れているのだが、夜の静けさは昼間よりも音を増幅させる。

「あの方向、何処かのニヴフの村がある方か?」

 オートカの独り言に、同じくニヴフ出身の兵士が心配そうな顔をした。この辺りは複数の民族が入り混じって生活しているので、正確に場所が分からない以上、本当にニヴフの村かは分からない。しかし、同朋の村が燃えているかもしれないと考えただけで不安になるのは仕方のない事だ。

 助けに行くべきと進言するべきか兵士たちが迷っていると、更なる事態が発生する。城に向かって何者かが息を切らして走ってきたのだ。それを追いかけて来る複数の人影もあった。

「た、助けてくれ! 村がっ! むらぐぁぁぁ!」

 走ってきた男はニヴフの言葉で叫んでいたが、全てを言い終えることは出来なかった。追跡してきた者達が矢を放ったのだろう。走ってきた勢いにより地面を転がるようにして崩れ落ちた。折ってきた男達は、倒れた男に勝利の歓声を上げて近づくと、足を抱えて引きずりながら去って行ってしまった。

「助けに行きましょう! 村が燃やされているんですよ!」

 ニヴフ人の兵士の一人が、指揮官に向かって激しい口調で進言した。

 この辺りの治安はヌルガンに駐屯する軍が担っている。だからこそ税も支払うし、オートカ達の様に若い男を兵士として差し出しているのだ。もし、危機にあって何の手助けもしなければ、今後この地域における支配に支障をきたすかもしれない。特にモンゴルがこの地域を支配してからまだ十年程度なのだ。

「分かった。騎兵中心で一気に追い散らすとしよう。だが、本格的に戦ってはならん。良いな?」

 モンゴル人の指揮官は少し悩んだようだったが、結局救援に向かう事に決めた。

 騎兵中心の戦闘という事で、モンゴル人や女直人兵士が主体となって出撃部隊が編制された。馬に乗る文化で育ってないオートカは残留組である。

 オートカは先ほどの光景を目撃した時に何か違和感があったのだが、それをはっきりと言語化することが出来ず、結局何も進言することが出来なかった。一兵卒という事もあり見送るしかなかった。

 救援部隊が出陣してからしばらく経過した。

 もうすぐ明るくなる頃、遠くから大勢の者達が列を作って城に向かって来る。戦闘の指揮官らしきものは騎乗しているが、それよりも後ろの者たちは馬に人間を荷物の様に積み、徒歩で馬を引いて歩いている。どうやら負傷した仲間か捕虜を馬に乗せているようだ。

「あの様子じゃ大勝したらしいな」

「そりゃあいい。籠城する必要も無くなったか?」

 敵を打ち破り堂々と凱旋してきた味方を見て、城内は湧き立ち、敵の出現で落ち込んでいた士気が一気に回復した。

「開門!」

 城門までやってきた時、指揮官の後ろに控えていた者がモンゴル語で叫んだ。

 門を速やかに開くと、オートカ達残留兵は出迎えに行き、整列して味方の入城を待った。

「出迎えご苦労! そして死ね! ああ、降伏は認めるからその意思のある者は武器を捨てろ! おや? ニヴフ人も働いているのか。お前たちも降伏しろ。俺のニヴフ語、分かるか?」

 入城してきた兵士たちは出迎えた兵士の虚をついて武器を向け、対応する間もなく降伏させた。

 入って来た指揮官のカラプト訛りの酷いニヴフ語を聞き、手にした槍を捨てながらオートカは思った。あの時感じた違和感は、逃げて来た者のニヴフ語がカラプト訛りを感じさせるものであったのだ。

 気が付いた時にはもう遅かったのだが。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み