第72話「蝦夷ヶ島の危機」

文字数 2,255文字

 時光達がヤムワッカナイに到着した時、モンゴル軍が侵入して集落のあちこちに火を放っていた。蝦夷ヶ島に住むアイヌ達の内、戦うのに適した年齢の男衆はそのほとんどがカラプトに集められていたため、ヤムワッカナイの集落にはモンゴル軍に対抗できる戦力はいなかったようだ。ほとんど一方的にやられており、まともに抵抗できていない。

 ヤムワッカナイはカラプトに渡る為の重要拠点であり、カラプトに蝦夷ヶ島全域から集められた物資を輸送するため、それなりの成人男子が残っていたのだが、それでも戦闘組織としての練度が格段に上のモンゴル軍には敵わないようだ。

 とは言え、集落に侵攻していたモンゴル軍の勢力は数百程度であった。時光が率いて来た蝦夷ヶ島とカラプトの戦士達は一万を超える。例え、船で海を超えて来る最中であるため、ヤムワッカナイに到着するのが逐次であり前線力が到着するのはかなり後であろうとも、時光達の勝利は揺るがない。

 時光達が海から上陸してきたのに気が付いたモンゴル軍は、交戦することなく退却してしまった。かなり思い切りの良い事である。一見臆病な様であるが、戦ってみて劣勢になってからではもう遅い。

 加えて、軍隊というものは予想外の敵に弱いものだ。モンゴル軍の任務はおそらくヤムワッカナイの占領、若しくは集積された物資の略奪及び奪取であろう。相手にするのはヤムワッカナイにいるアイヌの少数の若い男か老人や女子供だけであったのに、蝦夷ヶ島やカラプトの全土から集められた精鋭の戦士が急に出現したのだから、必要以上に警戒するのは当然と言えよう。

「お主、トキミツ殿か? 助かった。ありがたい」

 モンゴル軍が撤収した後、集落を見回る時光にアイヌの老人が話しかけて来た。時光には見覚えがある。このヤムワッカナイの集落の長である。

「助けたと言うほどではありませんが、ひとまず敵が去ってくれて被害が広がらないで良かった。上陸した者から消火活動に参加するように指示しているので、すぐに火の手もおさまるだろう」

「うむ。そうしてくれるとありがたい。集落のあちこちにカラプトに送る為の食料などが保管されているので、これが全部燃えたら大変なところであった」

 アイヌの集落は木造であり、茅などが使われているので非常に燃えやすい。しかし、大規模な建造物は基本的にはないため、海水を汲んでくれは消火活動は十分可能だし、手遅れな場合でも周囲の燃えやすい物を破壊して延焼を食い止めることはできる。

 時光が上陸して来て一刻も経たないうちに火事は全て収まった。

「長よ。どの様にしてモンゴル軍がここまで攻め込んできたのか教えて欲しい。大体予想はつくんだが、正確なことが知りたい」

 事態が収まって、長の家に主要な人員が集まり今後の方針が話し合われることになった。そして今後の方針を定めるためには、先ずは状況の整理が必要である。

 長の言うには、数週間前に、モンゴル軍が大船団でイシカリ地域の沿岸に上陸し、各地の集落を占領しながら勢力を東に向かって伸ばしているという事だ。アイヌの戦士は皆カラプトに招集されていたため、集落には戦闘要員は残っていなかった。そのため蝦夷ヶ島の西部の集落はあっという間に占領されてしまったのだった。集落の民は速やかに逃げ出したため被害は出なかったのが幸いである。

 イシカリの平野部を占領したのを皮切りに、東はイクスンペツの山々を超えてフラヌの盆地を勢力に治め、北はカムイコタン、ナイオロ、ポロヌプを超えて、蝦夷ヶ島の最北端であるこのヤムワッカナイの集落まで攻め込んできたという事だ。

 蝦夷ヶ島の東の島々に住むアイヌ達がまだ移動中で、蝦夷ヶ島の東部に残っていたためにクテクウシ等の東部地域はまだモンゴル軍の手に落ちていないが、戦力差があり過ぎるため勝敗が決するのは時間の問題だとも言う。

 これらの情報がヤムワッカナイの集落まで届けられ、蝦夷ヶ島とカラプトの戦力が集中しているボコベー城に伝えようとしたところで、先ほどの襲撃があったらしい。

 時光はこれらの話を聞いて、ボコベー城を引き払って全力で蝦夷ヶ島に進軍して良かったと内心ほっとした。全戦力を率いて南下したのは、明確な情報があっての事ではなく、もしかしたらその選択は間違っていた可能性もあった。しかし、現在入手した情報から考えると、情報が入ってから行動したのでは手遅れになっていた可能性が大である。と言うよりも現在もギリギリ持ちこたえただけと言っても過言ではない。

 恐らくテイネの金や、イクスンペツから採掘できる燃える石はプレスター・ジョンの手に落ちたと言っても良いだろう。また、プレスター・ジョンはこれで満足するとは思えない。金などの豊富な資源は蝦夷ヶ島の全土に眠っていることは、以前侵入していたモンゴル軍の間諜の調査で判明している。

 蝦夷ヶ島の全資源をその手に治めることで、その資源を元手にモンゴル帝国各地のキリスト教徒を集めて戦力化し、日本も占領して最終的にはモンゴル帝国皇帝のフビライを打倒することを、プレスター・ジョンは夢見ている。

 時光達が蝦夷ヶ島に到着するのが少しでも遅れていたら、プレスター・ジョンによる蝦夷ヶ島支配が完了し、妄想とも言える程壮大なプレスター・ジョンの理想、若しくは野望が現実化していたかもしれない。

 だが、時光の果断な決断による神速の進軍が、プレスター・ジョンの計画に楔を打ち込んだといっても、ここから逆転できるかどうかは時光達の奮闘にかかっているのであった。
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