第9話「安藤氏の事情」

文字数 2,270文字

 安藤正之はその日退屈していた。

 安藤正之は蝦夷代官職(えぞだいかんしょく)に任じられている安藤五郎の一門であり、その中でもそれなりに高い地位にいる。

 安藤氏は蝦夷代官職という地位にあるため、陸奥国と蝦夷ヶ島を結ぶ主要な港である十三湊(とさみなと)や箱館を押さえており、そこを通る交易品に税をかけて莫大な利益を得ている。

 その利益は安藤氏の懐に入るわけだが、もちろんこれには正当な理由がある。港の整備や北の蝦夷(えみし)への防衛に掛かる費用はここから賄われるのである。やましい物ではない。

 とは言いつつも、安藤正之の様に現場で取り仕切る者の懐や、立身出世のための上役への付け届けにも使われるのだが、社会的に許容の範囲と言うことも出来なくはないだろう。

 そんな風にして、いかに自分の私腹を肥やすか、または最近激しくなって来た安藤五郎派と反安藤五郎派の安藤一門内の主導権争いで、いかに立ち回るべきかを考えていた安藤正之に転機が訪れた。

 一門の長たる安藤五郎から特別任務を命ぜられたのである。

 内容は蝦夷ヶ島における金の採掘の監督であり、これはもう私腹を肥やせと言われている様なものである。安藤正之以外の者であっても、余程の聖人君子でなければそう考える。

 しかし、この任務には驚くべき点があった。

 採掘に使うのは、蝦夷ヶ島に履いて捨てるほどいる流刑を受けて流れ着いた罪人ではなく、集落丸ごと誘拐して来た蝦夷ヶ島の蝦夷であること。

 しかしこれとてもう一つの特殊条件に比べれば大したことはない。

 なんと金の採掘は蒙古と協力して行えと言うのだ。

 安藤正之は港での勤務を通じて、蝦夷ヶ島の蝦夷の言葉、宋の言葉、更には最近大陸で勢力を急速に伸ばしている蒙古の言葉を話すことができる。これが安藤正之が選ばれた理由なのだろう。

 しかし、何故秘密裏に蒙古と協力するのかという疑問も湧く。

 噂では蒙古は日本を我が手に収めんと虎視眈々と狙っているではないか。協力するどころではないはずだ。

 だが、安藤正之にはある程度察しが付いた。

 蒙古は今やかつて栄華を誇った大国の宋を滅ぼす勢いである。更にはその宋を武力で南に追いやった女真族の王朝の金は既に滅ぼしている。

 この様な国とやり合って日本に勝ち目はない。ならば早めに裏切って今後の地位を確保するのが賢明だ。

 そして、近年の安藤氏内の主導権争いでは、鎌倉はどちらにも味方せず静観している。

 公平中立を保ちたいのだろうが、こちらに利益を与えてくれない相手に忠義を尽くす必要はないだろう。

 ならば主君の安藤五郎と共にこの大きな時流に乗るのが得策である。

 そういう訳で今に至る。

 金の採掘が始まってから安藤正之はホクホク顔であった。

 蒙古に混じっていた漢人の山師の知識は本物で、言われた場所を半信半疑で掘らせてみると本当に金が採掘され、採掘坑のそばに建てた小屋の中に積み上がっていった。

 更に素晴らしい事に、蝦夷ヶ島にはもっとたくさんの金山があるらしく、漢人の山師は調査して一覧を見せてくれた。

 これら全てを採掘し始めれば懐も加速的に潤うというものだ。幸い採掘に使える蝦夷はこの蝦夷ヶ島にまだまだいる。

 現在、漢人の山師は、金よりも面白いものを見つけたとかで、安藤五郎や多数の蒙古兵と共に別の場所にいるが、戻って来たら他の場所の採掘が進められる事だろう。

 一つ気にかかるのは、蒙古から報告のあった妙な和人達が入り込んで来たという事であったが、そいつらも既に蒙古が始末したとの事だ。浅ましくも砂金をさらっていたとの事であり、自分の金を横取りしようとするからそういう事になるのだと、安藤正之は自らのことは棚に上げてそう思った。
 
 もしかしたら生き残りがいるかも知れないが、どうという事もないだろうとたかを括っていた。

 不満と言えば、折角蝦夷の女も拐って来たのに今は労働力が重視されるので、下卑た欲望のために使うことが出来ないくらいだが、金さえあれば良い女など幾らでも寄って来るだろう。

「ダンナ! 見て下さい!」

 小屋の外から声がする。恐らく採掘の監督に行っている蒙古の声だ。

 何事かと、安藤正之は小屋に残っていた蒙古と一緒に外に出た。

 見るといつも通りアイヌに変装した蒙古が、男を一人捕縛している。

 捕らえられている男はまだ若く、日本の武士階級の服装をしている。

 安藤正之は何となく察した。捕らえられているのは、蒙古が殺害したという一味の生き残りなのだ。

「よくやった。何処でこいつを捕らえた?」

「……」

 捕らえて来た蒙古の男に、蒙古の言葉で状況を問いただしたが、返答が無かった。

 いや、返答が無いというよりこれは、反応が無いというべきかも知れない。男は何を言われているのか理解していなそうである。

「アンドーのダンナ! そいつ仲間じゃ……グァッ!」

 小屋から遅れて出て来た蒙古兵が警告の言葉を発するが、言い終えることなく悲鳴を上げて倒れた。

 安藤正之が振り向くと、彼の顔には矢が突き立っていた。

 即死であろう。

「意外とばれるのが早かったな。まあ結果的に成功したが」

 視点を元に戻した安藤正之の視界に入って来たのは、縄が外れて自由になった捕縛されたはずの男である。

「すまんですトキミツさん。モンゴルの言葉なんてすぐには幾つも覚えられない」

「そりゃあ俺もだ」

 嵌められたと理解した安藤正之が太刀を抜くより早く、目の前の二人が接近し、あっという間に取り押さえられてしまった。

「さあ。あと残り何人倒せばいいのかな?」

 捕縛を装っていた男——撓気時光(たわけときみつ)は安藤正之を捕縛しながらそう言った。
 
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