第89話「講和締結」

文字数 2,331文字

 プレスター・ジョン達を泥流の中から助け出す作業は、三日三晩かかった。

 大陸には活動中の火山は少ない。それ故、理解を超える事態に対して泥流から生き延びた者達も茫然と立ち尽くしていた。これは天罰なのかという嘆きもある。

 だが、一日前まで凄惨な殺し合いを演じていた相手であるアイヌ達が救助のために駆けつけ、泥を掘り返し始めたのを見て、自分達が今何をすべきなのかを思い出したようだ。

 敵味方に分かれていた者達が共に手を取り合い、救助活動にあたった。そこには最早敵も味方も無く、泥の中から息のある者が見つかるたび双方から歓声が上がり、息絶えた者が見つかるたび悲しみに包まれた。




「それでは、これを以て手打ちとし、互いに遺恨は残さない。これで良いな?」

「その通りだ。そちらがこの蝦夷ヶ島から撤退するのに手出しはしない。もし、また攻めて来るなら、その時こそ容赦はしない」

 救助活動が終了した後、双方で和平の交渉がされ合意が成された。互いに賠償金や領土割譲などはせず、無条件で戦を終了するという事で話はまとまった。双方あまりにも多大な犠牲を払った上での和平交渉であり、誰の胸にも思う所はあったかもしれない。だが、それだけにもうこれ以上血を流すのはこりごりだという思いもあったのだろう。反対する者は誰もいなかった。

 また、人知を超えた大自然の驚異と、その力の大きさを目の当たりにしたのだ。そこに神などの何か大きな存在を感じ取ったのかもしれない。

 全員を見つけることは出来なかったが、かなりの人数は助け出すことが出来たし、遺体を回収することもできた。見つけ出した遺体は清められた後埋葬され、まとまって弔いの儀式が執り行われた。埋葬されたのはキリスト教ネストリウス派で、祈りをささげたのはカトリックの修道士であるグリエルモ、参列しているアイヌ達はカムイのような存在は信じているが信仰しているという訳ではない、時光とその部下である丑松に至っては仏教徒だ。皆がバラバラの信仰を持っているが、その祈りは真摯なものであり、思いは一つとなった。

「それにしても、構わないのか? 我々が金を持ち帰っても」

 時光とプレスター・ジョンの会話が終わったところで、そばに控えていたガウリイルが口を挟んだ。

 賠償金は払わない。ということになっているが、それとは別に既に掘り出されている大量の金は、プレスター・ジョン達が持ち帰って良いという事になった。

「良いんだ。せいぜい有効活用してくれ。その方が俺としても助かる。まあこれ以上採掘するつもりはないから、もっと寄越せと言われても聞けないがな」

 これは戦略的な思惑が絡んでいる。プレスター・ジョンは今でこそモンゴル帝国皇帝フビライの家来に甘んじているが、フビライと同じくチンギス・ハーンの血を受け継ぐ者である。蝦夷ヶ島に攻め入って来たのも、将来的に反旗を翻すための地盤づくりのためである。そして、彼にはモンゴル帝国内で主流から外れた者、キリスト教徒などの協力者が控えている。

 そんな彼に軍資金を与えて帰還させればどうなるかと言うと、大陸に戦乱の嵐が吹き荒れる事は間違いない。彼らは蝦夷ヶ島侵攻と言う侵略的な戦いには飽いているものの、自らの生存を賭けた戦いを捨て去ったわけではないのだ。

 そして、大陸でその様な戦いが展開されたならば、現在フビライが計画している日本侵攻など実行している余裕は無いだろう。時光は執権の北条時宗に命じられて、モンゴルの日本侵攻に関する情報収集や対処を命じられてこの地まで来たのだ。ならば敵であるフビライの敵であるプレスター・ジョンを支援するのは、北条時宗の考えに沿ったものであろう。

「そうか。それはありがたい。出来れば以前と同じように交易を再開したいところだ。そうだ。トキミツは戦士階級だが、家業は商いもしているのだったな。また、あのよく切れる片手剣を持ってきてくれ。お互い良い商売になるだろう。いや、それよりも我々の軍に加わらないか? お前ならきっと活躍できるだろう。そうするべきだ」

「どうした。ガウリイル? トキミツに一緒に居て欲しいのか? 随分と熱心に勧誘しているぞ?」

 熱っぽく時光を誘うガウリイルに、プレスター・ジョンがからかう様な口調で言った。

「い……いえ。私はただ、軍資金を得たといえ、優れた武人は仲間に引き入れるべきだと思っているだけです。はい。それは確かに命を助けられた礼をしたいというのもありますが……」

 ガウリイルは顔を赤くし、最後は消え入るような声で弁解した。

 トカプチの山が噴火したその日、ガウリイルもまた泥流に飲まれてしまった。それを掘り出して救い出したのは、偶然にも時光だったのだ。以前氷に覆われた海の中から救い出した事と言い、よくよく縁があるようである。

「はは。考えておくよ。俺はひとまず主に報告するため、鎌倉に向かおうと思う。その後の事は……その時考える。縁があったら共に戦うかもな」

 時光は素っ気無い素振りで答えたが、その内心は乗り気である。御家人の十四男という立場故に相続する土地が無く、恩賞として自らの安寧の土地を得るために戦ってきたが、蝦夷ヶ島や大陸などこれまでの旅で得た知己と共に暮らし、共に戦う人生も悪くはないと思い始めていた。

「それでは、我々はこれで去るとしよう。さらばだ。敵対していた我々を必死に助けてくれた恩は決して忘れないぞ」

 プレスター・ジョンは部下達を率いて去って行った。攻め入って来た時は一万を超える軍勢で、その大半が騎乗しているという勇壮なものであったのに、立ち去る彼らは三千程度であり、馬を失い徒歩の者も多い。しかし、その歩みは絶望に染まっておらず堂々としたものであった。
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