第32話「鹿が登れるなら人も登れよう」
文字数 1,951文字
副将であるアラムダルが白主土城の主力を率いて出陣した後、カラプト方面部隊の主将であるバルタンは、暇をかこっていた。
バルタンはモンゴル高原の遊牧民の中でも、有力な家系に生まれている。そのため、能力に問題があっても、ある程度の規模の部隊を任されているのだ。
ただ、流石に重要な正面は任せられないので、こうして辺境の地に派遣されているのである。
とは言え部隊長は部隊長である。以前ならいくら有力な家系に生まれようと、実力によって即座に下克上が起きるので、能力に欠ける者が上の地位に立つことは無かった。
チンギス・ハンですら、族長である父が死んだ時、若すぎるために父の部下達から見捨てられたのだ。
そして、そのチンギス・ハンがモンゴル高原を統一して以来、組織としての安定化を図るため、身分が固定化してきたのだった。
その様な事から、バルタンは指揮官になっているが、主力が留守にしている状態で気が抜けているのは問題であろう。
上の者の意識は即座に下に伝播する。見張りの者達の意識も弛緩し始めていた。
一応彼らにも言い分はある。これまで対峙してきたアイヌの戦士団は、出撃したアラムダル達を迎え討つのに精一杯の筈だ。
また、城の三方は平原であり、いくら雪が降っていようと奇襲する事は不可能だ。そして残る一方は海外段丘である。
つまりはある程度気を抜いていても、対応は可能なのである。
アラムダルがアイヌの船を制圧すれば、モンゴル軍の勝ちは確定する。アイヌを殲滅するなり降伏させるなりすれば、余裕を持って島中に食料調達に行ける。そして、この城がアイヌに力攻めで落とされることはありえない。
士気が緩んだ若い男達のする事は、古今東西大体同じである。彼らは馬乳酒を飲み始めた。城に女はいないので、娯楽といえばこういう方向になる。
一応寒冷地において体を温めるという言い分はあるが、飲み過ぎていてはそれも通じないだろう。
一人の兵士が小用のため、海の方に向かって歩いて行った。
断崖に立つと荒れる冬の海が目に入ってくる。故郷の高原ではお目にかかれない絶景を見ながら、彼は用を足していた。
「ぐへっ」
用を足していた蒙古兵は、小さな悲鳴と共に仰向けに倒れると、そのまま絶命した。
死の直前まで力を込めていたためか、しばらく小水が噴水の様に吹き上がっていた。
その喉には短刀が突き刺さっていた。
「ちっくしょう。臭いもんかけやがって」
小声で愚痴を言いながら、崖下から現れた者がいる。
若き日本の武士、撓気十四郎時光 である。
時光は素早く身を伏せながら崖下に向かって小さく手を振ると、次々と武装したアイヌが現れた。
急な崖を登って来たのである。
「かの源義経もこうして崖を奇襲したと聞くが、本当に成功するもんだな。「鹿が登れるなら人も登れよう」と言ったところか」
「トキミツよ。ヨシツネは崖の上から駆け下りたと聞くが?」
時光の言葉に突っ込みを入れたのは陸奥国の蝦夷であるオピポーだ。陸奥国は源義経が育ち、失脚した後に逃げ延びた地である。そのためオピポーは源義経に関する知識があるのだろう。
「……あっ。気づかれた。一気に殲滅するぞ!」
時光は誤魔化す様に大声を出すと、弓を構えた。蒙古兵の何人かが気が付いたのは本当である。
さて、この城を守る蒙古兵は百人程度、それを攻めるアイヌの戦士達は五十人程度である。
普通なら二倍の相手に正面から攻撃するのは無謀である。
しかし、今の蒙古兵は深酒をし、完全に不意を突かれたために万全の状態で戦いに臨む事は出来ない。
言い方を変えれば、死ぬ準備が出来ていないのである。
蒙古兵は精鋭揃いで、普通なら勇猛果敢に死を恐れずに戦う。しかし、完全なる奇襲がそれを許さなかった。
体勢を整える前に、蒙古兵は次々とアイヌの放つ矢の前に倒れていった。酒盛りをしていたので反撃のための弓矢は、身から離している。
果敢に剣を抜いて接近した蒙古兵も、アイヌの手にした太刀で斬り伏せられてしまう。時光が持参した太刀は素晴らしい切れ味を発揮した。
「まさか酒宴中とはな。ここまで完全に奇襲出来るとは思わなかったぞ」
動く者がほとんど居なくなった城内を見て、時光は呆れた様な口調で言った。制圧の成功は確信していたが、ここまで完全に上手くいくとまでは楽観していなかった。
「おっ? お前ここの大将だろう?」
「ひぃっ」
一際煌びやかな鎧に身を包んでいるため、地位が高いのは一目瞭然だ。
バルタンはすぐに逃げ出そうとする。馬に乗れさえすれば、逃げる事は容易い。
「ギャァぁっ!」
しかしそれは果たせなかった。時光の放った矢に太腿を貫かれたのだ。
「殺しはしない。ただ、役に立ってもらうぞ」
時光は痛みに呻くバルタンを、縄で縛りつけた。
バルタンはモンゴル高原の遊牧民の中でも、有力な家系に生まれている。そのため、能力に問題があっても、ある程度の規模の部隊を任されているのだ。
ただ、流石に重要な正面は任せられないので、こうして辺境の地に派遣されているのである。
とは言え部隊長は部隊長である。以前ならいくら有力な家系に生まれようと、実力によって即座に下克上が起きるので、能力に欠ける者が上の地位に立つことは無かった。
チンギス・ハンですら、族長である父が死んだ時、若すぎるために父の部下達から見捨てられたのだ。
そして、そのチンギス・ハンがモンゴル高原を統一して以来、組織としての安定化を図るため、身分が固定化してきたのだった。
その様な事から、バルタンは指揮官になっているが、主力が留守にしている状態で気が抜けているのは問題であろう。
上の者の意識は即座に下に伝播する。見張りの者達の意識も弛緩し始めていた。
一応彼らにも言い分はある。これまで対峙してきたアイヌの戦士団は、出撃したアラムダル達を迎え討つのに精一杯の筈だ。
また、城の三方は平原であり、いくら雪が降っていようと奇襲する事は不可能だ。そして残る一方は海外段丘である。
つまりはある程度気を抜いていても、対応は可能なのである。
アラムダルがアイヌの船を制圧すれば、モンゴル軍の勝ちは確定する。アイヌを殲滅するなり降伏させるなりすれば、余裕を持って島中に食料調達に行ける。そして、この城がアイヌに力攻めで落とされることはありえない。
士気が緩んだ若い男達のする事は、古今東西大体同じである。彼らは馬乳酒を飲み始めた。城に女はいないので、娯楽といえばこういう方向になる。
一応寒冷地において体を温めるという言い分はあるが、飲み過ぎていてはそれも通じないだろう。
一人の兵士が小用のため、海の方に向かって歩いて行った。
断崖に立つと荒れる冬の海が目に入ってくる。故郷の高原ではお目にかかれない絶景を見ながら、彼は用を足していた。
「ぐへっ」
用を足していた蒙古兵は、小さな悲鳴と共に仰向けに倒れると、そのまま絶命した。
死の直前まで力を込めていたためか、しばらく小水が噴水の様に吹き上がっていた。
その喉には短刀が突き刺さっていた。
「ちっくしょう。臭いもんかけやがって」
小声で愚痴を言いながら、崖下から現れた者がいる。
若き日本の武士、
時光は素早く身を伏せながら崖下に向かって小さく手を振ると、次々と武装したアイヌが現れた。
急な崖を登って来たのである。
「かの源義経もこうして崖を奇襲したと聞くが、本当に成功するもんだな。「鹿が登れるなら人も登れよう」と言ったところか」
「トキミツよ。ヨシツネは崖の上から駆け下りたと聞くが?」
時光の言葉に突っ込みを入れたのは陸奥国の蝦夷であるオピポーだ。陸奥国は源義経が育ち、失脚した後に逃げ延びた地である。そのためオピポーは源義経に関する知識があるのだろう。
「……あっ。気づかれた。一気に殲滅するぞ!」
時光は誤魔化す様に大声を出すと、弓を構えた。蒙古兵の何人かが気が付いたのは本当である。
さて、この城を守る蒙古兵は百人程度、それを攻めるアイヌの戦士達は五十人程度である。
普通なら二倍の相手に正面から攻撃するのは無謀である。
しかし、今の蒙古兵は深酒をし、完全に不意を突かれたために万全の状態で戦いに臨む事は出来ない。
言い方を変えれば、死ぬ準備が出来ていないのである。
蒙古兵は精鋭揃いで、普通なら勇猛果敢に死を恐れずに戦う。しかし、完全なる奇襲がそれを許さなかった。
体勢を整える前に、蒙古兵は次々とアイヌの放つ矢の前に倒れていった。酒盛りをしていたので反撃のための弓矢は、身から離している。
果敢に剣を抜いて接近した蒙古兵も、アイヌの手にした太刀で斬り伏せられてしまう。時光が持参した太刀は素晴らしい切れ味を発揮した。
「まさか酒宴中とはな。ここまで完全に奇襲出来るとは思わなかったぞ」
動く者がほとんど居なくなった城内を見て、時光は呆れた様な口調で言った。制圧の成功は確信していたが、ここまで完全に上手くいくとまでは楽観していなかった。
「おっ? お前ここの大将だろう?」
「ひぃっ」
一際煌びやかな鎧に身を包んでいるため、地位が高いのは一目瞭然だ。
バルタンはすぐに逃げ出そうとする。馬に乗れさえすれば、逃げる事は容易い。
「ギャァぁっ!」
しかしそれは果たせなかった。時光の放った矢に太腿を貫かれたのだ。
「殺しはしない。ただ、役に立ってもらうぞ」
時光は痛みに呻くバルタンを、縄で縛りつけた。