第90話演奏当日の朝①

文字数 626文字

午前6時過ぎ、元にしては、早く起きた。
窓を通して聞こえてくる小鳥の自由で可愛い声が気に入った。
「朝飯にも時間がある」
「風も気持ちがよさそうだ」
そう思うと、散歩がしたくなった。
モタモタして誰かに気づかれるのも嫌だった。
ためらいもなく、足音だけは静かに、教会の庭に出た。

少し歩いて突然、昨日読んだ「猫」の書き出しが、浮かんだ。
「どこで生まれたかとんと見当がつかぬ・・・か、俺も同じだ」
「気付いた時は教会で飯をもらい、わけもわからぬ家にもらわれ、虐待の限り」
「捨て猫なら、漱石の猫のほうが自由があったかもな」
「・・・まともに死ぬことも出来ず・・・猫以下かもしれない・・・」
「このままフラフラとここを出て・・・」

元がそんなことを思って数歩進んだ時だった。
「元君・・・」
中年の女性の声がした。
「え?」
元が振り返ると、本多美智子が涙目で元を見ている。
そしてその隣に大指揮者の山岡氏。
少し大きめのバスケットを持って立っている。

これには、元も慌てた。
「あ・・・はい・・・」
「・・・何か・・・」
他に浮かぶ言葉が無い。

山岡氏から言葉があった。
「サンドイッチと珈琲は好きかな?」
元は、どう反応していいのかわからない。
「はい、好きなほうですが」
元自身、間が抜けた返事と思った。

本多美智子が少し微笑んだ。
「サンドイッチを私が作って、山岡さんが珈琲を淹れたの」
「だから、あそこのベンチで3人で」

元は断る理由が無い。
たいしたことでもないと思った。
素直に二人に囲まれ、ベンチに座った。
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