第12話元はかつての恩師に居留守を貫く

文字数 1,069文字

目が覚めたのは、昼近く。
午前11時を過ぎていた。
「風呂も入らず、シャワーも浴びずか」
我ながら情けないと思うけれど、酔ってしまい、そんな気にはならなかった。
それでも気を取り直して、シャワーを浴びる。

服を着て、カレンダーを見る。
「何だ、土曜日か」
「大学はない」

そんなことを思いながら、水道水を飲む。
「不味い」
しかし、他に口に入れられるものは、コニャックとバーボンしかない。
「何か食い物を入れたいが」
さすがに、ここ数日は、まともな食事をしていないので、腹が減っている。

ただ、窓の外を見ると、雨が強めに降っているし、風の音も激しい。
元は途端にためらった。
「あの陳腐なビニール傘をさして、びしょ濡れで飯を食いに行くのか?」
「実に情けない、まるで河童が飯を食うと同じだ」

元は、外に出ることを止めた。
「そもそも、生きる価値もないのに、食べる必要があるのか?」
「ここで餓死したところで、誰も気づかない」
「そうなると、それも面白いかもしれない」
「いったい、何日飯を食わなければ餓死するのか」

そんなことを思い、再びベッドに寝転んでいると、玄関のチャイムが鳴った。
元は、何の動きもない。
「いないことにする」
「せっかく寝たのに、何故起きなければならないのか」

インタフォンから中年の女性の声が聞こえて来た。
「元君!深沢です!」
「いるんでしょ?開けて!」

元は対応も返事もしない。
「ピアノの先生か」
「出る必要はない」
「もう関係はない、5年前に終わった」

それでもインタフォンからの声は続く。
「ねえ、居留守を使うってこと?」
「どうしても話したいことがあるの」
「だから開けて、お願い」
かつてのピアノ講師は、すでに涙声に変わっている。

元は、それでも対応はしない。
「泣けば何でも通ると思っているのか?」
「目薬をさしたのか?」
「騒ぎたかったら勝手に騒げばいい」
「結局、それにも飽きて帰るだろう」

その予想通りだった。
玄関前の騒ぎは、15分ほどで収まった。
泣き声が遠ざかっていくので、元は含み笑い。
「いい身分だ」
「勝手に騒いで勝手に泣いて帰る」
「自分がそれほど可愛いか」
「昼メロドラマのヒロインか?」

元は思った。
「この家にいると、また押しかけられるかもしれない」
「そうなると、出たほうがいい」
「泊まる家もないが」
「三人の商売女は・・・暑苦しい」

しかし、元は外に出られなかった。
雨と風が激しさを増していて、家にある陳腐なビニール傘では持ちそうにない。
「仕方ない、コニャックを飲み干そう」
「足りなかったらバーボンだ」
約30分後、コニャックを飲み干した元は、再びベッドの上の人になっている。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み